キースに"飼われる"ようになって、1月が過ぎた。
毎晩の行為に、初めは悲鳴を上げていた身体も慣れた。
今ではキースの悦ぶ声を上げ、望む言葉をさえ吐けるようになった。
金の為とはいえ男娼とは―――我ながら"さもしい"人間だと思う。
卑しい、最低の人間だと思ったんだ。

だから。
彼の部下に声を掛けられて、フラフラとついて行った。
こんな僕だから―――今更気取ることもない。
誰に足を開いたって、もう関係ない。
僕は穢れた人間だから……。

それがこんな結果を生むなんて。
思いもしなかったんだ。





―――堕ちる  01





キースの声は、低い。
ある人物の名を上げ、僕をひたと見た。

「あいつに、尻を差し出したのか…?」
「…ああ…」

何がいけない?
僕は視線でそう問う。

キースがすうっと目を細めた。
普段でも感情が読めない暗い瞳が、更に無機質なものに見える。
硝子玉のようだ。

それ以上何も言わず、くるりと踵を返した。
ズボンと下穿きを脱いで、ベッドに座っていた僕に服を投げる。

「今日はしないわけ?」
「……黙ってついてこい」

さっきよりも低い声で、そう言うとさっさと部屋を出ていく。
その背中を、僕は追うしかなかった。



滑るように走る車――名前なんて知らないけれど殆ど揺れないし、
狭いなんて感じたことは一度もないんだから、きっと高いんだろう――の
柔らかいシートに身体を沈めて、30分程。
その間も、キースは一言も口を利かない。
僕も空気を和ませる必要なんて無いから、口を開かなかった。

車が止まったのは、巨大な建造物の前だった。
後ろからついてきた車から駆け降りたボディガードが、辺りを注視し確認して、
扉を開く。
真っ黒い建物に何の躊躇いも無く、キースは足を進めて行った。

黴臭い匂いと、歩くたびに舞い上がる埃、灯りは全くない。
そこは廃工場のようだった。

巨大な空間に辿り着く。
所々落ちた天井から、瞬く星と輝く月が見えた。

マットレスが一枚投げ出されただけの、体育館のような空間だ。
キースがちらりと僕を見た。
ぞくっ。
背筋が凍る。

「…来い」
「へ、へえ…。こんなトコでしようっていうの?」

おどけて言いながら、マットレスにどかっと腰を下ろした。
派手に舞い上がる埃が、表情を隠してくれたら良い。
月明かりだけでもきっと、強ばった顔は分かってしまうから。

―――怖い。
キースが怖くて堪らない。
身体が細かく震えた。

「そうだ―――」

似合いだろう?
誰が主かも理解出来ない駄目犬には。

僕は立ち上がり、駆けだした。
此処に居ちゃいけない。
それだけは間違いなかったから。

キースが手を閃かせると、2人のボディーガードが僕を掴んだ。
連れ戻し、素早く首に大型犬が付けるような首輪を嵌める。
そこから伸びる細いワイヤーは、マットレスに繋がっていた。

「やだっ!放せっ!」

男たちは手を放したが、ワイヤーは3メートル程しかない。
駆けだした僕は、ワイヤーが伸びきった場所で地面に転がった。
首輪を掴んで強く引いたが、マットレスはずずと少し音を立てただけで、
動く様子は無い。

地面に尻餅をついた格好でキースを睨んだ。
今日初めてキースの顔に表情が浮かぶ。
唇を歪めて薄く笑い、やっぱり低い声で告げた。

「3日経ったら迎えに来てやる。それまで此処で可愛がって貰うんだな」
「やだっ!キースっ、キース!!」

どんなに叫んでも、無駄だった。
振り返りもせず、闇に呑まれていく。

足音も聞こえなくなり、扉の閉まる音とエンジンの音が微かに届いた
途端―――周囲から気配が立ち上った。
月明かりの差し込む位置にいる僕からは、闇に潜む姿は見えないけれど。
1人2人じゃないことは分かる。
すっかり囲まれていた。

「へへ…」
「こりゃ別嬪さんだ」
「…ひひひ」

下卑た声と共に、獣臭い匂いが押し寄せてくる。
吐き気を催すような、酷い匂いだ。
僕は身体を震わせて叫ぶ。

「寄るな…!」
「ご主人様の言いつけ、聞いただろ?」
「可愛がって貰えってよぉ」

匂いを纏った男たちが、月の光が作る輪の中に入ってきた。
数を数えて、僕は唇を噛む。

10人以上居た。
ワイヤーだけでも逃げられないのに…。
僕は俯いた。

「おやおや、怖いのかい?」
「下向いちゃって…」

でも、大人しくヤられるつもりはない。
がばっと起きると、一番近くにいたヤツにぶつかっていく。

「―――ぅっ!ぁあっ…!」

でも、体格差が有りすぎた。
簡単に受け止める。
僕はすぐに身体を引いて、別の方向に駆け出すけれど―――。

「無駄だって」
「ひゃはっ!」

ワイヤーが引かれる。
倒れた僕の首に近い位置の細い線を1人が踏みつけた。
地面に擦れる頬が痛むが、顔を上げることは出来ない。
低い位置から目だけで睨むけれど、それは男たちを微笑ませるだけだった。

「生きが良くて、可愛いなあ、お前…」

上から覗き込みながら、そいつは舌で唇を舐める。
黄色い歯に鳥肌が立った。

「おーい、こんなものまで置いてったぜ」

ずるずると引きずってこられたのは、2つのスーツケースだった。
ぱちんぱちんと開くと、歓声が上がる。

「バイブだぜ!」
「随分太いのまで、くわえ込むんだな!」

目の前に突き出されたものを見てしまい、後悔した。
男の手首程もある巨大なそれは下品な紫色で、その上疣があるのだ。

「こりゃ、女用だろ!」
「こっちはちんぽかい?!」
「これもケツに入れんのかよ!」

両手に淫具を持ってはしゃぐ声。
沢山の玉が連なったものを振り回す者まで居た。

「ローションもたっぷりあるし、こっちは媚薬だな?」
「お優しいご主人様じゃねーか…!」

囃し立てる笑い声が広い空間に響く。
塞いでも塞いでも、耳に突き刺さってくる。
それがぴたりと止んだ。

「傷はつけない。あの男は怖いからな」

そう言いながら奥から出てきたのは、一回り体の大きい黒人だった。
地面に這い蹲らされている所為もあるが、小山のように見える。
その声は、腹に響く低音だ。

「けど、可愛がってやるよ」

死ぬ程な。
僕は絶望して、目を閉じた。