はじめは、ほんの戯れだった。
戯れだったのだ。















―― 在処 ――















フィシスの部屋で、眠り込んでしまったソルジャー・ブルー。
それは、よくある事で。
アルフレートも心得ていて、そっと部屋を後にする。

昨夜の救出の疲れが出ているのだろう。
ブルーは深く眠っている。

自らが決してブルーの邪魔にならない、それどころか傍に居ることで安らぎを
もたらしていることを知るフィシスは、眠る彼のひとの傍らでカードを繰り続ける。

未来を。
明るい未来を求めて。





空気が動いた。
フィシスの頬を優しく掠める。
ブルーが、覚醒に向かっているのだ。

瞼が震え、微かに身じろぎする。
目覚めた瞬間の二つの宝玉はどんな色を湛えているのか。
フィシスは見ることが出来ないけれど、彼が目覚めるその瞬間に立ち会えるだけでも
素敵だと思う。





始めの言葉は決まっている。

「やあ…フィシス…」

後に続くのは、"おはよう"であったり"こんにちは"であったり。
"また眠ってしまったようだね"の時も多い。
ブルーは柔らかく微笑んで言う。

その表情を見ることが出来なくても、幸せを感じる。
彼に憧れる多くのものは、その言葉すら聞くことが出来ないのだから。





まだ眠りの国に居る彼が、う…ん、と向きを変えた。
柔らかそうな前髪が隠していた額の傷。
まだ赤いその傷に指先で触れた。

こんなことが出来るのも、自分だけ―――――少しだけ誇らしい。
フィシスはその小さな傷をなぞった。

その指先を伝ってきたもの。

(…ハーレイ…か……?)

ふと、悪戯心が起こった。
フィシスは、記憶にあるハーレイの思念を真似た。

キャプテンを装って、思念を送る。
朝ですよ、もう起きて下さい、と。

すると、ブルーの中の何かが流れ込んできた。
それはフィシスがこれまで経験したことの無いもの、感じたことが、無いもの。
理解出来ないものだったけれど―――





けれど。
鳥肌が立った。
ぱっと身体を離す。

まだ、ソルジャーは目覚めない。





あれはなに…?
あれは……なんなの……!





絡み合う腕。
重なる唇。
その唇は首筋に降りて。
ソルジャーの肌が拾う快感に、鳥肌が立った。

そして、そして―――――





フィシスは、逃げるように寝室に篭もった
眠るブルーを残して。























その行為が何を意味するのか。
理解するまでに時間は掛からなかった。



愛し合うもの同士が行う。
その愛情を交感する行為。

愛し合っていれば、必然的に持たれる時間。



わたしはソルジャーを愛している。
それは紛れもない事実。

あの時逃げてしまったのは、愛する男性が他の者と触れ合っていたから。
それも、あろうことか同性と。
だから直視出来なかったのだ。
だから、逃げた。



でも、本当にそう?
彼を身体の奥底から欲しいと願うことがあった?
あった……?



浮かんだ疑問を、フィシスは首を振って消し去る。
これから、なのよ。

わたしは彼を愛しているのだから。
そう、自分に言い聞かせた。





でも。
わたしは彼を受け入れられなかった。
そのことをフィシスが思い知らされたのは、若いミュウを失った夜。





そのミュウは共に潜入したソルジャーを庇って、死んだ。
銃弾の雨に晒されてボロボロになった身体を、それでもブルーは船まで運んだ。

既に事切れていた身体を抱えて降り立ったその姿は、真っ赤に染まっていて。
その赤を実際に目で見たミュウたちは怯え、ブルーに近寄ろうとしない。

(なんと……!)
(涙の一つも流していないなんて)
(これだから、戦えるのだ。こんな冷たい心だから―――)

非難めいた"声"にフィシスは驚いた。



何故見えないの?
悲しい顔をしているのでしょう?
ソルジャーは。

身体以上に赤く染まった心。
鮮血を流し続けている。

こちらが痛みを感じるほど、啼いている心。
どうしてそれが見えないの?



ブルーから遺体を受け取ったのは、ハーレイだった。
ただ1人、彼に歩み寄った人物。

ハーレイにも、ソルジャーの心が見えたのだろう。

お疲れ様でした。
あとはこちらで処置します。
お部屋にお戻りを。

そういって恭しく頭を下げる。

ああ。
ブルーはふっと姿を消した。










その晩、フィシスはブルーの訪問を受けた。

夜分に済まない。
そう詫びながらも、アルフレートが招き入れる前に室内に足を踏み入れている。

足早にターフルの前に進み、君の地球を見せて欲しい、と手袋も取らない手を
差し出した。
アルフレートが非難めいた視線を投げつつも退室したのを確認して、フィシスは
彼の手を握った。



その途端、抱き締められた。



温かい腕と胸は、心地好かった。

けれど、肌を通して流れ込んできたソルジャーの猛々しい思念や
それを具現化したイメージに―――――堪えられなかった。



フィシスは身体を離そうとソルジャーの胸を突き飛ばし―――――
その手が、空を切った。





その時初めて、それが実体でなく彼の思念であったことに気が付いた。





見えない筈のフィシスの瞳に、苦しそうで哀しそうな表情のソルジャーが映る。

地球を見せて欲しいだけなんだ。
そう呟いて。

両手で彼女の手を握った。

そして、ブルーの身体は沈んだ。
引き摺られるようにフィシスも膝を付く。
握ったままの手が、震える腕がフィシスに教えた。





思念を完全に遮蔽しているブルーが、泣いていることを。





声を殺して。
吐息も漏らさず。

はらはらと落ちる涙が、腕に滴っている。
その雫は温かかったけれど、フィシスの心を冷たくした。





ブルーは結局地球を見ることなく、部屋を後にした。
扉まで見送ると、その先の通路にはキャプテンが居た。

フィシスとハーレイ、二人の目が一瞬合う。
キャプテンの咎めるような厳しい視線。

ハーレイは目礼すると、ブルーの後を追う。
フィシスはただ、その二つの後姿を見送るしか出来なかった。