鳥の囀りが聞こえる。
瞼を開かなくても部屋の中が明るいのがわかった。
朝日が差し込んでいる。
窓の覆い扉を閉じないで眠ってしまったようだ。
心地良い筈の陽光が目に沁みる。
ハーレイは右の掌で両目を覆った。

「―――…ぅ…」

酷い寝不足を感じる。
連日の疲れもあるが、何より目覚めが良くない。
良くない夢を見た所為だ。
悪夢とさえ言ってもいい。

―――…ブルーが、人間に変わるなんて…。

とんでもない夢を見たものだと、一つ溜息を零し起き上ろうと手を付いて。
そこで初めて気がついた。
自分の身体に乗っているものに。
気持ち良い温かさとひんやりとした冷たさ、それにこの滑らかな肌触りは―――。

胸の上にある頭と思わしき物体に、ハーレイはゆっくり手を伸ばした。
柔らかい感触は体毛だが、指先に慣れ親しんだブルーの毛並みではない。
曲線に沿って手を下へ滑らせる。
恐れていたものに触れてしまい、ハーレイはびくっと震えた。
耳、それに頬の感触。
それは明らかに人間のもので。

「―――っ…!」

ハーレイは意を決して顔を上げた。
果たして、そこには銀の髪に滑らかな白い肌の少年が眠っているのだった。















―― 月が輝く夜だから 02 ――















夢などではなかった。
自分の身体の上に居たのは、昨日ハーレイの目の間でブルーが変化した少年。
胸に頭と腕を乗せ、すうすうと気持ち良さそうに眠っている姿は、紛うことなき人間で。
己の目で見たことだというのに、これがブルーだとは俄かには信じられない。

ハーレイは起こさぬようそうっと身体を抜くとベッドの下を覗き込み、或いは浴室や
玄関を足音を忍ばせて歩き回った―――ブルーの姿を探して。
しかし、銀の毛並みを持つ動物はどこにもいない。
ハーレイはベッドサイドに戻った。

静かに腰を下ろし、全裸の少年を観察する。
髪の色は確かにブルーと同じだった。
しかし、それ以外に共通点などない。
ハーレイは恐る恐る呼びかけた。

「―――ブルー…」

…ん…おじさん、だれ…?
え、犬?―――ああそれならさっきドアから出ていったよ。

そんな風に答えてくれないものかと思った。
けれど少年は「ぅぅ…ん」と唸って仰向けに寝返りを打っただけだった。
両腕を頭の横に投げ出すと、また穏やかな寝息が聞こえ始める。

反応に息を詰めていたハーレイは、ほうっと身体の力を抜いた。
改めて眠る少年を見つめる。

見れば見るほど、それは本当に美しい少年だった。
抜けるように白い肌にはシミどころか黒子1つない。
銀糸に縁取られた白皙、それはこれまでハーレイが見たことのあるどんな芸術品よりも
繊細で美しいもので。
ほっそりとした手足や、まだよく筋肉の付いていない薄い身体にとても良く合っていた。
長い睫毛やすっきりとした鼻梁、ピンク色の唇も、天才的な陶工がその持てる才能の
全てを注ぎ込んだ作品であるかようだ。

―――これが本当にあのブルーなのだろうか…。

身体を捩じり銀糸の横に手を付いて、覆い被さるようにして覗き込む。
美しいという言葉以外、何と形容していいのか分からない。
ハーレイは言葉を忘れて見惚れていた。
その視線の先で、髪と同じ銀色の長い睫毛が揺れる。

「…んん…くぅん―――っ…!」

ハーレイの腕の間で、少年は手足を震わせ伸びをした。
ゆっくりと目を開きハーレイを認めると、「わん!」と吠え飛びかかってくる。
夢だと思っていた光景が繰り返される。
今度は後頭部を打たないようにブルーをしっかり受け止めると、ベロベロ顔を舐めまわす
ブルーの頬を挟んで抑え込んだ。
ハーレイは顔を寄せ、眼を見つめて、問う。

「…ブルー、だろう…?」
「わんっ!」

頬を押さえられたままだが、ブルーはきちんと"お座り"をして嬉しそうに吠えた。
見えない尻尾は多分、ぶんぶんと振り回されている事だろう。
満面の笑顔でハーレイを見上げる格好は、間違いなくブルーのものだ。

けれど―――。
まだ気が付いていない…のか…。
それとも…。

どうしたものかとハーレイが思案しているうちに、ブルーの様子が変わった。
顔から笑みが消えていき、どこを見ているのか分からない瞳がゆっくりと下に
向けられていく。
そうして、シーツに揃えて置かれた己の手を視界に収めた。

「ブルー…!」

右手を持ち上げ、くんくんと匂いを嗅ぐ。
何を嗅ぎ分けたのか、びくっと震えると、手の甲で自分の頬を撫でた。

「―――っ?!」
「ブルーっ!」

文字通り飛び上ると、ブルーはシーツを身体に巻き付けベッドの下にもぐり込んだ。
ハーレイがどんなに呼んでも顔を見せない。
目に見えるのは白いシーツだけだが、それは小刻みに震えていた。





結局、ハーレイはその日仕事を休んだ。
昨日のうちに一応目途を付けることが出来ていたし、そこまで済んでしまえば納期までは
余裕があってそうそう急ぐ事もない。
しかし、それより何より、ハーレイはブルーを放っておくことが出来なかったのだ。

宥め賺し、また餌――生肉などではなく、クッキーやチョコレート。甘いものが
大好きなのも動物らしからぬ点であった――で釣って、ベッドの下からようよう顔を
出したのは、たっぷり2時間も経ってから。
己の身体を見たくないのか、シーツをぐるぐるに巻き付けていた。

「ほら、ブルー」

褐色の掌で差し出された丸いクッキーを上目づかいで見た途端、シーツの奥から
大きな音がした。
びくっと跳ねたブルーが、みるみる赤くなる。
そういえば朝から何も食べていない。
すぐに元の場所に戻りそうな表情をしたブルーに「ほら」と腕を突き出せば、
おずおずといった様子でブルーは舌を伸ばした。

けれど、使い慣れた舌と長い口ではない為か、クッキーを上手く口に入れることが
出来ない。
悪戦苦闘し、茶色の指を唾液塗れにするけれど、手を使うことはなかった。
見兼ねたハーレイがブルーの指をとり、クッキーを握らせる。
それを口元まで運んでやると、ブルーは貪るように食べ始めた。
余程お腹が空いていたのか、ボロボロと床に落ちたものまで舐めようとするのを制止し、
クッキーの箱を持たせる。

「自分で食べてごらん」

ハーレイの言葉に2度瞬きすると、ブルーは白い手を箱に突っ込んだ。
初めは力の加減が出来ず砕いてしまっていたが、10枚ほど腹に収め切る頃にはすっかり
コツを呑みこみ、次々にクッキーを摘み出し口に運ぶ。

「…ふっ、…んぐ…っ」
「ゆっくり食べろよ」

ブルーの手が箱の中を探し回る時間が長くなり、もう最後の1枚だろうと思われる頃―
―――今度はハーレイの腹が悲鳴を上げた。

「―――っ!」
「…ぁ…」

歯を立てかけたクッキーを唇に挟んだまま、ブルーはハーレイを見つめている。
気にしなくていい、食べなさいと口にしかけたその鼻先に、ずんと白い腕が伸ばされた。

「…ブルー…」
「んっ!」

食べろと言わんがばかりの行動に、ハーレイは微笑む。
そして、その手を掴むと「ありがとう」と口に運んだのだった。































-------- 20090314