The children's story for the grown-up
04












部下に手紙を渡したキースは部屋に戻る気にもなれず、庭に出ます。
綺麗な月の夜。
少し冷たい空気の中を、ただただ歩きます。
そこへ―――。





ゆらっと空気が動いた。
キースは唇を歪ませる。

「今夜は客が多いな」

呼びもしないのに、やってくる。
そう呟けば、苦笑と共に応えがあった。

「それはすまなかった」
「何の用だ、ハーレイ。命乞いなら聞かないぞ」
「おやおや……これはご機嫌斜めだな」
「…………………」

ハーレイは気にする様子も無く、話を続けた。

「今更命乞いなどしないさ。きちんと殺されてやるから、安心しろ」
「…ああ、そうだな…。出来れば、"アサシン"リッジや"マッド"キュネオあたりを
 道連れにして欲しいんだがね」
「ははっ。最期まで無茶を言う」
「抵抗もせず殺されるつもりなのか、ハーレイ」
「……さあ…」
「…………………」
「お前のことは好きじゃないが、この庭は好みなんだ」

特にこの時期は美しい。
木の花が咲き出す、早春は綺麗だ。

ハーレイはキースを見て微笑むと、くるりと視線をめぐらせた。
月明かりに照らされた木々をゆっくりと眺める。

「最期にもう一度見てみたいと思ったんだ」
「………変わった奴だ」

普通は愛しい女とかじゃないのか。
キースの台詞に、肩を竦める。

「生憎とそう言う相手はいない」
「…………………」
「強いて言えば―――お前だな」
「何だと…?」

思いがけないハーレイの告白。
ふざけているのかと上げた視線に、真っ直ぐにぶつけられたハーレイの瞳は
真剣だった。

「最期の願いだ、聞き届けて貰えないだろうか」

キースの表情が固まる。
まさか――――

「ブルーを解放してやって欲しい」

血が引いていくのを感じた。
逆光で良かった。
キースは心から思った。

「あの子はまだ若いが、強いよ。これからお前の庇護を離れても十分に
 やっていける」

お前だって愛しているんだろう、彼を。
だったら、もう手放すべきなんじゃないのか―――キース。








キースの計画は着々と進んでいきます。
不思議なくらい何も起こらず、いよいよ運命の当日。

独りキースの屋敷に残るハーレイ。
優しい光が溢れるサンルームで敵を待ちます。
前触れ無く開いた窓に拳銃を向けると―――そこにはブルーが居ました。







「何をしているんだ?!」

何も答えないブルーの表情は、初めて会ったときと同じだった。
無表情な人形の顔。

「ブルーっ!もう敵が来るんだぞ!さっさと出て―――」

ハーレイは口をつぐんだ。
ブルーに拳銃を向けられたから。

「ブルー…何を…」
「ハーレイ―――」



僕を連れて逃げて。



愕然として、言葉を失う。
カレハ、ナニヲイッテイル…ノダ…

動かないハーレイに、ブルーはいきなり感情を爆発させた。

「お願いだよ!もうキースの許では耐えられない!気が狂いそうだ!」
「…………………」
「僕は男に抱かれたくなんか無い!触れられるのも嫌だ!なのに
 キースは…っ!」
「…………………」
「嫌で堪らないのに、自分から足を開いて、喘いで見せなきゃならない!
 それを強要するんだ……嫌なのに…苦しいのに…」
「…………………」
「助けてよ、ハーレイ……」
「…ブ…ルー……」
「あなたなら、キースを敵に回したって逃げ切れるでしょう?」
「ブルー…」
「僕一人くらい連れていても、簡単でしょう?」
「ブルー」
「ここじゃない、何処かへ僕を連れて逃げてよ…!お願い、
 ハーレイ…っ!!」
「ブルー!」
「何処だっていいんだ、あなたの行きたい所へ、僕を―――」

ぱん。
渇いた音がサンルームに響く。
驚いた表情で横を向いたブルーの頬が、ぼんやりと色を変えていた。
銃を上から掴み、弾倉を固定して発射を不可能にしたハーレイが、
ブルーの頬を張ったのだ。

「落ち着きなさい、ブルー」

静かにそう言うと、横を向いたままのブルーの頬に手を沿え正面に直す。

「君らしくもない。落ち着いて、ゆっくり呼吸してご覧…そう、そうだ」

よく出来た。
ハーレイは大きな手で銀糸をかき回す。

「ブルー、よく聞いて欲しい。君の苦しみは分かる。だが、キースも君が
 思っているほど悪人じゃない。色々された君にはそうは思えないだろうが」
「………………」
「多分―――大丈夫だ。君は間もなく自由になれるだろう」
「……な……ぜ…………?」

言葉を搾り出したような問いに、ハーレイは答えた。
優しい、限りなく優しい笑顔で。



君は決して独りじゃないから。
少なくとも二人の人間には愛されてる。

もっと大勢から好かれているとは思うけれど。

でもこの二人からは、愛されてる。
心の底から愛されてるんだよ、ブルー。



そして、降りてきた唇。
温かくて、柔らかい。
そうっとブルーに重なる。

それが最初のキス。
そして―――最期のキスだった。



「―――ぅっ…!」

鳩尾に衝撃を受けて、ブルーが崩れ落ちる。
ハーレイの胸元に縋りつくが、もう腕にも力が入らない。
急速に薄れていく意識の中で、ブルーはひたすらに叫んだ。

いやだ、ハーレイ、いやだ…
ハーレイ…ハーレイ………ハーレイ…!

ハーレイも言葉を紡ぎ続ける。

これまでの事は忘れて。
自分の世界に戻りなさい。
ちょっと長い、良くない夢を見たのだと。
眼を覚ませば全て消えてなくなるのだと。
忘れてしまいなさい。
全部、忘れて―――。

瞼が閉じても、声は止まらなかった。
ブルーをその腕の中に封じ込め、囁き続けたのだった。

完全に意識を手放した銀糸を撫でる。
抱え直すと、もう一度口づけた。

出口に近いソファーまで運び、ポケットから携帯を取り出す。

「キース、聞こえるか―――」


























目覚めたときには、病院のベッドの上だった。
真っ白い天井が眼に痛かったっけ。

それからどうなったのか、僕は知らない。
自分から訊ねる事もしなかったし、教えてくれる人もいなかった。

キースは―――一度だけ見舞いに来た。

「身体はどうだ?」
「……大丈夫…」
「そうか………」

交わした言葉はそれだけ。
帰り間際に一言「お前は、もういらない」とだけ言い捨て、僕の返事も
聞かずに扉の向こうに消えた。
その後、姿を見せることはなかった。

僕は退院すると、ニューヨークに引っ越した。
キースの屋敷からは追い出されていたし、大学も休学届けを出さずにいた
所為で退学処分になっていたから。

これからどうしよう―――。
途方にくれていた僕に手を差し伸べてくれたのは、かつての担当教授だった。
大学を移り、今はニューヨークにいる。
こちらに来てまた学ぶ気は無いか、と。



僕は、この街にやってきた。
リュックサックを一つだけ持ち、愛犬を連れて。



新しい生活は何もかもが初体験で。
学費と生活費を稼ぐ為、バイトもした。
時給のものでは学業との両立はムツカシイので、率の良い"身体を張る"
仕事―――モデルだ。
そんなに大手のものじゃなくても、短時間でかなりの金になる。
奨学金が貰える様になるまでそのバイトを続けた。
今でも時々オファーがあったりする。

ゆっくりとだけれど、友人も出来た。
刺激的で、楽しくて。
何より学ぶことは、僕を夢中にさせる。
過去を思い出す時間も無いほど、僕は忙しい日々を過ごしていた。





卒製が終わり、同じ教授の下で学んできた友人たちと馬鹿騒ぎをした翌朝。
僕のアパルトメントのベルが鳴らされた。
時計を見て、僕は唸る。
まだようやく日が昇った頃だろう。
非常識にも程がある。
枕で頭を覆い、聞こえないふりをした。

でも、あんまり何度も鳴るものだから、僕はベッドから重い身体を引き剥がし、
ヨロヨロと階段を下りた。
二日酔いの鈍痛を内包した頭で、どう怒鳴ってやろうかと考えながら、
足を進める。

リンゴーン。
また鳴った――!
僕は小走りで階段を下り、勢い良くドアを開いた。

「何時だと思ってるんだ?!」
「これは失礼……ですが、もう夜は明けていますよ」

笑顔で会釈したのは、浅黒い肌に漆黒の眼をした男だった。
瞳と同色の短い髪は撫で付けられている。
落ち着いた色合いのスーツに、ごく薄いブラウンのストライプの入った
シャツを着て、にこやかに微笑んでいた。
低く掠れた声―――全く記憶にない男だった。

「"早朝"に失礼しました。こちらにアッシュビーさんがいらっしゃると
 聞いてきたのですが?」
「"こんなに朝早く"からご苦労なことですが、そんな名前の人物はここには
 いませんよ」

相手がからかうような言い草なのだから、僕の応対が"多少"無愛想でも
仕方がない。
ガウンを羽織った姿で腕を組み、男を斜めに見る。

「これはこれは……本当にお邪魔をしてしまったようですね」

男は「すみません」と背中を向けた。
口の端に笑いをぶら下げていたのは気に入らないが、早々にベッドに戻りたい僕は
その背中に挨拶を投げる。

「気をつけて…!」
「……ありがとう」

その言葉に身体が硬直した。
姿も、声も、違うのに―――僕の全身がそうだと告げている。

行かせるな、追え!
僕はその声に従った。

「待って!」
「はい?」
「尋ねる人が違うでしょう…」

男は振り返って小首を傾げている。

「アッシュビーさんはそちらには居ないのでしょう?」
「名前が間違ってる……」
「いいえ。私が訪ねたいのはアッシュ―――」
「違うっ!」

僕は靴を履いていなかったけれど。
歩道に飛び出した。

「あなたが探しているのは、僕だ…」
「一体何を…」
「そうでしょう?」
「………………」

男の目が怪訝そうに細められる。
人違いだったら、僕は頭のおかしい人に見えるだろう。
周りを歩く人たちも、僕から遠い所を足早に過ぎていく。

でも、僕には分かっていた。
間違いない、彼だ。

「僕に逢いに来たんでしょう…僕に―――」

ハーレイ…!

僕は裸足のまま、ガウンのまま彼に走った。
胸に飛び込めば―――広い胸に抱き止められる。
勢い余って後ろに倒れるけれど、彼の腕は僕を放さなかった。

髪も眼も、肌でさえも違っている。
声も、体格も、記憶にある彼ではない。

でも僕を呼ぶその響き、イントネーション、そして僕の名に込められる想いや
温度は変わっていなかった。

……ブルー…!

それは心地良く僕の中に染み込んでくるもので。
僕は何度もそれをねだった。

もっと、もっと名前を呼んで。
何度でも聞きたいんだ。

困ったように笑いながらも、ハーレイは応えてくれる。

ブルー
ブルー
…ブルー

その声はいつまでも通りに響いていたのだった。


















自家用ジェットのタラップを上がるキースは、駆け寄ってくる男を
認めて足を止めた。
ニューヨークに遣っている男だ。
トントントンと駆け上がってくると、キースに耳打ちする。

「そうか………」
「こちらのデータで一致する人物はありません。詳細なデータを取りますか?」
「…いや。今日のことも記録しておくことはない」
「ですが―――」
「監視は打ち切りだ。他の主に懐くような犬は必要ない」
「わかりました」

ひらりと手を振り下がるよう合図すると、タラップを上がった。
機内へのドアで立ち止まり、振り返る。
すっかり昇り切った朝日に眼を細め、キースは小さく「ふ…」と笑った。
某かを呟くと踵を返し、機内に消えたのだった。