ドクターは手を放すと、細いブルーの腕を上掛けの下に仕舞った。

「脈は若干早いですが問題ありません」

食欲もあるようですね。
カラになった食器を見て微笑む。

「少し、意識して食べようと思ってね」
「良い心掛けです。今日はもう検査はありませんから、ゆっくりして頂いて結構ですよ」
「うん、ありがとう」

では、と立ち去りかけた乗るノルディーをブルーは呼び止めた。
頼みがある、という言葉に何でしょう?と視線で問う。

「君に頼む事じゃないのだけれど……」
「私でお役に立てることでしたら」
「ありがとう……」

言葉を次がず、言い淀むブルーに身を近づけた。
ブルーは直ぐ側にある耳にだけ届く、小さな小さな声で囁く。

「………」
「―――――!」

ノルディーははっと顔を上げ、やや頬を紅潮させたブルーを見やった。
そして、笑った。

「おめでとうごさいます」

きょとんとするブルーに宣言する。



医療セクションで出来ることはもうありません。
あなたは退院です。










motto zutto 02










やはり、正面から彼を見ることは出来なかった。
では、彼はどうだったのか。
それも私には分からない。






執務時間終了を待って、ハーレイはブルーを迎えに行った。
昨日はあれほど高揚していたのに、いざその時になると足が竦む。
通路を歩む間にハーレイは、幾度も己を鼓舞しなければならない有様だった。

それでも何とか到着し、これから何処へお連れしたら良いものか、悩む彼にブルーは告げた。
君の部屋に行きたい、と。

「私の部屋…ですか?」
「ああ。迷惑かもしれないが…少しの時間で良いんだ」
「迷惑などということはありませんが…」
「では、頼む」
「………はい…」

部屋に着いて。
辺りを見回すブルーから、ハーレイは少し離れた場所にいた。
重いマントを外し、銀を基調にした見慣れた服のブルーは酷く細く、儚くすら見える。
何かお飲みになりますか、との問いに「紅茶を…頼む」とだけ答えた。

ぎこちない空気に、ハーレイは息が詰まりそうだった。
話したいことは沢山、有りすぎる程なのに―――――。
何から、またどう始めたら良いのか分からない。

紅茶をテーブルに置き、再びブルーと距離を取ったハーレイの唇は、開いては声を出さずに
閉じるという行為を繰り返す。
次第に俯いてしまい己の足下を見つめるハーレイだったが、ブルーの言葉に弾かれたように
顔を上げた。

「すまなかった」

真っ先に君に礼を言わねばならなかったのに。
僕は…………すまなかった。

背を向けるブルーの表情は分からない。
声も抑揚が無く、台詞を読んでいるような感すらある。

「君は―――――どうしたい?」
「……何を…です…?」
「これから、さ」

これから…?
呟いたハーレイに、ブルーは「そう。これから」と低く言う。

僕はこれまで君の意志を尋ねたり、確認したりした事が無かったように思う。
君はいつも…必ず付いてくる。
そう思いこんで、それを君に押しつけて来た。

違うだろうか…?

「そんな事はありません!」
「そうかな…。
 君はそれで―――――本当に良かったの?」

少し首を曲げて、後ろに言葉を投げる。
肩越しにブルーの横顔が見えた。
寂しさを漂わせて。
微かに微笑んだようだ。

勿論です!
一歩前に進み出たハーレイは、語気を強めて言う。

「私の時間の全ては、あなたの為にあった。それが…私の誇りです…!」

ブルーは再びハーレイに背中を向けた。
静かに言葉を紡ぐ。

「君の言葉はとても嬉しい……勿論信じない訳じゃないのだけれど―――――」
「では―――――!」
「だが、僕の話を最後まで聞いて欲しい」

それから、返事をくれないか。
ブルーの意識は時間を遡り始めた。



















最後に両目で見たのは、視界いっぱいの青い光。
直後、右目に焼け付く痛みを感じた。
ジョミーに…皆のことを頼んで―――――意識はそこで途切れる。
その後、どうなってあの男に捕らえられたのか、僕には分らない。

目が覚めたら、あの男が傍にいた。
マツカという青年も一緒だった。
ミュウだった、その青年は。

そう、キースはミュウを傍に置いていた。
何故だか、理由は知らない。
キースはどう思っていたか分らないが、マツカという青年はとても彼を慕っていたようだった。
命を懸けて、彼を守ろうとしていたよ。

君…みたいにね……

そこで告げられた。
僕のサイオンが枯れたことを。
わざわざ首都星から研究者たちが来ていてね、捕らえた僕を調べたそうだ。
彼らの研究材料にすらならないと云われたよ。

まあ、無理もない。
あれだけ放出してしまったのだから。
でも後悔はしていない。
あれは、破壊せねばならないものだったからね。
でも―――――…。



その場で……抱かれた、あの男に。
組み敷かれた直後は、メンバーズエリートも所詮人の子だと思った。
捕虜を嬲って、悲鳴を上げさせることが快感なんだと。

でも、それは間違っていた。
あの男の中には、そんな感情はなかった。
プログラムされていたから、そうインプットされていたから、それが人間なんだと書き込まれていたから
僕を犯したんだ。
そう感じるくらい、あの時のあの男の中には何も無かった。

それに、僕にそんなことをするのには理由があった。
僕からミュウの情報を引き出すため。
マツカにサイオンを使わせて、僕の頭の中に侵入するためだったんだ。

始めは、抗った。
だけど―――――。

僕は洗いざらい吐き出させられた。
君たちの事、シャングリラの事、あの子供たちのこと…全て…。
取り返そうと無けなしの力を使ってもみたけれど、あの男には通用しなくて。
僕のしたことが、君たちに害を与えてしまった。



いや、そうなんだよ。
僕が君たちを危険に晒した。
ソルジャーであったのにね……。




散々酷いことをされたよ。
でも、あの男はその後きちんと治療を施してくれた。
捕獲された直後の治療もそうだが、その事だけはあの男に感謝しなければならないな。
僕がこうしてシャングリラに戻ってこれたのも、彼のお陰でもあるのだから。

だから…かな。
最初は無理やりだったが、回数を重ねていく内に僕は―――――。
あの男の術中に嵌ったという事もあるけれど―――――。

僕は、自ら手を伸ばした。
好きだ、愛していると。
抱いてくれと。



僕は……君を裏切ってしまった。



彼に心も身体も許して、僕は声を上げた。
あの男に施された手術のお陰で、己のみっともない声も姿もよく聞こえたし、見えたよ。

足を開かれて、貫かれて…僕はあの男に縋りついた。
大声を上げて、善がって………。
正直、気持ち…良かった…とても…。

玩具のように扱われて、そこには感情の欠片も―――いや、何某かはあったように思う。
もしかしたら、愛されているかもしれないとすら感じたことも、あった。
……あったんだ。



その後もずっと嬲られたよ。
あの男だけじゃない。
その部下の者たちにも。

その度に僕は―――――。





ブルーの話は時間軸に沿って淡々と進み、その後も声を荒げたり語気を強めたりと
感情を露にすることは無かった。
ハーレイも、そうだった。
立ち尽くしたまま、瞬きもしていないのではないかというほど動かない。
だが、背中の火傷の件ではぴくっと身体を震わせて息を呑み、その後押し殺した息を漏らした。
動いたのは、その時だけ。
ただ一度―――――。




















「―――そうして僕は還ってきたんだ……」

二人の間に怖いくらいの静寂が流れる。
1分、2分……時間は過ぎていくが、二人は口を開かない。
背を向けたままのブルーと、視線を逸らすハーレイ。
そのハーレイの好むアナログの時計が時を刻む音だけが響いていた。

澱んだ空気が動く。
俯いていたハーレイが顔を上げた。
動かないブルーに、言う。

「私が終わりにすることを選んだら、あなたはそれに従うと…?」
「……うん………いいよ……」

語尾が震えた。
同じように震える身体を、ブルーは必死に押し止めようとする。
きゅっと唇を噛み、答えた。

「君が…そう言うのなら……僕は、いいよ…」

君に従おう。
声はまた、震えてしまった。
でも言えた。
ちゃんと。
ブルーは、ふっーと息をついた。

だが―――――。
離れた場所にいるハーレイにも分るぐらい、細い背中が震えている。
カタカタ、カタカタ…音まで聞こえて来そうだった。

ふ…。
見つめるハーレイの唇から、笑いを伴った息が零れる。

「私が…そんなことを言うと思いますか…?」
「…………」

ハーレイは足を踏み出した。

「私がそんな道を選ぶとでも…?」
「……………」

ゆっくり、ゆっくり。
震える背中に近づく。

「あなたの口から聞かされた内容はショックでしたけれど…」
「……………」
「私はそれ以上の地獄を知っている」



目の前で、愛しい人を失うという、生き地獄を。

愛しくて愛しくて、思うだけで胸が苦しくなるくらい大切な人が
手の届きそうな場所で、為す術無く消えていく。

己の力の弱さの所為で。
自分の浅慮の所為で。

その様を見せられた………。



ハーレイはブルーの真後ろに立った。



泣くことも、眠ることも出来ずに、
己の空腹感をすら呪い、
鼓動を止めない胸を殴り、
定期的に息をする事を不思議に思う。

屍と変わるところを探すのが難しいような状態の、
そんな私を動かしたのは、あなたとの約束だけだった。

『君たちが支え、助けてやってくれ。
 頼んだよ、ハーレイ』

その時のあなたの微笑み、触れた手の感触と体温だけが私の支えだったんです。
こうやって、私を生かしてくれたあなたを、再びこうして―――――



ハーレイは、振り向かないブルーを抱き締めた。
本当は一刻も早くと気持ちは逸って、その思いはどうしようもなく
身体中を駆け巡るのだけれど。
それをハーレイは必死に堪えてブルーを抱き締める。
焦らずにゆっくり、そうっと優しく…けれど、力を込めて強く。

「腕の中に抱くことが出来た」

更に力を込める。

「その私が、あなたを拒むなんてあると思いますか?」

ブルー……。
腕(かいな)と胸の間に閉じ込めた、小さい身体の震えが大きくなって―――。

ぽたり。
手の甲に感じた温かい水滴。
それは見る見る数を増し、ハーレイの手を腕を濡らしていく。

「ブルー…」
「そう…言うだろうと……思ってた……」















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