避けられている
その事には気が付いていた















motto zutto 01















「では、本日はこれで」

ドクター・ノルディーが扉の向こうに消えた。
静けさが辺りを支配する。
ブルーは、改めて部屋を見回した。
淡いベージュと薄水色を基調とした個室は、医療セクションのものだ。
既に5晩を過ごしたブルーは、この部屋が如何に人の心を穏やかにするかを実感していたけれど、
でも"ここが自分の居場所では無い"という思いを拭いきれずにいた。

青の間は、もう自分の為のものではない。
そんなこと、頭の中では理解しているのに、心が気持ちが付いていかない。

いつかは慣れるものなのだろうか。
それとも、それを受け入れる前に自分の命の炎は―――――。
ぼんやり象を結んだ人影に、胸の奥の深いところがきゅっと痛む。
浮かんだ、その姿がはっきりとする前に、ブルーは頭を振った。
彼の人を、追い払う為に。

なのにブルーの深い紫の瞳は、その中心に扉を捕らえていた。
そう、追い払おうとした彼が訪れるのを待っているのだ。
まだブルーのサイオンが枯れる前、青の間で寝起きしていた頃には、仕事を終えた彼が毎夜訪れていた。
その頃と同じように、夜が更けるとつい扉を眺めてしまう。
キースに捕らえられていた時には、一度としてしなかったのに……。

ドクターが去った以上、今夜はもう開くはずのない扉を見つめていて、不意に気がついた。
向こうに、誰かいる。
ブルーの身体が、びくっと震えた。
帰還してからのブルーには"扉の向こうを透視する"という、たったそれだけのことすら出来ない。

一体、誰なのか。
まさか……いや、そんな筈はない。
あれだけ、拒否し続けているのだ。
彼が来る筈が無かった。

その扉の向こうから、"声"がした。
控えめで静かで、優しい女性のもの。
ブルーの短くない記憶の中で、彼女の印象はずっと変わらないでいる。

「エラ、お入り」
ブルーは口に出して、そう言った。






「夜分にすみません、ソルジャー」

ブルーの顔が、困ったように微笑んだ。
この部屋を訪れるものは、皆彼をそう呼ぶ。
最初は"今のソルジャーはジョミーだよ"と否定してきたが、当のジョミーがそう呼ぶのを聞いて
一々反応するのを止めた。
300年も呼称してきたのだから、今更ブルーとは呼びづらいのだろう。
直そうと思ったら、同じだけの年数が掛かる。
ブルーはそう思うことにしていた。

突然の来訪を詫びながらベッドサイドまで静かに歩いてきたエラは、ブルーを見て微笑み
「お加減は如何ですか?」と云ったきり口を噤んでしまった。

もう大分良いんだよ。
助けに来てくれた君たちのお陰だ。
そう答えても、エラは視線を泳がすばかりで。
どうしたの?と問えば、俯いて唇をかんでいる。

シャングリラを離れ、1艦のキャプテンを務める彼女がわざわざ訪ねてきたのだ。
どんな心配事なのだろう。
ブルーはベッドから身体を起こし、エラの手にそっと触れた。柔らかくて暖かい。
でも、今のブルーには彼女の心に触れることは出来ない。
分かったのは、彼女が酷く緊張していることくらいだった。

「エラ?」
そう言って、俯いたままの顔をのぞき込む。
途端、エラが身を屈めた。
ぶつかるように唇を押しつけられて―――――ブルーはエラに口づけられていた。

驚いて2度瞬きすると彼女は素早く身体を離し、両手で覆った唇で小さく「すみませんっ」と叫んだ。
エラの顔は、茹でられでもしたかのように真っ赤になっている。
逃げるようにくるりと背を向けた彼女の手を、ブルーはぎゅっと掴んだ。

「エラ!」
逃げないで!と強く願えば、掴んだ手から肯定の返事が伝わってくる。
ベッドに座るように促し、彼女が落ち着くのを待った。

手を離さないまま、エラはブルーに背を向けている。
その手は小刻みに震え、見えるうなじにはまだ羞恥の色が残っていた。
けれど、彼女は顔を上げ、すっとブルーに向き直った。

「すみませんでした」
「うん。ちょっと驚いた」
「…ごめんなさい…」
「ううん。謝らなくて良いよ―――でも、どうしたの?」

ブルーの問いに、エラは小さく息を呑む。
2,3秒呼吸を止め、ふうっと吐いた。

「ずっと……お慕い申し上げていました」

おずおずと伸ばされた手は、でもしっかりとブルーの柔らかい銀糸から耳を撫で下ろす。

「あなたがこういう姿であった頃から、ずっとです」
「……………エラ……」

ブルーは、知っていた。
彼女が自分を、自分だけをずっと見ていたことを。
寄せられる、静かだけれど熱くて、とても激しい想いも。

ブルーの顔が僅かに歪む。
同時に判っていた。
彼女に応えられない、自分の気持ちが。

エラは呟くように言葉を紡ぐ。

嬉しかった。
あなたが嫌がらないでいてくれた事が。
見ることを、想うことを許してくれた事が。
本当に嬉しかったんです。
ありがとう。

「―――僕は……!」

エラは静かに顔を振る。

「いいんです」
微笑んで云う。

この想いを言葉にして伝えたかった、ただそれだけなのです。
1艦を預かり、戦場に立って、やっと気がつきました。

明日が来るのは必然じゃないって。
300年近くも生きてきて、今頃………。
後悔という言葉の、本当の怖さを知ったんです。

だから、あなたに伝えたかった。
生きているうちに、生きているあなたに。
後悔したくないから。

瞳は今にも泣き出しそうなのに、エラの微笑みは深くなっていた。
ブルーの手から、すっと自分のものを外す。
呆然と見上げるブルーにもう一度「ありがとう」と云うと、立ち上がり会釈した。

「おやすみなさい」
そう一言残して、扉の向こうに消える。
来た時と同じように、静かに。

ブルーの視線はエラの姿を追い、辿り着いた場所から動かない。
その脳内では、去り際に彼女が"残した言葉"が回っていた。

あなたも、後悔なさいませぬよう。

紫の瞳は瞬きを忘れたかのように、ただただ扉を見つめ続けていた。










帰還したのに、二人の様子がおかしい。
最初に気がついたのが、エラだった。
はっきりとした原因は分からないけれど、拒否しているのはブルーらしい。
そのことが判って長老たちは幾度と無く会を持ったが、良い案は浮かばない。
こういう事に首を突っ込むのは非常に無粋な上に、本来するものではないとは皆解っていたが、
けれど放っておくことも出来なかった。
ブルーの残された時間を知っている彼らに、見ないふりなど到底無理だったから。
結局、遠回りにでも直接諫言するしかないだろうと結論し、では誰がとなったとき、
手を挙げたのがエラだった。










扉が閉まるや否や、エラは背中を押しつけた。
もう、限界だった。
胸と口を押さえる。嗚咽が漏れた。

「…エラ…」
エラは声の主を見る。
涙声で、その名を呼んだ。

「ブラウ、私―――失恋しちゃった………」
「………うん。頑張ったね」

エラは手を伸ばし、ブラウの首に回した。
抱きつき、肩口に顔を埋める。
声を殺して、泣いた。












一方ハーレイの方にも、長老のメンバーが訪れていた。
執務が終わりいきなり押し掛けてきたゼルに始まり、ヒルマンはこの3時間でもう3度。
二人とも、奥歯にとてつもなく大きな物の挟まったような言い方であったので、
何を云いたいのかさっぱり分からなかったが、今夜の最後の来客でやっと理解出来た。

不器用でお節介な連中だと思わず苦笑したが、それでもありがたかった。
ハーレイにはもうどうして良いか解らなかったから。
あの冷たい視線と態度、それに完全に自分の思念をシャットアウトし続ける彼の心。
ならば直接会いに行けばいいとは思うのだが、それら拒否されているという事実がハーレイの足を
動かなくしていた。
はっきりと言葉にされたら―――――想像するだけで、身体が震える。





「おかえり…なさい…っ!」

シャングリラに戻り、人類統合軍の小型艇から降り立った求めてやまない彼の人とハッチで
視線を絡ませた、その瞬間分かった。
避けられている。

「……ああ。心配をかけた」
あれだけ会いたいと願ったひとなのに、交わした言葉はそれだけ。
抱擁はおろか、握手すら無い。
ソルジャーシンたちと合流しミュウ全体が喜びに包まれても、ハーレイの心の中に出来た
冷たい塊が消えることは無かった。





おまえはもう要らないよ。

そう云われてしまうことが恐ろしかった。
ハーレイは、とても怖かったのだ。




今夜の最後の客はドクターノルディーだった。
ブルーが帰還してからは毎晩やってくる。
いつもの残務で深夜になってしまったことを詫びながら、中に入る。
ハーレイは向かいに座るように促し、目の前のグラスに琥珀色の液体を注いだ。
カチンとグラスを合わせると、二人は暫く無言でグラスを傾けていたが、
「ソルジャーブルーは、どうだ?」
ハーレイが口火を切った。

ドクターは首を横に振る。
「少しずつ良くはなっているが、酷い状態なのには変わりない」

耳と目に、無理矢理受けさせられた手術。
サイオンの過度の使用による極度の衰弱。
虐待され続けたのだろう、身体の傷。
そして、何より―――背中の火傷。

既に報告は受けているものの、改めてドクターから聞かされると込み上げてくるものがある。
ハーレイは俯いて、拳を握り締めた。

「身体もそうだが、一番は精神状態だな」
その言葉におもわず顔を上げた。

「お前と話をしようとしないじゃないか」
「ドク―――――」
「みんな心配しているんだよ、ハーレイ」

長老方に毎日尋ねられるんだ、キャプテンは来たのか、と。
硬直するハーレイに、ノルディーは肩を竦めて見せた。

ブルーとの関係は、隠してきたつもりだった。
恋人同士のような関わり合い方はどちらかの部屋でのみであったし、一歩外へ出たら二人には
それぞれ、決して軽くはない役割があったのだから。

でも、バレてたか………。
思わず漏れた笑いは苦笑である筈なのに、意外に温かくて。
皆が知っていてくれたということが自分は嬉しかったのだと、ハーレイは気づいた。
認めて、見守っていてくれてた、そのことが嬉しい。
ああそうか…。だから彼らは…。
今頃ゼルとヒルマンの来訪の意味が分かった。

「ハーレイ、明日、来ないか?病室に」
「俺は………」
「ずっと、そうして待つつもりなのか?」

彼の時間はもう長くないのに?
ドクターの言葉が胸に突き刺さる。

そんな事は云われなくても分かっていた。
かつては見る者を圧倒するような輝きを放っていた彼の命の炎が、細く小さくなり
揺らめいている事なぞ、とうに気がついていた。
こうしている間にも、消えてしまいそうなことも。
でも、だからこそ―――――。

「ブルーが……ソルジャーブルーが、静かに過ごされたいとおっしゃるのなら―――」
「おまえはどうしたいんだ?!」

畳みかけるように、ドクターが云う。

「それで良いのか、本当に!」
「……………」
「このまま、逝かせてしまうのか?!いいのか、それで!!」
「いい訳がないっ!いい筈が無いだろう…っ…!でも―――――」

大きな声を上げ、立ち上がってしまったハーレイに、ノルディーは静かに云った。
幼子に噛んで含めるかのように、ゆっくりと丁寧に。

"でも"は要らない。
その先の言葉は必要無いよ、ハーレイ。
このまま独りで彼を逝かせてしまう事以上に怖いことなんかないだろう?
違うかい、ハーレイ?

強張った顔が弛み、崩れ落ちるように椅子に座った。
肩を落として深く俯いている。
ノルディーは立ち上がり、ハーレイに歩み寄るとその肩に手を置いた。
ぽんと軽く叩いて、「じゃあな。ご馳走様」と出ていく。
ハーレイは、言葉を返せなかった。



















翌日、夕刻。
必死の思いで足を進めるハーレイが、ブルーの病室に辿り着くことはなかった。
途中でノルディーに呼び止められたのだ。
今日は来なくていいと告げられ、さあっと顔色が変わる。

「ソルジャーに何かあったのか?」
「いいや」

ノルディーはくすっと笑って、昨日と同じように肩を叩いた。

「明日にしてくれ」
「お加減でも悪いのか?!」
「いや、悪くはない」
「では―――――」
「明日退院だ」

迎えに来て欲しい、だとさ。
最後に続いた言葉に、思わず「誰が?」と問うてしまった。

「ソルジャーブルーに決まってるだろう!」
「―――――!」

この私をメッセンジャー代わりだ。
とんでもない患者だよ。
云いながら、戯けて片目を瞑って見せる。

来るだろう?と念押しされ、ハーレイは頷いた。

「必ずお迎えにあがります、とお伝えしてくれ」

何だい、おまえもか。
呆れたように云うノルディーだったが、その顔はとても嬉しそうで。
彼もまた気遣ってくれていたことを、改めて知る。
ハーレイは頭を下げた。

宜しく頼む。
ああ、必ず伝える。

そう言って別れた。





その夜、二人が眠れたのかどうか。
ブルーの病室はそうそうに灯りが消え、ハーレイの部屋はいつまでも明るかったという。


















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