キャプテンに言われていなければ、気にも留めなかった。
民間の輸送船の定期通信。
向けられた船は、シャングリラの先にいるのだろう。

彼らがいるであろう場所、そこはもう自分たちミュウの制空圏内だ。
SD体制から脱し、人類統合軍の庇護も離れた惑星。
そんなところにも商船を出す。
ヒトが生活しているのだから、当然商売の種も転がっているのだろうが、
どうなっているかも確認出来ない場所によくもまあ―――――
逞しいことだと思い、ルリはくすっと笑った。

その信号がルリの気を引いた。
ただの信号にしては、重い。
ルリは内容を確認した。
寄航場所の確認や、発注の内容。
ちょっとした手紙の中に―――――暗号化されたファイル。

人類サイドで使用されている暗号化方法の全てを試した。
軍専用のものでも開封を試みた。
でも、開かない。
自分が試したのは勿論、使われている方法の全てではない。
主立ったものだけだ。
だから開かないものがあっても、それ程不自然ではないが………何かが引っかかる。

『君が少しでもおかしいと感じたものは、全て私に送って欲しい』

ルリはデータをハーレイの許に送った。





30分後。
小さな会議室にミュウ首脳部の面々の姿があった。
面々とはいっても、他艦のキャプテンを務めるゼル、エラ、ブラウはモニター画面越しになる。
呼びかけたハーレイが説明を終え、室内は静まり返った。
あまりの内容に声の無い長老たちを尻目に口火を切ったのは、トォニィだった。

「罠だ。そうに決まってる」
「何故そう言い切れる?」
「冷静に判断すれば当然だろ?!統合軍が戦いもしないで首都星を放棄する?
 そんなの不自然だ」
「同感だね」

画面の向こうでブラウがため息を付き、頭を横に振った。
ブルーが生きている事は信じたい。でも―――ありえないよ。
ゼルもエラも頷く。
黙って聞いていたジョミーが顔を上げた。

「ハーレイは……」

地球へ進んで行くに連れ人数が増え、シャングリラ単艦では収拾が付かなくなり艦を増やした。
2艦になり、3艦に増え、今は全部で4艦になる。
それぞれの船にキャプテンが出来て、ジョミーはハーレイを必ず名で呼ぶようになった。
かつてのブルーのように。

「ハーレイは、どうしてこれが信じられるものだと思うんだ?」

真っ直ぐな瞳。
受け止めたハーレイは目を細める。
懐かしい紫の瞳を思い出して。

「はい。理由はこれの暗号化の方法です。使われたのは我々がアルタミラを脱出して
すぐに編み上げたものなのです」

ふうっと一息吐き、ハーレイは続けても?と目で問う。





細かい変換方法まで説明し、ハーレイは座った。
長老たちアルタミラ脱出組は益々声を失っている。

遠い過去に確かに使った覚えがあった。
何度も、何度も。
送った記憶も、受け取った記憶も。
そのプログラムを組み上げたのが、ブルーとハーレイだったことも憶えている。

本当に生きているのか、彼が。
ゼル、エラ、ブラウ、そしてヒルマンの表情に驚きと喜びが浮かんだ。

でも僕は信じられない。
トォニィが云う。

「暗号化の方法なんて幾らでも手に入れられるじゃないか。問題は内容だ。
 ほぼ全軍をそこに集めている国家騎士団は、ノアを決戦地と決めてるってことだろう?
 そこを何で放棄するんだ?理由が無い」

ハーレイは答えない。

「首都星じゃなかったら、奴らは何処を守ろうというんだ?」
「…………………」
「―――地球だ」

皆が一斉にジョミーを見た。

「僕らが目指すものが、本当にそこに在る。彼らの行動はそれを裏付けている」
「目指すものって―――――教えて欲しい」

トォニィが膝に縋る。
ジョミーは鮮やかなオレンジの髪を撫でたが、視線を落とさず宙を睨んで言った。

「グランドマザーの本体。SD体制の根幹だ」

僕たちが倒さなければならぬものだ。
ジョミーの言葉に、長老たちは頭を垂れた。

「あれを破壊しなければ、僕たちは勝ったとは云えない」

そうでなければ、ブルーを地球に連れて行けない。
その"声"は、ハーレイにだけ届いた。

あなたにしか分からない"何か"がファイルにあったんだね?
だから、素直に信じられるんだ。
そうでしょう、ハーレイ?



ファイルの最後にあった"b"。
忘れようとしても忘れられない手による文字。
もう二度と見ることが無いと、諦めていた文字を見て、涙が溢れた。

僕は生きている。
僕はここに居る。

そう訴えかけてきた。

もうすぐ帰るから。
飛んで帰るから。
だから、待っていて……ハーレイ…!

文字から、その言葉が心に流れ込んできた。
開いたのが自室で良かった……。
ハーレイはしゃがみ込み、声を殺して泣いた。



思い出して少し恥ずかしくなる。
でも―――――頭を上げ、微笑んだ。
間違いありません、これはブルーからのものです。
ジョミーに、そう応えた。















― 帰還04 ―















ゼウスに乗艦して来たそれを見て、グレイブは目を剥いた。
黒い人類統合軍の制服に身を包んでいるが、これは―――――!

華奢な身体。細い手足は、まだ少年のものだ。
両手首は金属の拘束具で固められ、両足には辛うじて歩けるだけのワイヤーが渡されている。
顔の半分を覆っているのは口枷だった。
銀の髪に赤と紫のヘテクロミアの瞳。それは不自然なほど焦点を結んでいない。
視力を奪う薬物が投与されている…?
気が付いたのだろう、脇でミシェルが息を呑む。
人類ではありえないアルビノの生き物。
しかし何よりも目を引くのは、彼の細い首に巻かれた銀の輪―――――サイオン抑制装置だった。

「こいつは何だ、マツカ」
「…元帥の―――――」
「愛玩物か」

驚きに目を見開いたマツカの脇で、ブルーの身体が大きく揺れた。
倒れる方向にいた警備の兵士が、わっと逃げる。
ミシェルが檄を飛ばした。

「話には聞いていたが……本当にミュウを飼っていらっしゃるのか、あの方は」
「部屋に連れて行くように言われています」
「閣下の部屋に急ごしらえで"檻"を作ったが、大丈夫なのか」
「……もう、殆ど能力は残っていないそうです」

グレイブは顎をしゃくり、許可を与えた。
ブルーの背に手を当て通路に消えたマツカを見やる。

あれがミュウ……しかもオリジンだと…?
あんなに細くて子供のようなものが……?
我々の敵対しているミュウとは…結局、何なのだ……





ゼウスの最上部に近い場所にキースの部屋はあった。
ガラス越しに宇宙が見える。

部屋に入りマツカが最初にしたことは、ブルーの首に取り付けられたサイオン抑制装置の
レベルを下げる事だった。
最強にして既に2時間。
金銀妖瞳の目が虚ろなのは何も薬物の所為だけでは無いと、彼の混濁しつつある意識に触れて
分かっていたから急いだ。

銀の環がぼんやり輝き、すっと光を失った。
俯いてベッドに座っていたブルーが、ゆっくり顔を上げる。
跪き、手首と脚の拘束を外すマツカに話しかけた。

「着いたのか…?」
「はい。ここはキースの部屋です」

目の前に自分の手を翳すブルーに、申し訳無さそうに言う。

「目の薬の効果はあと1時間くらい続きます。切れるまでは僕が付いていますから、何でも
 言って下さい」
「……そう……」

じゃあ、珈琲が飲みたいな。
ブルーの言葉に、マツカの顔がぱっと輝いた。
彼から何かを頼まれたのは初めてのことだった。

「そうですね。もう間もなくキースも乗艦しますから、淹れて来ます。
 すぐ戻りますけど、独りでも大丈夫ですか?」

見えない目を向けてブルーは頷いた。
ありがとう。
微笑みと共にくれた言葉にマツカも笑みを返す。
すぐ戻りますね、と言い残し部屋を出て行った。



目が見えないというのは、存外集中するには良いかも知れない。
寝転がり、僅かに明るさを感じるだけの瞳を天井に向けた。



『そこがミュウの墓場だ』
『私がミュウを根絶やしにする』
キースの台詞が頭を巡る。

何の為に縋るハーレイを振り切りメギドを破壊した。
あんな屈辱を受けながら、それでも生きようと考えたのは何の為だ。
昨夜の自分の弱気に腹が立つ。

根絶やしになど、させない。
勝って、生きてあの場所に戻る。

絶対に。



気になることもあった。
軍内部のミュウ因子を持つものの発生。
それはエンディミオンとキース配下の国家騎士団に顕著で、多くの者が木星に
送られたようだ。
人間がミュウを忌み嫌う理由の一つ、実験データは無いが伝説のように囁かれ続けた
"接触した者のミュウ因子を発露させる"という命題が、皮肉にもこんな場面で
証明された事になる。
それに―――――自分に対し異常なまでに執着をみせるキース………

自分はここに居てはいけない。
居るべき場所ではないのだ。 
ブルーは低く、しかしはっきりと呟いた。



意識を、集中する。
今度は自分がネットワークに入るのではない。
自分の中に取り込むのだ。
意識を飛ばすことなく、以前作っておいた侵入場所を探し出す。

―――――あった。

光の奔流が流れ込んでくる。
ブルーの身体が、くんと反り返った。
体の中に取り込まれ、再び流れ出ていく膨大なデータ。
それに飲み込まれ、押し流されそうになる。

支配するのは―――――私だ……!

深紅の両眼が、更に輝く。
微かに震える身体。

1分、2分…。
ブルーがふうっと息を吐き、起き上がった。

視神経は未だに回復しない。
だが、ブルーには全てが見えた。
あらゆるものを苦しいほどに知覚出来る。
達成感に口角が僅かに上がったが、表情はすぐに引き締められた。

マツカが来る。
始まる―――――





「すみません、遅くなりました………えっ!?」

手にしたトレイに珈琲カップを一つ載せたマツカが硬直した。
扉が閉まった途端、向けられた銃口。
ブルーの射る様な視線に、本気であることが知れた。
しかも彼の着ている服は―――――忘れもしないメギドの内部で初めて会った時のもので。

「ブルー……目も見えないのに―――」

ブルーは無言で引き金を引いた。
マツカの頬に赤い筋が浮かぶ。

「……あなたは……」

粗末な収容所のものでは幼く見え、黒の人類統合軍の制服では自分よりも更に細く折れそうな
身体が痛々しかった。
肩と腰に弾痕があるものの、白と紫と銀で構成されたミュウの服は、やはり彼に似合っていた。
より大きく、堂々と、前にいる者の頭を垂れさずにはおかない強さを感じる。
でも、僕は―――――

「出て行かれるおつもりですか」
「退け」
「させませんよ…っ!」

全身が緑の光を帯びる。
トレイを投げ捨て、シールドを貼りながら間合いを詰めた。
飛び退りながら撃ってくると予想したブルーの身体は、次の瞬間目の前にあった。
揺らめく銀の髪の向こうで、紫のマントが翻っている。

何て速さだ!
舌打ちしている間もなく、手のひらで青白く輝く光の玉、サイオンの塊をぶつけられた。
まともに喰らったマツカの身体は、壁に激突する。

「―――っ!」

酷く背中を打ちつけた為、激痛で息が出来ない。
だが、目の前に優雅な影が立つと、再び緑光を立ち上らせる。
その肩をブルーが押さえた。
意外なほど強い力に、マツカは立ち上がることが出来ない。

「あなた、弱ってたんじゃ…!」
「……ああ」

ブルーは、睨むマツカに少しだけ微笑んで見せた。
悪いが、と額に手を当てる。

「……少しだけ、分けてもらう」
「―――わぁぁ…っ!?」

ひんやりとした手の平から、何かが吸い出されていく。
力が抜けていく。
程なく脱力は全身に広がり、マツカは座っていることすら出来なくなった。
床に倒れる。
ようやく手を放したブルーの頬はやや紅潮し、額にはうっすら汗が浮かんでいた。

マツカは途切れつつある意識の中で、キースを呼んだ。
だが、応えは無い。
キース、と呟く。危険です、危ない、と。

喋るな。
跪いたブルーがマツカの目を手で覆った。

「ここは"檻"の中だ。いくら"呼んで"も、彼には届かない。無駄に力を使うな」
『ならばあなたも出られない筈だ。こんな事をして、どうするつもりです…』
「出て行くさ。正面から、堂々と」

手から流れ込んでくる強い意志。
あなたたちはそっくりだ。
マツカの"呟き"には答えず、ブルーは立ち上がった。

「君は暫く動けない。医療班を呼んでおく」

君の珈琲を一度飲んでみたかった。
その声を残しブルーの姿は宙に消えた。











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