シャングリラの一室。
ずらりとモニターが並ぶ。
部屋はキーボードをタッチする音や紙をめくる音が響くほど、静かだった。
テラズNo.5から引き出された膨大な情報。
ヤエが頭となり、電子情報技術に詳しいものを集めて、その解析が
行われているのだった。

時間の許す限りハーレイも足を運ぶ。
知りたいことは山ほどあった。

SD体制の根幹。成人検査。
パルテノンや元老に代表される、人類の行動を決める意思決定に関わる事。

それに、地球やミュウに関する事――――――

地球に関してのデータ自体は驚くほど少なかった。
座標や惑星としてのデータが在るのみで、後は自分たちミュウでも目にした事のある
イメージのような映像のみ。
その白い雲の下、どんな生活が営まれているのか―――それを示すものは
何も無かった。

代わりでは無いのだろうがミュウに関するデータは膨大で、その全てに目を
通すまでに幾日かかるか…
この部屋のかなりの人数が、その分析に割かれている。
顔を出したハーレイもその列に加わった。

データ一覧の印字された紙を繰る。
その手が止まった。頁を戻す。

視線が、今意識の隅に引っかかったものを探して、再び文字を追う。
ハーレイの暗褐色の瞳は短い単語に吸い寄せられた。
最近ミュウの研究施設に送られたものだ。

モニターに近寄り、ヤエにその単語を指で示して映像を出させる。
キーボードの上で指が閃いてから数秒で現れたものに、二人は言葉を失った。



見慣れた紫。
それが画面いっぱいに広がっている。



これがはためく様を幾度目にしたろう。
数え切れない回数これに安堵し、勇気づけられた。
力強さと優しさの象徴。



大きな眼鏡の向こう、ヤエの瞳から涙が零れた。



これに憧れて、ブリッジ要員に志願したのだ。
彼の人の傍で、彼の人の役に立ちたくて………



所々黒く変色しているものの、ほぼ無傷のまま映し出されたそれは、間違いなく
ソルジャーブルーのマントだった。

「………ヤエ、こちらも頼む」
「はい」

指先で涙を救い、カーソルを動かす。
予想通りのものが表示され、ハーレイは拳を握り締めた。



穴の位置も、あの時"見た"とおりだった。
銀の装飾の美しさは変わらない。
これと同じものがこの世界に二つとあるはずが無いのに…。



どうして気が付かなかった…?
アンカーが切れなかった理由に……

細い細い銀の糸が伸びる先が移動していた事も、2、3度感じた振動も……
全てに理由があったことに……

どうして気が付かなかったのだ……!
それらが指し示す事実に!



「……わたしは…何という莫迦者だ…っ」

唸るように低く呟いて、ハーレイは拳を机に打ち付けた。















― 帰還01 ―















熱い。
焼けるように、熱い。


背中が、熱い。


痛い……
熱くて痛くて…堪らない……

誰か…誰…か……



キースの腕を掴んだのは、うつ伏せにベッドに横たわるブルーだった。
小刻みに震える手は加減無い力で、爪を立てる。

顔を上げた。
キースを見る真っ赤な両眼は、その焦点が合っていない。

まだ意識が戻らない…か。
呟いたキースは細い指をゆっくりはがし、ブルーの巨大な医療用ベッドの横に跪いた。
首筋に手を当てる。
案の定、熱い。

立ち上がり奥に姿を消したが、すぐに戻る。
手にした錠剤を抓み、ブルーの唇の間に押し込む。
が、それは飲み込まれる事無く零れ落ちた。

錠剤と共に水を一口含んだキースは、ブルーの頬を掴み強引に口を開くと、
唇を重ねる。
小さな喉仏が上下し、錠剤を嚥下した。

シーツを無意識にきつく握り締める手を両手で包み込む。
すると、震える指は縋るようにキースの手を握った。

強く、強く。



マツカを同伴していない――あれ以来、この部屋に出入りしたのは自分と
医師だけだった――為、白い手から流れ込んで来るものは殆ど無い。
だが時折、針で刺すよう鋭い痛みと共に「熱い」「苦しい」「誰か」といった言葉が
感じられる事もあった。

この「誰か」は間違いなく自分以外の誰かの事だろう。
恐らくは、褐色の肌のあの男か………

キースはブルーの手を握り返す。
そっと、優しく。



それ以外の者を求めていても、部屋には自分しかいないのだ。
今は私しか、いない。



ブルーの震えが治まりつつあった。
熱はまだ下がらないが、薬と共に持参した冷却のシートを首筋や脇の下、
鼠蹊部に貼れば大分楽になるだろう。
それらを慣れた手つきでこなすキース。
ブルーを監護し始めて、もう3日が過ぎていた。











あの日。
呼ばれて部屋にやってきた医師は、ベッドの上の血塗れの身体に目を剥いた。
振り返り、目で確認すれば、キースは頷く。
ブルーの主治医といってもいい医師は、加えられた暴行の苛烈さに眩暈を覚えた。





2ヶ月前、首都星から来たミュウの研究者たちが匙を投げたこの個体の治療を命じられた。
あのタイプブルーのオリジンと知ったのは暫くしてから。

医師は初めて、意識を取り戻さないブルーの顔を見た。
あのミュウであっても怪我人と割り切るため、あえて直視しなかった白い顔。
その幼い顔を良く見れば、医師はこの顔を知っていた。

直接的に、ではない。
モニターの中の映像、そして、選ばれたものだけが閲覧を許された書物に
載せられていたのだ。
ミュウの標本、サンプルとして。

治療を進めていくにつれ、300年前と全く変わらないその身体データに、驚愕した。
やはり化け物だ。
そう思った。

だが、改めて実感した事もあった。
ミュウのサイオンは、身体的欠損を補うもの―――――その事実。

この少年の姿をした化け物は、驚くほどに怪我の治りが遅かった。
体質で言えば、虚弱。
それも、人間社会ではお目にかかることの無い程のレベルの、弱さだった。
これはこの個体に限った事ではあるまい。

彼らはどうやって生きているのか。
高い医療技術を持つのなら、それはどんなものか。
人間社会に転用出来るのではないか―――――非常に興味が湧いた。

その事を直接訊ねた。
耳が不自由だと聞いていたので、紙にペンを滑らせる。
ミュウの社会では、医療が特に進歩しているのか、と。

個体はすぐに質問の意味を理解出来なかったようだ。
畳み掛けるようにペンを動かす。

とても虚弱な君らが普通に生活出来るほど、ミュウの社会は医療が発達しているのか?

ああ。
理解した個体は、笑った。
静かな微笑み。
彼は真っ直ぐ瞳を見て、答えた。

残念ながらそうではない。
自分は専門外だからはっきりとは云えないが、君らのレベルと大差ないだろう。
進んだ医療技術を求める君の期待に添えなくて、申し訳ないが………

我らは治療にサイオンを使う。
サイオンで細胞レベルに働きかけるのだ。
私も自分の身体になら行える。
観念的に言えば、"気を送り込む"感じだろう。

医師も勿論居るが、"気を送り込む"機械があるのだ。
我々はその製作に成功した。

この治療法は……人間の身体にも有効だと思う。
私と君たちはそう大差ない生き物なのだから。

そう綴った時、彼の静かな微笑みは、少しだけ哀しみを帯びたように見えた。





医師は大股でベッドに近づいた。

「彼が虚弱な事はご存知の筈でしょう?!」
「……無論だ」

酷い傷だった。
焼かれた箇所からはじくじくと血が滲み出し、止まる様子が無い。
肩甲骨の下から腰骨の上まで広範囲に広がる傷は、非常に高温なものによる火傷。
身体のラインの凹んだ部分に存在するこれらは、明らかに人為的原因を示すものだった

「これを焼いたのは……あなたですか?」
「貴様には関係ない」
「そんなことはないでしょう?私はあなたに命じられて、この個体の主治医を
 務めてきたのだから」
「…………」
「どうなんです?」
「……………」

答えないキースの態度に、医師は質問を止めた。
時間の無駄だ。
持参して来た道具で治療を始める。
手を動かしながら、話し続けた。

「今だ貴重なサンプルの個体です。全力は尽くしますが、確約は致しかねます」
「それは……困るな」
「これほどの広範囲の火傷、しかも深い。加えて虚弱……助かったにしても
 後々手術が必要です」
「手術…?」
「ええ。皮膚移植の前段階で、筋肉などの癒着部位を―――――!?」

後ろから襟首を掴まれた。
締められ、息が出来ない。
至近距離に、アイスブルーの瞳が在った。

「皮膚移植は、させない」

声も漏らせない医師の震える手から、銀の器具が落ちる。

「あの痕を消す事は、この私が許さない」

解ったな。
その言葉に必死に頷いた。

解放された医師は、その後一切口を利かず治療に専念した。
キースも黙ってその様子を見ていた。
30分ほどで応急措置を済ませ、医務室に移送の話をしようと振り返った途端
先ほどの冷たい視線に射抜かれた。

「以後の治療はこの部屋で行う。必要な医療機器及び薬品を送れ」
「…!…で、ですが…このままでは―――――」
「必要があれば貴様を呼ぶ。その時は飛んでくるがいい」
「ならば、看護師を常駐させます」
「それも、必要ない」

では誰が彼を看護するのです?
その質問は医師の咥内に止め置かれた。
鋭いアイスブルーの瞳で。









すうと、穏やかな寝息が零れ始めた。
キースの手を、指を絡ませきつく握り締めていたブルーのそれには、もう力が無い。
白い手をシーツに戻した。

ブルーの脇に腰を下ろす。
ベッド脇のモニターの数値に目を通した。
昨日よりもかなり数値はいい。
今日中に目覚めるだろう。

その時、ブルーはどうするだろう。

口を極めて罵るだろうか?
あるいは、泣き出すか。

そのどちらでもあるまい。
静かに、冷静に今の自分の状況を問うだろう。
紫の瞳で。



銀糸を撫でた。
柔らかい感触に、胸の奥底から湧き上がってる感情。

サムに向かうものと似ているが、違う。
優しくしてやりたいと同時に、滅茶苦茶にしてしまいたい。
後半部分はシロエにも感じたものだった。
だが、その両方を併せ持つこの感情は、知らない。

キースは己の中から、今にも溢れそうな思いに困惑していた。



私はどうしたいのか。
この先どうするつもりなのか。



その答えは出ていない。

唯、一つだけ解っている事。
それは、ブルーを手放すつもりのないこと。
ミュウの研究所にも、増して不老長寿などというおとぎ話を研究しているという
馬鹿な連中にも、そして――――――あの褐色の男にも…………



決して渡さない。



これは、私のものだ。
背中の焼印に目をやり、そう呟いてキスを一つ落とした。






















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