「―――――鯨が動き出したぞ」

その一言は、半ば以上意識を失いかけていたブルーの両眼を開かせるのに
十分だった。
うつぶせていた身体を起こし、今だ紅の瞳をベッドに座ったキースに向ける。

「気になる…か?」

向けられた視線の真剣さに、腹の中から何かが込み上げる。
キースの事に関して―――では決して見せない眼差し。
人形の顔が、生気を帯び輝き出す。

「なら―――何をしてもらおうか……」

込み上げてくるものは黒くて、熱くて、痛い。
それがキースの心を締め付ける。

「対価だ」

そう言えば、ブルーの視線が険しくなった。
強い意思を表す瞳、きっと結ばれた唇、それらが完璧に配置された白皙は、
込み上げてくるものと共に、キースの嗜虐性を刺激する。

貶めてやる。
自分からは決してしないことをさせてやる。

這い蹲ってキース自身を咥えさせる。
それも良いが―――――思いついた画に、キースは口角を上げた。



「してみせろ、自分で……私の目の前で……」



ブルーの顔色が変わる。
嬲られた方がマシだった。
どんなに喘いでも仕方がないのだと、身体に与えられる刺激に
反応しているだけだと、自分に言い訳が出来るのだから。


しかし………他に選択肢は無かった。


キースに向かって、立てた膝を開く。
右手でまだ柔らかい自身を握り、扱いた。

きつく目を閉じる。
見られている所為なのか、あるいはあまり経験が無いからか。
立ち上がってくる気配の無い自身を左で支え、溝に沿って指を這わした。
ぞくぞくと背中を這い上がってくる快感は、弱い。

「―――ん……」
「………興が乗らないか?」

キースの言葉に少し開いた目で睨み返すと、ブルーは手の動きを再開した。
強めに握り、擦る。
程なく、細い身体が震え始めた。

「…あ……は…ぁ……ん………」

上を向いた唇から声が零れ出す。
その唇を赤い舌がぺろりと舐めた。
ほんのりと色付く身体。
透明な樹液が溢れ出し始めた身体の中心から、水音が響く。

粘着質の音が聞こえ始めてから、ブルーが押し殺した声で啼くまで、
そう時間はかからなかった。













― 刻印02 ―















微かにシャワーの音が聞こえる。
ベッドの上でタオルに包まり、ブルーは水音の発生源が残した言葉を反芻していた。


奴らはアルテメシアに向かっている。


ジョミーは皆を纏め、前進した。
込み上げる喜びが、胸を熱くする。

同時に記憶を失っていない彼の心の内を思うと、喜びとは正反対のものが
ブルーの胸を掴む。
故郷に……刃を向けるのか。
以前手酷い傷と痛みを負わされたとは云え、そこはジョミーの生まれた場所。
かけがえの無い記憶と共にある場所。
そこに向かわせたのは―――――僕……。


だが。
この一歩は地球へと繋がっている。
確実に。


反りの合わなかったゼルやエラ、それにヒルマンらと力を合わせることが
出来たのだろう。
ジョミーを買っていたブラウは協力を惜しまないだろうし、リオやシドといった
若い世代も積極的に動くだろう。
皆が、君を支える。


かつて僕がそうであったように。


それに―――――艦長はハーレイだ。
十分な決断力と判断力、それに皆を纏める事に長けているのだから……だから、大丈夫。
君と、彼…彼らなら大丈夫…きっと、大丈夫……。
今は、ただ前を向いて、進んでいけばいい。

キースとの会話に戻る。






「アルテメシアに…」
「あの星の守備隊の力は弱い。あの化け物どもの力を持ってすれば、時間もかからず
 落とせるだろう―――――」

自軍が負けるという言葉とは裏腹に、キースは微笑んでいた。
温かみの無い、笑い。

「何故…笑う?」

ブルーの問いに答えず、キースは言葉を続けた。

「落とせなければ、それはおまえたち、ミュウの全滅ということだ。勝っても負けても
 ―――いずれにしてもおまえは間に合わない」
「…………座標の事か」
「勝てばテラズNo5から入手できる。負ければ、もう必要は無いからな」
「………分かっていて教えたのか…」
「残念だったな。身体を差し出してまでして手に入れたのに」
「………」
「次は何が欲しいか、よく考えておけ、ブルー」








まだ、シャワーの水音は消えない。

彼らと共に無い事が、少し寂しかった。
時間と場所と空間と………喜びを共に出来なかった事、ブルーにとって残念なのは
ただそれけだった。
キースの与えたかった絶望や喪失感は、欠片ほども無い。

餌でも投げ与えるかのようにもたらされた座標に縋った時期もあった。
けれど、今は―――――

ブルーは前方に視線を据える。
すうっと息を吸い、止める。
視界が―――変わった。

眩いほどに白く輝く世界を、光の粒子が飛び交う。
粒子は定められた軌道を一定方向に、物凄い速さで移動していく。

その光の向こうに―――見えてきた。

扉の向こうで所在げ無く立つマツカ、その先の通路を談笑しながら歩く若い兵士、
壁の間を走る管やダクトも。
このフロアなら全て"見える"ようになった。

確認したい事は沢山あったが、今はあまり時間が無い。
シャワー室を覗いた。
充満する湯気の向こう、長い人影が動いている。

漆黒の髪をタオルで拭うこの男。
考える事が解らない。
身体を繋げている時にも探ろうと試みるが、見えるのは彼の髪と同じ漆黒の闇ばかり。
その闇は深く、果てが無い。
フィシスと同じ出自にも関わらず、この違い……。

これまでの時間の中で、何があったのだろう。
これまでの生の中で、何が無かったのだろう。
この男、キース・アニアンに……

キースがシャワー室から出たのに合わせ、思考を打ち切る。
意識を身体に戻した。



「暫く、来られない」

戻った途端のキースの言葉に、ブルーは面食らった。
苦笑して答える。

「別に待っているわけじゃない」

むしろ、よく眠れるくらいだ。
笑いながら話すブルーを、キースは見つめた。
じっと動かない視線に居心地の悪さを感じて、「何だ?」と言葉を掛ける。

「……いや。10日ほどかかるだろう。その間マツカを来させる。
 話し相手にするといい」
「必要無い」

間髪を入れない応えに、扉に向かって歩き始めていたキースは思わず振り返った。

「何故だ?」
「……あの坊やと私が仲良く話が出来ると思うのか、おまえは」
「出来ないのか…?」

シーツを被り巻きつけた格好のブルーは、呆れたという顔でため息をついた。

「とにかく必要無い。もう必要な情報も無いのだろう、放っておいてくれ」
「……わかった」

踵を帰したキースは扉を開いた。

「独り寝で疼く身体は、さっきの行為で紛らわすといい」
「―――なっ…!」

ブルーの返事を聞かず、キースは扉を閉める。
マツカに向けた顔に笑顔は無く、既に冷たく硬質なものに変わっていた。

「行くぞ」

グランドマザーの下へ。
キースは振り返ることなく、廊下を歩き出した。






















----------------------------------- 20070815