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着任



本日午前0時をもって『前』の文字が肩書きの上に冠されるようになった副室長が席を外した。
音声での報告にこだわる彼は、定時報告は必ず室外の通路で行っていた。後任が来るまでは後30分、彼の最後の報告になるだろう。





副室長が部屋を出て直ぐにタリアから一枚の紙を渡された第1係長アーノルド・スミスは顔色を変えた。驚きのあまり声が裏返る。

「17歳?!」

「何が17歳なんですかぁ?」

のんびりした口調でスミスに答えたのはエリザベス・プロコフィエフ。総務から転属してきた可愛い顔とダイナマイトボディを併せ持つ20歳で、装備課のアイドルである。

「新しい副室長のお子さん?実は奥さんの歳だったりしてー」

エリザベスは一部では天使の微笑みと称される必殺技、左手人差し指を口元に置き小首を傾げた笑顔を向けた。
これが第3室以外の場所であったら、低いどよめきと共に多量の熱い吐息が彼女を取り囲んだ事だろう。

だが加齢だけではなく長年の不摂生な生活に因っていると思われる緩み弛んだ容姿の持ち主のアーノルドをうっとりさせるものは生憎”美しく並んだ数字”だけであったため、天使の微笑みはあっさり無視された。

普段は青みがかったくすんだ顔色を赤みがかってくすんだものに変えたアーノルドは、ソーセージのような太い指でデビッド・ホークの略歴をエリザベスの目前に突き付けた。

「もうすぐ来る副室長の年齢だよ!」

履歴を引ったくると、貪るように読み始めたエリザベスにばたばたと他の室員が集まってきた。
鮮やかな黄緑の髪をした長身のマシュー・ヘボンがエリザベスの肩越しに覗き込んだ。

「あっら〜いいオ・ト・コ♪・・・って何してんのよ、ムーラン?」

甲高い声を上げたマシューを押しのけようと、彼より頭2つ分は小さいが横幅は倍ある浅黒い筋肉質の男が踏ん張っている。マシューと同じ主任ムーラン・ノッカーである。
喧嘩っ早い質のムーランだが、この自分より5つも年下の同僚にしょっちゅう難癖を付けてくる。

「汚いケツをどかせよ、このオカマ!」

「んまー、この白磁のような美しい臀部のどこが汚いのよ!あんたの髭も剃らない四角い顔の方がずーっとばっちいでしょ。触れることが許されないからって僻まないでちょうだい。」

「んだと?!」

「ま、類人猿の祖先に人類の美を理解できるとは思ってないけど」

そう答えるマシューは細い腰に手を当て、整えられた細い眉尻を心持ち上げてムーランを文字通り見下げた。

「る・・・そせ・・・って、てめーのケツなんざ見たくもねーよ、この××××!!」

「なあんですってえ!このチビゴリラっ」

気にも止めず、実際に止める素振りも見せず略歴に見入るアーノルドとエリザベスを尻目に、二人の主任は聞くに堪えない単語を連発する。
湯気でも吹き上げそうな程真っ赤になったムーランに、更にマシューが言い募ろうと口を開きかけた時、氷を山程入れた冷水のような声が浴びせかけられた。

「ムーラン・ノッカー主任、マシュー・ヘボン主任!」

二人はぴたりと口をつぐむ。身体も固まったように動かない。
本物の冷水以上に効果的な声を浴びせかけたのは、もう一人の係長リンダ・ロセッティ・チョウだった。

彼女は皆がエリザベスに、正確には新副室長の略歴が記載された紙にだが、群がっている中で一人自席で仕事を続けていた。PCのスクリーンを睨んでいた切れ長の目をゆっくりとマシューたちに向け、立ち上がる。彼女のブラウンの瞳を吹き荒れる、マイナス33度のブリザードの音が聞こえてくるようだ。

「神聖な職場で、何て会話をしてるんですか、あなた方は」

おや、普段より教育的指導が早いんじゃないかとアーノルドがリンダを見ると、彼女の凍てついた視線は自分にも向けられていた事に気づいた。アーノルドも瞬間に凍り付く。

「係長、それは部下に見せても良い書類とお考えですか」

「え、あ、いや・・・ははは」

アーノルドが慌ててエリザベスから略歴を奪い取ると、そそくさと自席に戻る。

「あなた方も、仕事に戻りなさい!」

まだ未練がましい視線を略歴に送っていたエリザベスと、ブリザードの視線が逸れ解凍が始まっていた第3室のデコボココンビが、蜘蛛の子を散らすように戻っていった。
リンダの視線は、今までの騒ぎに口を挟まずにいたタリアにも向かった。

タリアは、微笑んでいた。

タリアが着任して3年目を迎えるが、こんな笑顔を見せるようになったのはここ半年程だ。それまでの沈痛なそれでいてどこか感情の欠けた顔も、無理に作る笑顔も、タリアが美しいだけに堪らない程痛々しいものであった。

微笑む室長を見て、知らずにリンダの口角も上がる。タリアのこんな笑顔を作り出したデコボココンビを許してやってもいいかという気さえ起こった。

再びPC前に腰を下ろすと、マシューと目があった。にやっと笑い、「いい仕事したでしょ、アタシ」とピンクのグロスを塗った唇が動いた。
心の内を見透かされたようで、リンダの頬がかあっと熱くなる。

(もう40歳を過ぎて大きい子供もいるってのにねえ。こういうところはカワイイのよねこのひと)

マシューは一人ごちた。

顔を真っ赤にしたまま、リンダはPC画面の後から言った。

「し、室長も、注意して頂かないと」

「ありがとう、リンダ。気をつけるわ」

そう言ったタリアの顔は、気をつけて見ればまだ哀しみの色が伺えたが、きれいで儚くて、またもやリンダは見とれてしまったのだった。

(2006/1/5)




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