まもなくディーヴァが目覚めの刻を迎える。
今期こそ子を生して貰う―――――

これまでの相手のマルティン、グレゴリーは、あまりディーヴァの
お気に召さなかったらしい。
何回も"交配"しないで終わった。
今後、彼らとの間に出来る可能性はゼロに近いだろう。

ならば、次に娶わせる相手は―――――"彼"しかあるまい。
あの太陽の光を凝固させたような金糸に、繊細な白磁の人形を思わせる容姿。
そして、優しくてそれでいて艶やかな、人を魅了せずにはいないあの微笑。
ソロモンならば必ず、ディーヴァのお気に入りになることだろう。

元よりそのつもりで彼を迎えたのだ。
総てはディーヴァと、その子供の為―――――



「その為に世界は存在しているのだから」
アンシェルは呟く。





だが、彼を抱いた。抱いてしまった。
酷く扱いさえした。

今となっては手放すなどと、考えることさえ厭わしい程に、
ソロモンを己の身の内に抱え込んでしまっている。

これから彼に代わる人物を探すか―――――
あれだけの秀麗な容姿と聡明さを兼ね備えた人物を?

これまでの人間の寿命を超える長い年月の中で、初めてソロモンと会った時と
同等の興奮は、"SAYAとその子供たち"との出会い以外に記憶に無い。
それ程の人物に出会うために、再びどれだけの時間を費やさなければならないことか。
アンシェルには想像がつかない。



「まだ遊び足りない玩具を譲り渡すようなもの・・・か・・・・・・」




再び呟くと、短い手紙を書いた。
封筒に赤い封蝋を垂らし、ゴールドスミスの印をかたどった金属を押し付ける。
執事を呼ぶ為、ベルを鳴らした。

「これをソロモンに。早急にな」










前  夜  ――3――






















前  夜  ――3――










3人で居るうちに酔い潰れてしまいたくて、かなりのピッチで酒を煽ったが
脳内は冴えていくばかりだった。
睡眠薬を飲まされ、ぐったりしたソロモンを抱えたテオドールに半ば脅迫されて、
アスガーは結局、寮に戻った。

月明かりが差し込む以外は真っ暗な部屋の隅で、頭から毛布を被り
膝を抱えしゃがみこむ。

彼は何も語らなかったが、あの4人のところへ行くのは明白だった。

睡眠薬は医者の卵である自分達にも扱えるが・・・・・あの薬、媚薬という可愛らしい物ではない。
下手をすれば、人を発狂させてしまうほどの代物だ。

不勉強な4人には分からなかったのだろうが、自分でも知っている事をあのテオドールが知らない筈が無い



あんなもの、どうしようというのか。
どうしようと―――――裸の二人が頭に浮かび、アスガーは大声を上げて耳を塞いだ。



あんなものでソロモンを操っても、例え己のものとしてもそれは一時のあやかしに過ぎないのに。

そんなことをしてしまったら・・・・・
自分であれほど腹を立てたゴールドスミスの当主と同じではないか・・・

・・・いや。
同じではない。
あの4人がついているのだ。

彼らの目的は単純にソロモンの身体を嬲る事と、そして彼のプライドを粉々に砕く事。


そんな奴らと行動を共にしたテオドールを、ソロモンは決して許さないだろう。
口を利くことはおろか、顔を見る事すらしないだろう。



あんな薬を使われたソロモンが無事に済むとは限らないというのに。
一時の快楽の為だけに、そんなことをする男ではない。





では、彼の望みは一体・・・





『消してしまってくれよ』
テオドールが血を吐くように叫んだ言葉が蘇る。


消す・・・って・・・


「そんなことあるはずが無い!」

不吉な言葉が浮かび思わずアスガーは叫んだが、背筋を流れ落ちる冷たい汗は止まらない。
二人を一遍に、こんな形で失うのか・・・?

毛布を更に深く被り、顔を手で覆う。
今すぐに彼らの元に駆け出したいが、別れ際テオドールが云った言葉も頭の中を巡る。

放校、除籍、医師の免許の剥奪・・・
そしてテオドールが自嘲気味に呟いた"もう二度と故郷には帰れないだろうさ"という台詞が
アスガーを縛りつける。

震える両腕で自分の身体を抱いた。
きつく、強く。


「・・・嫌・・だ・・・」


共に過ごした時間は僅か2年足らずだが、彼らとの思い出は多い。
勿論苦しい事も辛い事もあった。


「・・・嫌だ・・・・・」


だが―――――全て、楽しかった。本当に、楽しかったんだ。


「・・・嫌だ・・!・・・・・テオ、ソロモン・・・・・」


二人の名を、大事な友人の名を口にした途端、ぽろり、と一粒涙が落ちた。



溢れてさせてしまったら、もう止める事は出来ないだろう。
そして、今は、泣いてる時間は無いんだ。



アスガーは窓越しの月を見上げ、ゆっくりと立ち上がる。
毛布をはらりと落とすと、一気に駆け出した。







同じ月明かりの下。

ピガールの中心部から、外れた川沿いの娼館の2階の一番奥、館の最上級の部屋で、
"饗宴"は続いていた。

ランプの灯りが揺れる影を映し出す。
豪奢な室内にはソロモンの、切れ切れの声が響いていた。

腕は拘束されたまま、座位から横を向かされ身体の更に奥まで抉られる。
薬の所為もあるのか、ソロモンにもたらされる快楽は、恐ろしいほどに、深い。



「ひ・・っ・・・・あ・・・あああぅぅ・・・ああっ・・!」

もう幾度、昇り詰めさせられたか、分からない。
声と涙は嗄れ、限界を超えた快楽の為に虚ろなその瞳には、光が無い。

ずっとソロモンを抱き続けるテオドールも、何度彼の中に
己の欲望を吐き出したか分からなかった。


「・・・・・うっ・・・・」

がっくりと身を倒したテオドールは、荒い息のソロモンの髪を掴み上向かせる。
喉仏辺りをきつく吸う。
今までに無い、濃い赤色の花が咲いた。

大きく無い苦痛は快楽に転じるのか、ソロモンの喘ぐ声が上がった。





言葉も無く、ただ獣のように交わる二人。
それを喰い入るように見つめる8つの目の主たちは、ベッドに触れることさえ出来ずにいた。

ただひたすらに股間を握り締めるだけだったが、テオドールがまたしても体位を変え、
今度は本物の獣のように後ろから貫こうとするに至り、とうとう声を上げた。

「テオ!もう、いい加減にしてくれよ!」
「頼むから、ヤらせてくれ!頼むから・・・」

口々に情けない台詞を発する4人に、ノロノロと視線を向ける。
テオドールの表情は変わらない。

いや、空ろであった部分に狂気を孕んだのか――――
血走った目は暗い光ではあったが、爛爛と輝いていた。



彼は―――――わらった。



「・・・・・いいぜ・・・ヤれよ」



手首の拘束を外そうと、フランクが世話しなくナイフを取り出した。
思ったよりもきつく締った荒縄は、なかなか切れない。
我慢を強いられたため震える手が、ソロモンの白い肌に幾筋もの傷を作った。
もう1秒も待てない男たちは、半分ほどしか切れていない荒縄をソロモンの腕を掴んで力任せに引きちぎった。

「・・つっ・・・!」

苦痛に顔を歪めたソロモンの両手首から、真っ赤な血が滴り落ちる。
靴を脱ぐ事さえもしないまま、4人はソロモンに群がった。









先刻から続くあまりの声に、娼館で客にあぶれた女たちが階段を上る。

男娼がいないこの館に男の嬌声なんて、自分たちのプライドに障る。
許しがたい、男同士の醜い姿を嗤ってやろうと部屋を覗いた。

扉の隙間に張り付いた女たちは、その光景に目を見開いた。
淡いランプの光を背景に、薄暗い室内で5人の男が絡み合う。





点々と鮮血が散っている白いベッドの上・・・・・


青白い全裸の痩身に、4人の男が群がっていた。
4人は皆服を着ているため、中心に据えられ貪られている人物の肌の白さが際立つ。

時折びくりと震える以外は身体を動かすことが出来ない程、4人はその金髪の人物に絡みついていた。



両膝を大きく割り体内に深く入り込む男

後ろから抱きかかえ首筋を味わう男

股間に屈みこみ、咥える男

膝立ちになり、後頭部を押さえて口腔内を貪る男



そして―――――酒瓶片手に傍らに立つ全裸の男



彼らの中心にいる人物は喘ぐ声と体つきで男と判るが、その顔を伺うことは出来ない。





目が、離せない。

扉は彼女らの重みで、音も無くその開口部を広げ始めた。
半分ほど開いた時、口内を犯していたウィルヘルムがソロモンを開放した。

男たちの欲望を一身に受ける顔がランプに照らされる。



女たちは息を飲んだ。



淫らな色を隠そうともしない、白皙の美貌。
焦点を失った青い瞳、半開きの唇はてらてらと光っている。

見た事もない美しさと、いやらしさが同居した顔。
その形の良い唇から零れる声の淫猥さは、彼女らをも欲情させる程だ。



喘ぎ続ける口に、カサールは指を入れた。
歯列をなぞり、舌を絡ませるよう促す。
素直に従ったソロモンの口から、声とは別のいやらしい音を発し始めた。





ソロモンは、快楽に狂い、溺れていた。






・・・・・テオドールの体温が消えたのは、感じた。


次にあちこちを掴まれ、身体を起こされた。
両手首に生じた苦痛に意識が浮上しかけたが、畳みかかる快楽が再びソロモンを支配する。


視界に黒い影が複数入り込み、口づけをされ、体中を撫で回されても、自分の身に何が起こっているのか、
ソロモンには理解出来なかった。


誰かが足の間に入り込んできた。

微かに残る理性の"もう止めて欲しい"という声は、内腿を撫で上げられた瞬間に消え去る。
もっと強い快感を求めて、腰が蠢く。


望みどおりの、背筋を駆け上がる電流に身体を反らせば、別の誰かに抱き締められた。
だるい身体を預けると、後ろから首筋を舐められた。

「・・・!ふぁあ・・・うあ・・ああ・・・!・・・」

顎を掴んで上を向かされると、唇が降ってきた。
舌を絡め摂られ、痛いほどきつく吸われる。


口の端からだらしなく垂れる唾液を、もう誰か何人目か判別がつかない舌が、尖った胸の飾りごと舐め上げる。
それは徐々に下りて行き、弱弱しくも頭を上げるソロモン自身に到達した。

・・・・・もう無理だ

その声は、口内を自由に動き回る誰かの舌に阻まれた。
自身が生暖かいものに包まれると、ソロモンは震え大きく身体を反らした。



触れられる所が、身体中のすべてが快感を伝えてくる。



一筋の髪に触れられただけでも、感じるのではないか・・・・・

見ている者にそう思わせるほどに、何をされてもソロモンは顔を歪ませ、息を弾ませ、喘ぎ続けていた。






もっと傍で見たいとでも思ったのか。
ドアに隠れて覗く女たちが、ガタンという物音と共に室内に倒れこんできた。
悲鳴が上がるが、ベッドでの上は誰一人振り返らない。


だが、ただ一人―――――酒瓶を咥え、天井を仰いでいたテオドールが、緩慢な動作で顔を向けた。


その顔を、目を見た途端、女たちは淫らな呪縛から開放された。
蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。



あれは狂った者の眼だ、居続ければ共に喰われる・・・・・!



口に出すものはいなかったが、皆本能的に悟ったのだろう。
先を争い階段を駆け下りた。


そんな彼女らの前に、臙脂の服を着た男が立ち塞がったのだった。











扉に別の影が現れた。
テオドールが認識した瞬間、風が吹いた。

酒瓶が割れる音と壁の飾り棚が壊れる音が響いた。
遅れてベッドの方から、狂った音階の悲鳴が上がる。

同時にテオドールは左半身に焼け付くような痛みを感じた。
視線を落としてみれば―――――



左腕が、無くなっていた。



鋭利な刃物で切断されたかのように、付け根から先が消えている。
切断面からみるみる血が噴出し、全身を激痛が走る。

奥歯で声を噛み殺し、痛みを堪えテオドールはソロモンのいるベッドを見た。
ベッドの上、巨大な血溜まりの中で、座り込んだままのソロモンがいた。



その傍らに、上半身のない奇妙な死体が転がっていた。



フランクと思われるその死体を指差し、ウィルヘルムが狂ったように奇声を上げている。
残りの二人は腰でも抜けたのか、床にへたり込んでいた。


何とかベッドに辿り着きたいが、流れ出る血の量が多過ぎた。
視界がすうっと暗くなり屈み込んだテオドールの鼻先に、濃い臙脂色が現れた。

「・・・くっ・・・あんた、何で・・・・・」

テオドールの言葉に、ちらりと視線を落とすが応えはない。
臙脂の服を掴もうとした血だらけの右手は、風が通った途端消えた。

「・・・汚らわしい」

アンシェルは、唸り声を上げ激痛にのたうち回るテオドールを一瞥しただけで、ベッド向かう。

途中、少しでもこの怪物から逃れようと床を這い蹲る男に手のひらを向けた。
グシャという音を残して、ウィルヘルムは多量の血液と潰れた肉に変わった。





アンシェルが傍らに来ても、ソロモンはまだ血溜まりにいた。
焦点の合わない目で、真っ赤に染まった両手を見つめている。

二人を屠った手が、血で汚れた頬に触れる。

「可哀想に・・・・・酷いことをする」

顎を掴み、自分の方を向かせてもソロモンの表情は動かない。

アンシェルは胸のポケットから小瓶を取り出すと口に含んだ。
接吻で口移しに与えられた液体を、ソロモンは嚥下する。

喉仏が上下したのを確認すると、自分の上着をかけてソロモンを抱え上げた。
そして、扉に向かって声を放った。

「そこにいるのだろう、臆病者が」



扉の影から姿を現したのは、恐怖に顔を引き攣らせたアスガーだった。
歯の根が合わないほど、がたがたと震えている。

「屋敷に来たときの勇ましさはどうした?」

鼻で嗤い、シーツを持って来るよう命じる。

抱えたソロモンをソファーに運んだ。
真っ赤に彩られた凄惨な室内に泣き喚くのでもなく、気絶する様子もない無表情のソロモンの頭を撫でる。

「後始末をしてくる。少し待っているといい」

両眼を赤く光らせ、アンシェルは振り返った。











1階まで探し回った挙句見つける事が出来ず、隣室のシーツを引き剥がし部屋に戻ったアスガーは、
目の前の光景に絶句した。


室内にはアンシェルとソロモン以外に、人の形をしたものは存在しなかった。


階下でも動く人間は見当たらなかった。
すべて死体と化していた。

だが、それでも人間の死体ではあったのだ。


しかし、この部屋は―――――床には血溜まりが広がり、肉塊が散らばる。
それらに混じる白いものは、骨だろうか。

壁といわず天井といわず、細かい血と肉がこびりついていた。
血の生臭い匂いが充満している。

アスガーは胃からこみ上げてくるものに、思わず口を押さえた。



「何をしている」

アンシェルの声は決して大きなものでは無かったが、アスガーの心臓を跳ね上げるには十分だった。
辛うじて嘔吐を堪え、室内に入る。

あまりの臭いと光景、そして一歩進むごとに足の裏が伝える感触に、やはり部屋の奥までは
辿り着くことが出来ない。とうとう歩を進める事にも立っている事にも耐えられず、
アスガーはアンシェル目掛けてシーツを放った。
その場にへたり込み、赤い床に手を付いて吐き始める。

涙も流れた。
吐く苦しみの為か、それともこの光景を嘆いてか・・・アスガーにも判らない。
涙がぼろぼろ零れた。

「おまえ」

弾かれたように顔を上げる。
丁寧にシーツで包んだソロモンを抱えたアンシェルが傍に立ち、自分を見下ろしていた。

「今日のところは許す・・・だが、もし・・・・・・皆まで云わずとも解るな・・・?」

壊れた人形のように、アスガーは縦に首を振った。
何度も何度も何度も。






石畳を馬車が駆け出す音で、ようやく我に返った。
嘔吐感は消えないが、実際もう吐き出すものが無い。
荒い息をついて立ち上がると、ベッドの下から人の手が覗いているのが見えた。

血の気を失ったそれは、生きている人間のものではない。
死体を見過ぎた所為で、感覚が麻痺しているアスガーにとってそれは何の感慨も産まない物体の筈だった。



だが、これは―――――駆け寄る。



血の中から慌てて拾い上げれば、やはり―――――彼だった。



時にはふざけて

時には優しく

時には慰めるように

自分の髪を幾度も撫でてくれた手・・・

彼を、ソロモンを救いたくて、ここまで来たのに・・・・・!



涙腺が一気に開放される。


「テオぉ・・・・・っ!」


アスガーの叫びは、誰もいない娼館に哀しく響いた。