どうやって部屋に戻ったのか、ハーレイは憶えていなかった。
気が付いた時には、床に座り込んでいた。

恐らく船内を、幽鬼のようにふらふらと歩いていたことだろう。
皆に心配をかけてしまったかもしれない。
悪いことをしたと思うけれど。

まだ感覚が戻らない両手を翳す。
血の気を失っているのに、汗ばんでいた。

まだ、ブリッジに戻れる状態ではない。

これが求め続けた罰、だろうか……?
いや、ブルーは事実を見せただけだ。

ただそれだけで、このダメージ―――――
もし本当に罰を受けたとしたら、この心臓は鼓動を止めてしまうかもしれない。

いまだ嫌な冷たい汗が身体を伝うハーレイは、そう思った。



それから数日間、ハーレイがブルーの許を訪れる事は無かった。
ブルーが意識的に避けていたこともあるが、取り立てて大きな事柄も無かったため平穏に時間が過ぎていったのだった。















真影05
















ブルーの睡眠障害は続いていた。
ハーレイに言葉を投げつけて以来、ほぼ一睡も出来ていない。
普段と同じように船内を歩き、食事をし、子供たちがいれば少し相手をするソルジャーの変調に
気付いた者は殆ど居なかった。
しかし、ブルーは確実に眠れない夜を重ねていた。

いつも通りの巡視を済ませ、部屋に戻る。
これまでは常に後ろを歩いていたハーレイの姿は、今日も無かった。

倒れる様にベッドに伏す。
その細い体の回りを影が包んだ。
古びた木の箱の蓋は閉じまたままだというのに。

影はブルーに触れることは無いが、歓喜に沸き立ち、黒い炎のように揺れる。
大小様々な声が溢れた。

『もうすぐ……もうすぐよ………!』
『まもなく、奴が落ちてくるぞ!』
『早く、早く………』
『こちらに…来い!』

対照的にブルーは顔も上げない。
影は一気に伸び上がり、天井に届くと角度を変えた。
ベッドを覆い尽くそうとするかのように、今や部屋いっぱいに広がっている。

『忘れるな、あの楽しい夜のことを!快楽に酔いしれたひと時のことを!』
『思い出せ…我らを焼き尽くした時の高揚感を…!人の命を奪う喜びを……!』


『そして………早くこちらに来い!この闇の中へ…!』


影はブルーに迫った。包み込もうとする。
が、ある距離以上は近づくことが出来ない。
見えない壁があるかのように。

その壁の中心で、低く沈んで感情の無い声が言った。

「……哀れな亡霊だ、おまえたちは……」

その台詞に反応して急激に膨張した闇は叫ぶ。

『我らはおまえに囚われた。おまえが我らを放そうとしないのだろう…!』

ブルーは答えない。
ベッドの上に伏せたままだ。
踊るように影が揺れる。

『解放しろとは云わぬ。苦しむおまえを見るのは、我らの喜び!
 苦しめ、もっと苦しめ………!』

ブルーを包んで楽しげに揺らめく。
高く嗤う声まで聴こえてきそうなほど、巨大な黒い炎は揺れた。

『ああ、おまえの心が叫ぶ声が聴こえる。苦しいか?そんなに辛いか?
 もっと泣き叫ぶがいい!あの時のように……我らを楽しませる、あの声で!』

『おまえが呼び覚ました、我らの心の闇を満たす為に……
 おまえが呼び覚まさなければ、決して現れることの無かった歪んだ欲望の為にな…!』

『さあ―――!』

触れることは叶わないが、闇はベッドごとブルーを包み込んだ。
その中で、ねだる様に脅かす様に、悲鳴を促す声が響く。

『さあ、泣け!啼け!その声で……!』
『苦しいと、わめくがいい…!』
『許して欲しいと言え!』

ブルーと闇を隔てる空間が狭くなっていく。
ぴくりとも動かないミュウの長に、じりじりと影が忍び寄る。

間隔が僅か数センチになり、影が期待に満ち満ちた嘲笑を放った時―――――





ハーレイの"声"が聞こえた。





『ソルジャー、少しお時間を頂きたいのですが』

構いませんか?
いつもと変わらない、穏やかで優しい思念。
その温かさに、ブルーは顔を上げた。
周囲に闇は無い。

『構わないが―――』
『では、5分後に』



この5分間ほど、長く感じた時間をブルーは知らない。



時間通り、ハーレイはやってきた。
まっすぐにブルーの瞳を見つめ、目礼する。
落ち着いた様子も身に纏う空気も、以前と変わらない。
しかし、感情も思考も、全く読み取ることが出来ない。
ブルーは、視線を逸らせた。

「ご無沙汰致しまして、失礼しました」
「いや……」

ブルーは言葉を続けることが出来なかった。
気まずい沈黙が流れる。

「………今日は提案があって参りました」
「………」
「この準備のために、少々ご無沙汰してしまいました。申し訳ありません」

淡々と話すハーレイ。
静かな声に、穏やかな表情。
公園部では何事も無かったのではないかと錯覚してしまう程に、いつもと同じ。
変わらないのに―――――何を考えているのか分からない。
その心地悪さに、ブルーは眉を寄せた。

そんなに身構えないで下さい、とハーレイは笑う。
その笑顔のまま、言った。

「シャングリラに、戦闘セクションを設置したいと思います」

括目して言葉の出ないブルーに、ハーレイは静かに話を続けた。

「関係各部の調整もほぼ済んでいますので、これは承認して頂ければすぐにでも進めたいのですが」

如何でしょう、と向けられた視線は揺るぎが無いもので、諾以外の応えは必要ないと告げている。
ブルーは気圧されていた。

「……お返事が無いということは、ご承認頂けたと考えて宜しいのでしょうか?
 では、次の提案なのですが――――――」
「ちょっと、待ってくれ!戦闘セクションだと?君たちが武器を持って戦うというのか?!」
「はい、そのように申し上げたつもりなのですが」

ブルーとは対照的に、答えるハーレイは落ち着き払っていた。

「君たちが?!堪えられると思っているのか?」
「ええ。おかしいですか?」
「無理だ!」
「そうでしょうか―――――人間たちとて、そうして戦っているのでありませんか?」

ハーレイは軽く頭を振った。
ため息混じりに言う。

「ソルジャー、我々をあまり甘やかさないで下さい」
「……甘やか…す…?」
「そうですよ。確かに我々は肉体的に虚弱だ。でもだからこそ、サイオンを使える感じやすい精神を持っています。
 それが弱さでもある。あなたから見れば、とても危なっかしく感じられるのでしょうね」

いや、君たちは弱いのだ。
ブルーは、言うことが出来ない。

「私たちも自分たちが弱いと、思い込んでいた。決してそんなことは無いのに。
 人間たちと条件は同じであることに気が付かなかった。
 彼らが何故あれ程までに我らを忌み嫌うのか、その理由に思い至らなかった」

人間たちは、ミュウの力が怖ろしいのですね。
ハーレイは悲しそうに微笑んだ。

「我々がどんなに共存を望んでも、彼等の内にこの根源的な恐怖が在るうちは叶わない可能性の方が高い。
 多分この先も、戦いは続くでしょう。或いは、どちらかが滅びるまで終わらないかもしれない」
「………………」
「そうなった時、戦いの全てをあなたお1人に背負わすことは出来ません。
 いくらあなたがソルジャーの名を冠されているとしても。
 我々も戦うべきだったのです…これは生きる為の戦いなのだから」

ハーレイは改めてブルーを見た。
綺麗な暮れ方の空の色をした瞳を見つめる。
揺れる瞳に動揺が映し出されていた。

その瞳の下にはうっすらと、隈も現れている。
認めたハーレイは顔を歪ませた。

「気付くのが遅れ、あなたに無理を強いてしまった。夜も眠れぬ程に」

本当に申し訳ありません、と深く頭を下げた。

これで少しはあなたのお力になることが出来ますか。
改めて、ソルジャーを仲間とお呼びしても宜しいでしょうか。

ハーレイはそう控えめに言う。
その声音は優しく、温かい。
ブルーを気遣う気持ちで溢れていた。

けれど、それらを感じられても尚、ブルーは受け入れることが出来ないでいた。

「……君たちは本当にそれで良いのか?戦うということは、相手の命を奪う行為なのを、解っているのか?」
「そのつもり…です。本当には理解出来ていないかもしれない。けれど、覚悟は出来ています」
「仲間にも死者が出るという事を、人を殺せと命じる覚悟をしたと?」
「―――はい。その戦闘セクションのリーダーですが、シャングリラの艦長と併せて私が務める事になります」
「ハー…レイ―――」


君が………?

さほど強い思念ではないのに、人の心の機微にとても敏く
誰よりも仲間を案じる

そんなに優しい瞳をしている君が―――――人を殺せと?


ブルーの視線を正面から受け止め、微笑む。
温かくて、とても優しい笑顔。


やはり、駄目だ……
君に任せることなど、僕には出来ない


それをそのまま口にする。
僕は承諾できない、と。
君は―――君たちには堪えられない、と。

受けたハーレイは微笑を深くする。

「そう仰るだろうと思っていました。しかしどうしてもあなたには受け入れて頂く。
 何故なら―――」

私には、欲しいものがあるのです。
そう言って、ハーレイは少し身をかがめた。
ブルーに口づける。
頭一つ小さい身体を抱き寄せ、顎を取った。

優しく微笑んでいた瞳が、至近距離にある今は、濁って見えた。





「あなたが、欲しい」





耳元で囁く。





「欲しくて堪らないのです」





細い腰を両手で抱えた。

「勿論、先ほどまでお話したことは嘘ではありませんよ。でも、私の望む一番は―――」

ハーレイはブルーの項を吸った。
赤い華が咲いた。

「あなただ。あなたの、この美しい身体なのですよ」

動かないブルーをベッドに押し倒す。
マントを取り、耳の機械を外して。
ブーツを脱がせ、襟に手を掛ける。

ブルーはハーレイの顔を見つめたまま、動かない―――動けなかった。

身じろぎどころか、声を立てることも出来ない。
見えない圧倒的な何かに覆い被され、四肢を押さえ付けられているかのようだ。

「あの女医が、どうしてあんなことをしたのか、今なら分かります」

ハーレイは肌蹴させた胸に口づけ、幾つも赤の判を押していく。

「あなたの白い肌に、この印は良く合う………」

思念でブルーの自由を奪ったハーレイは、周囲に漂わせる空気の温度を変えていた。
温かさは消え、ひんやりとした冷たいものに。
かつて、ブルーがリノリウムの床や実験台で感じていた温度に。


嫌だ…嫌だ………


身体は動かせないけれど、感触は伝わってくる。
柔らかい唇、肌を撫でまわす手のひらの温度。
おぞましくて、おぞましくて、僅かに動く指先が震える。


放せ……触れるな……


ハーレイは啄ばむように唇を寄せながら、囁いた。

「私にも、声を聞かせて下さい」

少しだけ思念の呪縛を緩ませる。
ブルーは、その縛めごとハーレイを跳ね飛ばした。

うぐっという声を上げ、大きな身体は数メートル先の階段に叩きつけられた。
横たわったまま苦しそうに呻き、身体を丸める。
口と額から流れた血が、褐色の肌を伝った。

その鮮やかな赤色を認め、ブルーは我に返った。
ハーレイの名を叫び、半裸のまま駆け寄る。

「しっかりしろ!」

急いでシャツを脱ぎ、額の傷を押さえた。



その手を、ハーレイは掴んだ。



掴まれた腕から全身に電流が駆け巡る。
ブルーの身体は、まるで糸の切れた操り人形かのように崩れ落ちた。

痛みに顔を顰めながら、ハーレイは細く薄い身体に圧し掛かる。
倒れたままで横を向いている顔を動かし、上向かせた。
指先で綺麗な形の鼻梁をなぞり、滑らかな頬に触れる。

止めてくれ!と叫ぶ思念を無視して、口づけた。
ブルーの咥内に、血の味が広がる。

「…ん…んんっ…ふ……」

ハーレイの舌が、深く侵入した。
動くことの出来ないブルーのそれを嬲る。

蠢く舌にも手にも、感じるものは不快感だけ。
数年ぶりに耳にした水音に、ブルーの肌があわ立った。

その肌をゆっくりと滑り降りたハーレイの手が、下穿きの内側に差し込まれる。
躊躇いも無くブルー自身を握り締め、扱いた。

刹那、快感が背筋を走る。
声を発することが出来たなら、絶叫していただろう。

記憶の底に押し込めた、忘れたはずの快楽が蘇る。
忌まわしい光景と感触を伴って―――――

一瞬、瞳が色を変えた。
爆発しかける思念を、ブルーは必死で押さえ込む。


今それを許せば、自分は間違いなくハーレイを殺してしまう………!


ハーレイの手は止まらない。
全身が小刻みに震え、汗ばんだ。
堪えているのは力の暴発か、それとも……

ブルーに出来るのは、解放された唇から吐息を漏らすことだけだった。

「は…ぁ…は………ふ…は……ぁ……」
「久しぶりの感触でしょう……如何です?」

動けない身体で苦しそうに息を吐くブルーに軽く上半身を乗せ、至近距離から覗き込んだ。
空いている手で、耳から頬骨、唇と触れていく。
その合間に、ハーレイは瞼や頬にキスの雨を降らせた。

声にならない息を零す感覚が狭まる。

やがて―――――震えが治まらないブルーが、長い息を吐いた。
瞼を閉じた途端、目尻から涙が零れる。

「泣くほど、良かったですか、ブルー?」

涙の後を舌で丁寧になぞる。

「こういうあなたも素敵ですが、やはり声が聴きたいですね」
「―――――ぁ…はぁ…はぁ…!」

若干自由になるようになった身体で、大きく息をするブルーを見て
ハーレイは「苦しかったですか?」と問うた。
身体を起こして、手のひらを頬に当て、微笑んだ。

「少し縛めが強過ぎましたね、すみません。でも、こういうのもお嫌いではないでしょう?」
「う……い…ぃ……や…ん……んっ!…」

ブルーは必死で顔を横に振る。
数センチしか動かない顔を、必死で。

『止めてくれ、ハーレイ!ハーレイ!!』

何度呼びかけたか分からない。
けれど、ハーレイはぴったりと遮断したままで、内面を覗わせることすら無かった。
不可解な笑みのまま、言葉を続ける。

「これから重責を担うんです、あなたの片腕として。少しくらい褒美を下さっても宜しいでしょう?」
「ぁ…い、や…………んっ……んんっ!」
「嫌なことは無いでしょう。毎晩なんて言いませんし、あいつらよりもずっとずっと優しくしますから――――」
「はぁ…!」

下穿きの中で、指が双丘の谷間をなぞった。
すぐに見つけた秘所を、解すように弄る。

「んぅああ…んあ…はぁ、あ…い…や…ハ…レイ…いや……や…」

先ほどまでは無い感覚を、皮膚が拾い始める。
精を吐き出した身体が疼きを伝え始めたのだ。

達したばかりなのに、ブルー自身が再び立ち上がり出す。

「い、や…ハーレ…イ…や……あ!…あう…んぁ……」

もどかしい位そっと、ハーレイは舌を、指先を這わせる。
首筋、胸の突起、脇腹、内股。

「あぁ…は…は……はう…ああ……はぁぁっ……」

びく、びくと震えるブルーの肌は紅潮し、瞬きするごとに涙が零れた。
けれど、自分の手で涙を拭うことさえ出来ない。

「ああっ!……いや……や…め………あぁ…」
「もっともっと、乱れるあなたを見ていたいのですが…私が我慢出来ません」

すみません、と言いながらズボンを取り去り、膝裏を掴んでぐいと足を広げた。
その間に入り込む。
双丘の谷間に硬いものが当てがわれた。

「いっ!…あ…や…!く、はぁああ…!」

途方も無い圧迫感と、強い痛みが走る。
硬く目を閉じ、顔を振った。

「あっあっ…はぅ…あ…あ…」
「上手いですよ、そうやって息を吐いて、力を抜いて―――」
「…は…はっ…うあ…ん……あぁぁっ!」

ハーレイは緩やかに身体を穿ち出した。
侵入を許した瞬間の痛みは消え、快感がじわじわと身体に満ちてくる。
心を占める、嫌悪感は消えないというのに。

「本当に、素敵だ、あなたは……!」

ハーレイの額に汗が浮かんでいた。
素敵だ、素敵だとうわ言の様に繰り返す声に、違う人間のものが重なる。

『素敵よ、ブルー…!』
『そんなにいいか!ええっ、ブルー!』


嫌―――嫌だ!
放せ!
僕に触れるなっ!


周囲には、いつの間にか沢山の機械が並んでいた。
ブルーは"いつものように"肌を重ねる相手の中に思念を潜り込ませた。

そこに居たものは、歪んだ欲望のままブルーを嬲る妄想でも、
溜まったストレスを発散すべくブルーを甚振る想像でも無く―――――俯き立ち竦む少年だった。
足元を凝視してはらはらと涙を零し、ごめんなさい…ごめんなさい、と謝罪の言葉を呟き続けている。
ボロボロ泣いているのに、きつく唇を噛んで嗚咽は決して漏らさない、褐色の肌と金髪の少年。

14歳のハーレイがそこに居た。