しゃぼん玉がはじける様に、また一つ、消えた。

高速で雲の上を飛ぶブルーは、己の手を見る。
紫の瞳に映るのは、いつもの手袋だけ。
怖れている色は、無い。

まだ敵の、アタラクシアの制空圏内なのだ。
ブルーは軽く頭を振る。
集中しなければ。

自分の前方には、前だけを見て懸命に飛ぶ機体。
今し方救出した新しいミュウの仲間を乗せた飛行機だ。
淡くぼんやりとした青い光――ブルーの思念波――に覆われている。

後ろを振り返った。
敵機の追撃は無いようだ。
シャングリラまでもうほんの僅かだ。

少し安心したブルーは先ほど消えた思念を思う。
これで何人目だろう。



―――ごめん
   すまない

―――君を選べなくて……



淡く青く光るブルーの軌跡から、ほんの少しの"雨"が降る。











真影04










主に自分のために開かれたハッチに降り立つ。
新しい仲間を出迎えるため、既に主だったミュウたちが揃っていた。
ブルーの姿に気が付いたハーレイが、良く通る声で告げた。

「君を救出した、我らの長、ソルジャーブルーだ」

大柄な身体の前で、小さな少年が振り返る。
表情はまだ固い。
その周辺で感嘆の声が上がった。

「さすがソルジャーだ!」
「お1人で、連れて戻られた!」

ブルーは少し微笑むと、ゆっくり少年に近づいた。
少年の目が見開かれていく。
自分と幾つも変わらないように見えるブルーに驚きを隠せないようだ。

「新しい仲間を歓迎するよ」

手袋を外し、そっと差し出した。
緊張のあまり冷たくなった手を優しく握る。

「安心していいんだよ。君は、僕らの仲間だ」

少年の手から少し力が抜けたようだ。
同時に、どっと歓声が起こる。

たくさんの歓迎の言葉や思念が、少年を温かく包む。
それと同じくらい、いやそれ以上の賞賛がブルーへと向けられた。
いつものように。



皆の賞賛に一つ一つ丁寧に応えて自室に戻る。
奥に向かう途中、古ぼけた小さい木の箱を開けた。
マントを外し、ベッドに腰掛ける。
そのまま後ろに倒れた。腕で両眼を覆う。
暗闇の中、周り全てを遮断した。



暫くして、それはやってきた。



部屋の隅で、何かがぼうっと光る。
輪郭はぼんやり白いが、その内側は闇よりも更に深い黒。

『……英雄だな』

影が話し出す。

『見たか?ミュウ共の顔を…まるでおまえが神かそれに等しい何かだとでも
 いうような目つきではないか』
「………」
『おまえが英雄?―――まあ、英雄には違いない。1人2人ではなく
 数え切れないほど殺せば、そいつはもう人殺しではなく、英雄と呼ばれるものだからな。
 我らを殺したように、今日は何人殺した?戦闘機を4機、搭乗者は2名づつだから8人か…』

影が燃え立つ。

『いや……9だな……ミュウを1匹見殺しにしたからな!』



シャングリラへの帰途、ブルーの中に流れ込んで来た細い思念。
恐怖に見開かれた目に映し出されたのは、無機質な天井と機械、表情の無い目をした
白衣の男女。
間断なく与えられる脳への直接的な刺激に、身体は悲鳴を上げていた。
止めて、誰か助けて、パパ、ママ、と。

ブルーはそれら思念を全て受け止めた。
……自分に出来るのはそれだけだったから。

同時に現れた2人のミュウ因子。
思う存分力を使い、アタラクシアを破壊しても構わなければ、2人とも
助けられたかもしれない。
けれど、シャングリラやそこでしか生きられない仲間の安全を考えれば、
助けられるのは、せいぜい1人。

ブルーは―――――選んだ。

実験室に彼を置き去りにすると選択したのは、間違いなく自分だから。
残さざるを得なかったもう1人の、命が消え去る時の全てを、遮蔽することなく
受け入れた。



『仲間を見殺しにする英雄さまか!はっ!』

揶揄するような声。
それは聞き覚えのあるもの。

『そんなおまえを、憧れ崇拝する他のミュウ共が知ったらどう思うだろうな!
 平気で仲間を天秤にかけ、選ぶような―――神を気取るおまえを……!』
「………………」
『その上で尚、おまえをあんな目で見ることが出来るかな、奴らは!』
「………もう、いい…」

ぱたんと、木の箱を閉じる。
ふっと影も声も消えた。

ブルーは深いため息を吐いた。


―――解ってる、解ってるんだ
   自分が何をしているのか
   その行いが、如何に罪深いか…


それでも、あからさまな賞賛と尊敬の眼差しは、ブルーの足元を掬いかねない。
自惚れることを、そんな事は決してしないとは断言出来ない。
だから、あれを捨てられないでいる。


―――自分もまた、弱い人間なのだ


解ってる。
ブルーは呟いた。

「わかってる……わかってる……」

暗い室内にブルーの声が響いていく。





それから、1ヶ月の間に"救出作戦"は繰り返し行われた。
成人検査を妨害し、敵と戦い倒し、仲間を護る。
ブルーはその全てを1人で担い、完璧にこなした。
ソルジャーの名に相応しい働きだった。



比例して―――――ブルーは1人で過ごすことが多くなった。



そして、ある話がハーレイの許に入る。
持ち込んだのはエラだった。
といっても、ハーレイを自分の執務室に呼びつけた格好である。

「お呼びたてして申し訳ありません」
「あなたがそこまで気を使う内容なのでしょう?構いません。してどのような?」

単刀直入なハーレイの向かいに座り視線を膝に落としていたエラだったが、
すっと顔を上げた。
まっすぐにハーレイの瞳を見る。

「何かの間違いではないかと思ったのですが、今日また同じ事が確認されたのでご報告を
 ―――――ソルジャーは我々に隠し事をされている」
「……もっと具体的に言っていただけませんか?」
「今日の救出活動の少し前に、私は別のミュウの思念をキャッチしました。
 いえ、この言い方は正確ではありませんね。ソルジャーの思念を追いかけて見つけたのです。
 それも2人」
「2人?ソルジャーは何も仰っていないが……そのミュウたちは何処に?」

エラは何か苦いものでも口にしたような表情になる。

「もう――――」
「……死んだと?」
「殺されたのです、人間たちに。あの、忌まわしい実験室でね」

そう告げる声は静かで、とても静かで。
でも、秘める怒りを十分に感じさせるものだった。

「ソルジャーが見殺しにしたと、あなたはそう言うのか」
「そうとしか考えられません。彼の思念は2人の存在を捕らえていたのですから」
「ありえないだろう。何かの間違いではないのか?」

首を振るハーレイにエラは身を乗り出した。

「わたくしもそうであって欲しいと思いました。でも―――――このようなことは
 2度や3度ではないのですよ、ハーレイ」
「―――!」
「確認出来ただけで、既に9件、13名のミュウの命が失われている」

その数字に、ハーレイは立ち上がった。
何故黙っていたのです!と声を荒げる。
椅子に座ったままのエラは苦しそうに、眉を寄せた。

「ですから、間違いであって欲しかったのです……!」

慎重な彼女のことだ、幾度も幾度も確かめたのだろう。
けれど、導き出されるのは結局同じ結果で。

崩れ落ちるようにハーレイが椅子に腰を下ろした。
背もたれに身体を預け、右手で両眼を覆う。

「お話下さらない理由が分からない………」
「わたくしにも分かりません」

少し俯いて、ただ、と言葉を続ける。

「大きすぎる力は人を変える。権力と同じです。ソルジャーは元々わたくしたちとは違っていらした。
 戦う力を持ち、それを実行できる強いお心をお持ちになっていらした。
 とてもお優しい方だったけれど……………想像を超えた力が心根を変えてしまう事もあるのではありませんか?
 そうは思いませんか?」

ハーレイは責める言葉を発しかけるが、厳しい事を言いつつも寂しそうに笑うエラに
彼女がかつてブルーに淡い思慕を寄せていたことを思い出した。
その想いは叶わなかったが、今でも彼を慕い、見つめているのだろう。
改めて、彼女も辛いのだと知る。

「………このことを、私の他に話しましたか?」
「いいえ」
「では、私に少し預けて頂きたい。時間はかけません」
「元よりそのつもりでした。糾弾したいのではありませんから……わたくしとて心配なのです」
「わかりました、では早速」

ハーレイは足早に扉に向かった。
途中、エラが"声"をかけた。

『あなたも気付いているとは思いますが、ソルジャーは最近良く眠れていないご様子です。
 医療班には口止めしていますが、かなりの量の睡眠薬を持ち出されています』

併せて確認します、と"返答"しながら、ハーレイは走った。
まっすぐに医務室に向かう。
ハーレイの剣幕に隠し通せないと思ったのか、それともブルーが持ち出したあまりの量に
虞をなしていたのか、確認はすぐに取れた。

今ブルーの手元にあるものは劇薬の部類に入る代物だった。

ソルジャーのご命令だったので、と口篭る医療班を置き去りにハーレイは走る。
ブルーを目指して。








明るい陽だまりに、彼はいた。
船の上部にある緑地公園部の一隅で、木に凭れている。
目は瞑っているが、眠ってはいない。
近づいていくハーレイの脳内に声が響いた。

『急用か?』

はい、と応えた思念はきっと緊張を伝えたのだろう。
ブルーが立ち上がったのが分かる。

『もう着きます。そちらに居らして下さい』

そう言っている間に彼の姿が視界に現れた。
静かにハーレイを見ている。
見慣れた、穏やかないつもの彼だ。
どうした、と視線で尋ねてくる。

幸い辺りに人の気配は無いが、用心するに越したことは無い。
思念で問いかけた。

『私は腹芸とやらが苦手ですで、率直に申し上げます。
 本日の救出に際し、他にもミュウの思念を感知していたことを
 何故仰ってくださらなかったのですか?』

それには答えず、ブルーはふうわり微笑んだ。

『エラだね?』

返事をしないハーレイに更に微笑みかける。

『そこで黙ったら認めたのと同じだろう。本当に不得手なのだな、ハーレイは』
『………質問の答えを、頂きたい』

ブルーは、ハーレイのまっすぐな視線に背を向けた。
思念では無く、表情の見えない声で応える。

「話す必要が無いからだ」
『こんな重要な事柄をですか?!会議に諮るべきでしょう?』
「………………」
『何か…あったのですか、ソルジャー?』

振り返らずとも、ハーレイがどんな顔をしているのか分かった。
少しの不安と大きな心配を併せた表情。
どちらもブルーを気遣ってのもので、僅かの不審も含まれていないことだろう。


けれど、今はそれが気に障る。
彼の暖かい思念に酷く苛つく。


ぐらりと、眩暈がした。
ブルーは背を向けたまま、太い幹に手を付いた。

「実際に救出に動くのは僕だ。判断は……僕が下す」
「何を仰るのですか!?」

思わず声が出た。

「勿論、我々はあなたを信頼していますが、それはあまりに独善的なのではありませんか!」

ハーレイの言葉を聞くにつれ、心の中のさざ波が大きくなる。
胸に込み上げてくる何かが、酷く気持ち悪かった。


―――全幅の信頼を寄せているのなら、黙っていればいい
―――戦うことが出来ないのだから、素直に従っていればいい


「確かに仰るように、ソルジャーのお力に頼りきりではありますが―――――」


―――君たちは、身も心も弱いのだから


「我らは仲間なのですから、」

少しでもあなたのお力になりたいのです。
そのハーレイの言葉は、最後まで発せられることは無かった。

「仲間だと?!ならばどうしてあの時―――」

大きな声と共に溢れ出たのは、手を振り払った幼いハーレイの顔。
恐怖と嫌悪に塗れた表情だった。

青ざめた表情で言葉も無いハーレイに、ブルーは我に返った。





僕は何を言った………?





ぎゅっと胸を心臓の辺りを掴む。

ハーレイがどんなにこの事を悔いているか知らぬ筈が無い。
だが、自分が安易に許しを与えることで却って傷を広げるのではないか、
そう思わざるを得ないほど彼の苦悩は深かった。
だから、その事に全く触れずにこの数年を過ごしてきたのに。
それなのに―――――





僕は何と………





ブルーは振り返りもせず、逃げるように走り出した。
実際、逃げ出したのだ。
ハーレイの顔を見る事が、声を聞く事が怖くて、逃げ出した。

ブルーは、力をも使いまっすぐに部屋を目指したのだった。