ハーレイがいない。
シャングリラの中に、ハーレイがいない。

通路にも、食堂にも、ハッチにも、公園にも、展望室にも。
自分の部屋にも、キャプテンシートにも、青の間にも―――僕の後ろにすら…。

ハーレイが、いない。





アタラクシアへ向かった彼の船は、戻ってこなかった。










―― Haley0801 ――





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ヒルマンに呼び出されたのは、船尾近くの一室。
ゼルを筆頭にした機械弄りの好きな連中の溜まり場だ。
僕はあまり来た事の無い部屋は、機械油や金属の匂いの混じった独特の空気が
たち込めている。

「これをご覧下さい」

ヒルマンに促されて、巨大な金属の箱を覗き込んだ。
僕は―――呼吸を忘れた。
ガラスの覆いの下、そこには信じられないものが横たわっている。

「こ…れは、なんだ…?」

何なんだ?
振り返った僕は、きっとぎこちない動きだったろう。
声も掠れていたかもしれない。
いや、掠れていたろう。

「ハーレイのアンドロイドです」

それは、そうだろう。
箱の中に横たわるのは、間違いなくハーレイだ。

改めて視線を落とす。
褐色の肌と金の髪を持つ男―――確かにハーレイによく似ている。
全裸で横たわる人型のものを見る限り、本物の彼と異なるところなど
見当たらない。

でも―――。
僕は視線を上げてヒルマンを見た。
訊きたい事が解ったのだろう。
こくりと頷き、話し始めた。










どうしてこんなものを造ったのか。

我々にはこれが必要だと考えたのです。
この船でこんなアンドロイドはこの一体だけ、ハーレイのものだけです。

艦長である彼を、我々は失う事が出来ないと考えたのです。

欠く得べからざる唯一無二のもの―――それはあなたも同じでした。
キャプテンよりもソルジャーであるあなたの方が、重要性は遥かに高い。

あなたがこんな言い方を好まないのは解っています。
人は皆、唯一無二で、尚且つ、誰1人失って良い者などいない―――

そう、その通りです。
私たちは1人1人が大切な存在です。
他人にとっても、自分にとっても。

ですが、私たちはミュウと云う種族を遺していかなければならない。
その為には、こういう選別がどうしても必要なのです。
これはあなたもお解りのはずだ。

その上で私たちはハーレイのアンドロイドが必要だと判断したのです。

どうしてか―――艦長を失う事は出来ないからですよ。
彼のように、教科書や辞書に準えた判断を下す、けれど、決して冷たくは無く、
公正で、公平で、穏やかで。
艦長として理想的な人物であるハーレイを失う事は出来ないと考えたんです。



あなたのアンドロイドも勿論考えました。
ですが、それは不可能だった。
あなたのような高いサイオン能力をアンドロイドに与える事など不可能だと
ゼルも云っていました。



だが―――何よりあなたは私たちを導くものだ。



私たちは機械に導かれる事を受け入れられない。
それは、我々を排除しようとするSD体制と同じになってしまう。

ハーレイとあなたの立場は違います。
私たちはハーレイのアンドロイドに指示を仰ぐ事は出来る。
ですが、ソルジャーのアンドロイドの言葉を聞く事は出来ないんです。



私たちを導くのはソルジャーブルー、あなたの声でなければならない。



あなたの声に忠実に動き、適正な判断を下すキャプテン、それは絶対に
必要なものです。
欠くことなんて考えられないし、万が一そうなった場合すぐに代わる者を
見つける事は無理でしょう。

次代の人物を育てる事も云われるまでも無く行っています。
しかし、世代交代を行うにしても時間が必要です。
彼がその責務を自覚し、きちんと働くまでの時間と、それ以上に必要なのが
乗員、すなわちミュウ全体の信頼を得る事です。
これにはかなりの時間を要する事でしょう。

ハーレイの立ち位置は、あなたがお考えになっているよりもずっと重い。
欠く事が出来ないのに代わりが居ない。

でも、今のハーレイと同じように動いてくれるならばアンドロイドでもいい。
ハーレイの考え方や行動規範は突飛なものではない。
簡単ではないが、彼の記憶をストックできればプログラムする事は
可能である―――このように考えたのですよ。



そう、このアンドロイドを造ることにハーレイは同意しています。
彼は定期的に記憶をデータ化する作業を行ってきました。
一番最近のデータは3日前、出かける直前です。

今、起動させればシャングリラ内の不安を払拭する事が出来るでしょう。
キャプテンが姿を見せなくなって3日、おかしいという声を消す事がそろそろ
難しくなっている。
私たちはこのアンドロイドを起動する事を考えています。

どうされますか、ソルジャー?
あなたの判断を伺いたいのです。
ソルジャーブルー…。










僕は改めてハーレイのアンドロイドを見た。
閉じられた瞼も、大きめの鼻梁も、記憶にあるものだ。
これが造られたものだなんて信じられない。

「………このアンドロイドはいつから此処に?」
「完成してから、もう、30年になります」
「―――!そんなに昔なのか…」
「隠していて、申し訳ありません」
「……それも、ハーレイの指示だったんだろう?」
「はい。協力するときの条件でした」

触れるかい?
僕の言葉に頷いて、ヒルマンがパネルを操作する。
静かに開くガラス。
僕は手を伸ばした。

人差し指で頬に触れる。
驚いた事にそれは温かかった。

「もう起動準備を行っています」

僕の意思を読んだかのようにヒルマンが答える。

「やはり―――ただの機械ではないので、起動には時間が掛かるのだそうです」

ゼルがそう言っていました。
ヒルマンの声は穏やかなままだ。
子供たちと話すときのような穏やかさ。
それが、逆に勘に障る。

「そこまで決まっているのなら、僕の判断など必要ないだろう?」
「………ソルジャー…」
「君たちがそこまで必要だと考えるなら、僕には説明だけで良いはずだ」

違うか。
押さえたつもりだったが、きつい視線になってしまった。
僕からついと視線を外したヒルマンが、今日初めて感情の乗った台詞を発した。

「ブラウが―――あなたの許可が絶対条件だと…」
「…ブラウ?」

怪訝そうな僕に、ヒルマンが言葉を続ける。

ハーレイに一番近しい者の同意が、絶対必要だと強く主張したのです。
自分たちがしようとしていることが、彼を良く知る者にとってどんなに残酷なことか。
それを我々は自覚しなくてはいけない、と。
決して忘れてはならない、と。

「ブルー…申し訳有りません…」

ヒルマンは震える声でそう呟いて、頭を下げた。












ドクターから復帰の許可を得たキャプテン・ハーレイが医療セクションの特別室を
後にしたのは、その日の午後だった。



































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