その姿を見た瞬間、息が止まるかと思った。

おはようございます。
振り返りそう笑いかける姿は、数日前までのブリッジには当たり前にあったもので。
けれど、その彼がもういない事、これは"まがいもの"である事を僕は識っているのに…。

でも、僕の身体は素直に喜びを感じていた。

飛び跳ねる心臓に静まれと命じるが、僕の一部なはずのその部分は一向に従わない。
僕は胸をぎゅっと掴んだ。

あまり強く掴んだものだから、痛みすら感じる。
けれど、胸の奥はもっと痛かった。











―― Haley0801 ――





                                       02









いつもの巡回。
最期は僕の部屋に辿り着く。

青の間の扉を開けた。
僕は当然のように後ろに付いてきた大きな身体を振り返る。
きつい視線を送った。

―――入ってくるな…!

ハーレイの、いや、アンドロイドの足が止まる。
僕は手を閃かす。
扉を閉める為に。
すぐに足早に室内へ。
それを確認すると、ハーレイの形をしたものが去っていく。
これもいつものこと。

"ハーレイが戻ってきて"2週間。
その日常は、馬鹿馬鹿しいくらい以前と変わりがなかった。

マントも外さないまま、ベッドに倒れ込む。
ごろりと身体を回転させ、天井を仰いだ。
柔らかい光の筈なのに、青が眼に痛い。
僕は腕で目を覆った。
酷く疲れていた。

この2週間の間、アレは完璧にハーレイを演じきっていた。
その証拠に誰も不審を抱くこともなく、アンドロイドに笑顔を向け、話しかけ、
指示を仰ぐ。
確かにアレの態度も応答も、間違ったところはなかった。
本物のハーレイも同じ言葉を口にし、同じように振る舞ったことだろうと思う。

しかも、アレはサイオンの真似事までするのだ。
どういった仕組みか――説明は受けたが、憶える気もなかったので忘れた――疑似
テレパシーをよく使い、シールドまで張れる。
ハーレイと同じ緑の光を纏って。

でも、アレはハーレイじゃない。

あまりの自然な振る舞いにうっかり釣り込まれてしまった途端、突きつけられる事実。
ハーレイを良く知る者―――僕やあるいは長老たちは感じてしまう、その違和感。
言葉にするのはむつかしいけれど、「違う」と身体が心が気が付いてしまうのだ。

ハーレイとしか思えない姿格好と、その違和感。
それが僕をイライラさせ、疲労させる。
日を追うごとにそれは蓄積され、僕は疲れていった。






それが、とうとう爆発したのは、更に3日ほど過ぎた日の夜。
長引いた会議の後、巡回に出た。

このところは成人検査も緊急の救出要請もなく、穏やかであったのだから止めておけば
良かったのだ。
でも僕はアンドロイドのハーレイを従え、シャングリラの中を歩き回った。
当然、苦情や不満の類もなく、微笑んでたわいのない会話を交わすだけの巡回で
終わった。

いつものように足早に青の間に入る。
途端、目眩を憶えた。
見慣れた室内が歪み、目の前が暗くなる。
膝から力が抜け、崩れかけた僕を捕らえたのが、あの腕だった。

胸の下に廻された逞しい腕。
温かさも、感触も、僕の身体を気遣う力加減も、全てがハーレイのものだった。
細胞のひとつひとつが歓喜の声を上げたかのように震える身体。
思わず僕はその腕を掴んだ。

刹那―――あの違和感を感じて。
僕はその腕を振り払い、その厚い胸板を突き飛ばした。

「ぼ…―――僕に触れるな…っ!」
「ソルジャー…」

よろよろと、それでも独りで必死に立ち上がり、腕を振り回す。

「お顔の色が優れません。すぐにベッドに―――」
「出ていけっ!」
「ですが、ブルー…」
「―――っ!!」

ブルー…だと…?
誰が僕の名を呼んで良いと云った…?

お前はハーレイじゃないっ!
お前なんか、ハーレイじゃない…っ!!

出ていけっ!
出ていけーっ!

声を枯らす僕に、"ハーレイの顔"が歪む。
それを見て、僕の胸がちりりと痛んだ。

僕がハーレイを苦しめている。
酷い言葉を吐いて…。

ちらりと胸中を掠めた思いに、また苛ついた。
それに痛みと苦しみが混ざり合い、訳の分からない感情が腹の底から込み上げてくる。
僕は胸の上の服地をぎゅっと掴んだ。

「まだ分からないのか…!」

低い声でそう言い、再び怒鳴るべく口を開くと、アンドロイドは踵を返した。
一礼し一言「ゆっくりとお休み下さい」という台詞を残して。

余計なお世話だ、と言い返そうと口を開いたが、声が出なかった。
喉がカラカラに乾いている。
へたり込みそうな身体を叱咤して、なんとかベッドまで辿り着いた。
カチャカチャと音を立てて水差しを取り、グラスを外すとそのまま口を付ける。
首の長い容器から直接喉に落とし込んだ水は、少し温かった。

「あんたらしくもない姿だね」

後ろからいきなり声を掛けられて、勢い良く振り返る。
テーブルと水差しが派手な音を立てた。

「ブラウ…!」

勝手に入らせて貰ったよ。
ブラウが顎で扉をしゃくる。
1/3程、人が1人すり抜けられるくらい開いていた。
無論、僕が開けた訳じゃない。

「強制パスワードじゃないよ」

あれはハーレイしか知らない。
ブラウは少し笑いながら言う。
何とも形容しがたい、不思議な笑いだった。

じゃあどうやって?
向けた視線は、恐らく冷たいものだったろう。
今の僕は、上手に感情を制御出来ないでいるのだから。

「まあ、色々ね…。かなり大変だったということだけで済ませてくれないかね」
「ふうん…」

簡単でないのなら、そう気にするものでもない。
腕で口から零れた雫を拭うと、またブラウの眼が細くなった。
「らしくない」とでもいいたいのだろう。

「こんな時間に何の用だい?さっきの会議では殆ど口を利かなかったのに」
「泣き言を言いに来たんだよ」
「―――?!」

驚いた。
ブラウがこんな事を臆面もなく言うなんて。
改めて顔を覗き込めば、そこには見たこともないブラウがいた。

座るように促すが、首を縦に振らない。
僕から1メートル程離れた場所で腕組みをし、立ち尽くしていた。

「相槌とかは必要ない。いや、しないで貰いたい」

兎に角黙って聞いとくれ。
静かにそう宣言して、話し始めた。



あんたにこんなことを言うべきじゃないことは解ってるんだ。
きっと、あんたはあたしより、辛い。
間違いなく、辛い。

そうだろ?



僕は何も言わず、顔を横に振った。
「ありがとう」と呟いて、ブラウは続ける。



でもね、誰かに聞いて貰わなくちゃ、もう限界なんだ。
誰かっていっても、誰でも良い訳じゃない。
ゼルやヒルマンじゃ、話にならない。

別に2人が悪いってんじゃないだ。
この理由なら、エラも除外だ。

ゼル、ヒルマン、エラじゃ駄目で、あんたなら良い理由―――ハーレイに
想いを抱いているか、さ。
特別な想いをね。



ブラウはひたりと僕を見た。
僕もブラウを見つめ返す。



アンドロイドのハーレイと、本物の違い。
多分、その3人も気づいているだろうさ。

それを感じた時、これまで一緒に過ごしてきた本物のハーレイの不在を改めて
思い知らされ、寂しいとか哀しいとは思うだろう。
けれど、あたしたちのように痛みや苛立ちを憶えることは無い。

彼らのものは次第に薄くなり、消えていく。
冷たい言い方だけど、それが事実だ。
慣れていくのさ。
他の仲間の死と同じようにね。

でも、あたしたちのものは違う。
消えるどころか、嵩を増し、積み重なっていく…。
心の中にどんどん蓄積されちまう…!



ブラウの手がゆるゆると動き、自分の胸元を掴んだ。
くしゃりと顔が歪む。



もう、苦しくて堪らないよ…!
あんなロボットなんか見たくない…!

何で、オーケーなんて出したのさ…っ!
ブルーっ!



勝手に身体が動いた。
ブラウを引き寄せ、腕の中に。
胸元をきつく掴んだままの彼女の身体を、抱き締める。

「…ごめん」

馬鹿っ!
ブラウに胸を叩かれた。

バカバカっ!
立て続けに手のひらで叩かれる。
もう大分前から僕より大きいブラウなのだから、結構な痛みだけれど。
何より、服にはたはたと落ちる彼女の涙が、熱くて痛かった。

「…ごめん、ブラウ…。ごめん」

何で謝るんだよっ!
涙声で怒鳴るブラウを更にぎゅっと抱き締める。
僕にはそうすることしか出来なかったから。
渾身の力を込めて、抱き締めた。





それがどうして、こうなったのか。
全裸のブラウが身体を起こし、ベッドから下りる。
床に脱ぎ捨てたままの服を掴んで、シャワー室に消えた。

雨音のような静かな水音が響いてくることだろう。
ベッドの中で、やはり全裸の僕はそれを聞きたくて、補聴器に手を伸ばした。



解らない。
分からない。

必要だったのかすら分からない。
でも、彼女の胸はとても柔らかくて。
身体はとても温かかった。
温かかった。





















続く





---------------------------------------------------- 20080818