―― 月が輝く夜だから 番外01 ――
















いつもの朝。
今日のメニューは焼きたてのパンケーキを小さく切って、蜂蜜に浸して
食べるというもの。
蜂蜜はブルーの大好物だから、今日も支度をしているハーレイにまとわりつき
鼻を鳴らしていた。
フライパンを持つ手をくいくいと引かれて、顔を向ける。

「いい匂いか?」
「うんっ」
「もうすぐ出来るから、テーブルに座って待っておいで」
「うん!」

ぱたぱたと軽やかな足音を響かせる小さい背中を見やった。
尻尾のないブルーの姿に慣れてきたけれど、もうひとつ慣れたものがある。
見えない尻尾を"見ること"。

想像でしかないことは分かっているけれど、つい思ってしまう。
今は高々と掲げた尻尾の先だけを少し曲げて、その先端部分だけをゆっくりと
揺らしていることだろう。
上機嫌な時のブルーの癖だから、間違いない。

くすっと笑いながら、手慣れた仕草でフライパンからまな板の上に落とした
パンケーキを切る。
一人暮らしが長い所為でこういことは得手な方だ。
全く出来無ければブルーを連れて外食しなければならなかったのだから、
長い独身生活も無駄ではなかったといえのかもしれない。

サクサクと軽い音が、パンケーキが満足出来る焼き上がりであると知らせてくる。
今日もまたあの笑顔を見せてくれることだろう。





蜂蜜の瓶と湯気の立つパンケーキの皿をテーブルに置くと、ハーレイは
キッチンに戻った。
ブルーのミルクと、自分の珈琲を淹れるためだ。
ハワイのコナ豆を粗めに挽き、沸かしたばかりの湯をたっぷりと注ぐ。

立ち上る香りを楽しんでいると、慌てた足音でブルーが駆け寄って来た。
どうしたんだと振り返る間もなく、ぐいと腕を引かれる。
驚いて顔を向けると、両手でハーレイを掴んで見上げてくるブルーは涙目だった。

「ど、どうしたんだ?!」
「んっ!んっ!」
「ブルー?!おい?」

ミルクも珈琲も持たぬまま、引かれるままにテーブルに向かう。
自分の席に着くとようやく手を離したブルーは、きちんと座ってハーレイを見つめた。
じっと向けられる瞳は、さかんに瞬きを繰り返している。
涙が溢れるのを堪えているようだ。

「んっ!!」

両手をテーブルに付き、何かを催促するように何度も顎を上げる。
まだ言葉を話すことは出来ないから、表情から読み取るしかないのだが…。
何を求められているのか、ハーレイは皆目見当がつかなかった。

「ブルー…どうしたんだい?」
「んっ、んっ!」

くしゃりと顔が歪み、とうとう涙が零れてしまう。
同時に口の端から、つ…と光るものも。

「うう――――っ!!」

焦れたブルーは音を立てて椅子から立ち上がると、両手でハーレイの右手を掴んだ。
それを自分の頭に乗せ、ぐりぐりと動かす。
強制的に銀髪をかき混ぜさせられながら、ようやく思い至る。

そういえば、言ってなかったかもしれない。
しかし、もうブルーは獣ではないのだし…。
でも、あの様子は…。

ハーレイは頭に浮かんだ言葉を恐る恐る口にした。

「―――もしかして、よし…か?」
「わいっ!!」

"わん"と"はい"が一緒になってしまったのか、意味不明な返事を一つ返して
ブルーはパンケーキに齧り付く。

―――舌でも噛んだのか、何かあったのかと心配したのに…!

満面の笑みでパンケーキにぱくつくブルーに脱力してしまう。
ああ、珈琲が冷めてしまった…と脳内でこっそり嘆くが、「いただきます」を
言えば食べて良いのだと教えていなかった自分が悪かった。
珈琲をカフェオレに軌道修正すると、改めてブルーを見やる。

教えた通りにちゃんと椅子に座って、パンケーキの尖った部分を金色の蜂蜜につけ
口に運んでいる。
ハーレイはテーブルに手を付き、覗き込んだ。

「旨いみたいだな」
「ん、んっ!―――む…ぐ…んぅ…っ…!」

慌てて口に押し込むものだから、案の定むせてしまった。
ハーレイは軽くブルーの背中を叩き、ゆっくり食べるように言う。

「ミルクを持ってくるからな」

そう言えば、あの笑顔で元気よく返事が返ってきた。
輝くような笑顔で。

「うんっ!」



















おしまい












-------- 20090419