その部屋は、かつて主が健在であった頃よりも数段明るい。
照明を落とした通路から部屋に入ったハーレイは、目を細めた。
眩い光の溢れるベッドに横たわるのは、銀糸の青年。
否、少年といってもおかしくない風貌の、白く美しい人物だった。












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ベッドサイドに立っていた白衣が振り返る。
こちらも、若い。
小さな金の波のような短い金糸が縁取る白皙の中に、優しく微笑む深い青の瞳。
まだ20代後半の青年医師は、いつものように笑いかけた。

「いらっしゃい、キャプテン・ハーレイ。お待ちしておりました」
「ソルジャーは、お変わりないか?」

残念ながら、というドクターの言葉を聞きながら、まっすぐベッドに歩み寄る。
とても穏やかな寝顔に隠された、ブルーの綺麗な紫の瞳をもう十年近く見ていない。
ハーレイは手袋を外した指先で、そっと瞼に触れた。

これも、いつものこと。

ハーレイは静かに眠るブルーを見つめる。
その傍らに立つ医師は言葉を掛けることなく、計器に規則正しく現れる脈の波形を記録していた。



黙っていれば2時間でも3時間でもベッドサイドに立ち続けるハーレイを、
医師はすぐ傍にある椅子に促す。
華奢な造りの椅子が2脚とテーブル。
かつて、そこでブルーと話をしたものだ。
今では毎夜話したその内容も思い出せない。
他愛の無いものだったのだろう。

その頃と同じように、テーブルの上にはクリスタルの酒器。
首の長い瓶には、琥珀色の液体が透けて見える。
医師は瓶を取り優雅な動作で、足の長いグラスに注いだ。

「お疲れ様でした。ブリッジも変りが無いようですね」
「……ああ」

ハーレイはグラスを傾けた。
熱い塊が喉を通り、腹に沈む。

勤務時間が終了すると、自室に戻る前に必ずこのブルーの私室に寄る。
これはシャングリラの艦長となって以来の習慣だ。
ジョミーがソルジャーの名を継いでからも、止めることは無かった。
かつてはブルーと、彼が深い眠りについてからはドクと―彼は医療セクションの
リーダーなのだ―と少し話をする。
グラス1杯の蒸留酒を飲み乾すまでの僅かな時間だけ。

室内に響いた微かな鈴の音が、日付の変わったことを示した。
ドクが扉を見やり、寂しげに笑う。

「これで……あなた独りになってしまった」

ハーレイが視線で問えば、「皆勤賞ですよ」と答えが帰ってきた。

「今日は―――もう昨日ですね、とうとうソルジャー・シンはお見えにならなかった。
 毎日来ていたのはあなたと、彼だけだったのに」
「……報告することが無くなったのだろう。ソルジャー・シンの成長は目覚しいものが
 あったからな」
「………成長すればするほど、悩みは深くなるものですよ」

ドクはグラスをテーブルに置いた。
硬質な音が響く。
空になったグラスに、今度はハーレイが注いだ。

「まだ、あなたも居るだろう」

ハーレイのその言葉に、ドクは軽く吹いた。

「私はソルジャーの主治医ですから!ここが私の仕事場ですよ」

そう、ドクは一日の大部分をこの部屋で過ごす。
24時間監視のための計器は付いているのだから、離れたセクションで仕事をしていても
差し支えは無い。
彼の業務を思えば、かえってこの部屋に居る方が障る筈だ。
実際、医療セクションの者が毎日幾度と無くドクを呼んでいるのだから。

定期的に計器を見て記録し、時折脈を取る。
終日、その行為の繰り返し。
ブルーの為だけに、彼一人のために己の時間を使って―――――ハーレイは軽い嫉妬を覚える。

ドクは笑顔を収め、真顔でハーレイを見つめた。

「はっきり申し上げて、ソルジャーの体調はあまり良くない。悪いとまでは言いませんが、
 快方に向かっているとはとても……この先も、良くて現状維持でしょう」
「…………」

もう既に何度と無く聞かされてきた言葉だ。
彼の身体は、非常に緩やかな速度ではあるが、徐々に弱りつつある。
最初に聞かされたときは目の前が暗くなり、心臓を見えない手で鷲掴みにされたかと
思うほど苦しくなった。

「そんな状態の人間と向き合っていくのはとてもエネルギーの要ることなのです。
 私のように職務でもなく、尚且つ近しい関係を持つ者のそんな姿を見続けることは、ね」
「…………」
「次第に足が遠のいてしまうのも、無理は無い。あなたのような方が珍しいのですよ」
「そう……だろうか……」

そんな状態なら尚のこと、一時も離れず傍に居たいと願うのではないか。
ハーレイは思う。
艦長という職責が無ければ、ブルーの世話の全てを自分が―――――

そこで顔を上げれば、微笑むドクの視線にぶつかった。
ハーレイは思念を遮断していなかったことに気付き、苦笑する。
酒は酔うほどの量ではない。
このところ、ソルジャー・シンと長老たちの間に入ることが多かったための疲労の所為だろう。
軽く咳払いして内緒だぞ、と思念を送れば、金糸の青年医師は微笑を深くした。



ドクはグラスをくいと傾けた。
再び空になる。
おいおい、と呟いたハーレイに、机に頬杖を付き、口元の笑みは消さないまま言った。

「これからも、毎晩お出で下さいね」

微笑んだまま、だが、その眼差しは真剣だった。

「以前申し上げたとおり、ソルジャーは本当は何時みまかれてもおかしくない。
 こうして眠っていることにすら本来は堪えられない状態なのです」
「………知っている。ご自身の強力なサイオンでこの身体に残って、
 しがみついていらっしゃる様なものだ、と」
「そこまでソルジャーが執着する理由―――――」

ドクは深い深い青を、ハーレイの瞳にまっすぐに向けた。



「あなたではないんですか?」



ハーレイは息を止めた。
ドクの射るような視線を逸らすことなく受け止めると―――――ふわっと笑った。

それはあるまい。
そう言って、グラスに残っていた琥珀を飲み干す。

「我らミュウの行き先を、心配してくださっているのだろう」

その穏やかな笑顔に、ドクも視線を和らげた。
ほうっと嘆息し、そうですね、と呟く。
ハーレイは立ち上がり、まだ座ったままのドクに片目を瞑ってみせた。

「ドクの言うとおりだとしたら、私は風邪も引けないではないか」
「もし、お風邪を召されたら、私が診て差し上げますよ。ですから、
 欠かさずいらっしゃって下さい。私も寂しいですしね」

そう言って微笑むドクの、目尻がほんのり赤い。
今晩の酒は少し度数が高かったらしい。
"白い美人"という以外はあまり似ていないのに、その姿はブルーを髣髴とさせた。
あまりアルコールに耐性の無いブルーも、ちょっと強い酒を口にすると
よくこういう顔をしていたな、とハーレイは思う。
酷く扇情的で、困ったものだったと。

ハーレイは扉に向かって歩きながら、柔らかい金糸をぽんと叩いた。
からかうように言う。

「そんな事を言って良いのか?ヨナが怒るぞ」

ハーレイの思念を感知したのか、それともずっと"視て"いたのかは知らないが、
内緒の相方が遠くでぎょっとしている様子が伺えた。
一方ドクは、言われた瞬間はきょとんとしていたが、すぐにくすっと笑うと
抜けぬけと言い放った。

「あれはそんなに器の小さい男ではありませんよ」

そうだったな、ハーレイも笑う。
もう一度眠るブルーに優しく触れ、扉に向かった。
キャプテンを見送るため、ドクも続く。

扉の傍で、では、と振り返ったハーレイの袖を引いた。
少し身を屈めさせ、その耳元でドクは囁く。
嘘ではないけれど、今言うことが、ささやかな意趣返し。



「あなたがお見えになると、ソルジャーの心拍数が上がるんです」



かあっと赤くなった顔で、ああ、とも、うん、ともつかぬ返事をしてハーレイは
部屋を後にした。

ホントにこの人たちは―――!
ほんの子供のよう!

ドクはくすくす笑う。



でも、自分が二人にしてあげられるのはこんなことくらい

あの地獄から救い出し、平穏な時間を取り戻してくれたのは……
人間らしい生活を送り、その上素敵な恋人まで見つけることが出来たのは……
全てはソルジャー・ブルーの力だった

憧れていた
その強さと、優しさに
彼の周りに漂う空気に

同じものをキャプテン・ハーレイが纏っていることに気が付いたのは、不覚にもここ1年ほど前
ごく稀にソルジャーの記憶が零れるようになってからだ

始めはそこまで彼が弱っていることに酷くショックを受けた
零れてくるものが、彼の命そのもののような気がして、怖かった

けれど、はらりはらりと落ちてくる映像が
自分の記憶にある、憧れて止まないソルジャーの空気を連れていることを感じてからは、
積極的に拾い集めるようになった

そして
その全てにキャプテンが居た

あんな強面のキャプテンとソルジャーの取り合わせ
ありえないと思った
ソルジャーの想いの人はフィシス様だと

でも毎夜訪れる彼を見て
分かった

キャプテン・ハーレイがいかにソルジャーを大切に想っているか
ソルジャーの想いを大事にしているか

そして

ソルジャー・ブルーは彼のために生きているのだと
キャプテンの想いに応え、生きようとしているのだと

でも
医師としての知識が、それは叶わないと告げている
ほんの一瞬の輝きなら可能かもしれない

でも
駄目なのだ、と

ならば
僕は少しでも、この二人が幸せで居られる時間と場所を確保しようと決めた



力及ばなくて、ごめんなさい
そう思うと、涙が溢れた。

声を殺して泣く青年医師の周りを、温かい空気が包んだ。
帰っておいで。
そう囁くのは、ヨナの声で。
少し垂れた黒い目で微笑んでいる顔が見えた。

医師は部屋の照明を少し落とす。
自分が意趣返ししたために挨拶を忘れたハーレイの変わりに、いつもの言葉を残して、
部屋を後にしたのだった。


「おやすみなさい、ブルー」