いつものように階段に腰掛けていたアルフレートが顔を上げた。

すると、シュンと小さな音を立て扉が開き、白銀の髪が印象的な青年が現れた。
アルフレートは一礼し、部屋を出る。

ターフルに並んだカードを繰る手を止め、フィシスは立ち上がった。
長を、迎えるために。










Wanted to look all the time











私に心を委ねて。
フィシスの声が、静かに響く。

目を閉じると、漆黒の闇に浮かぶ数え切れない程の光の粒子。
闇の中に浮遊し、飛んでいく。
眩い光を放つ銀河系が急速に大きくなり、眼前に迫り―――――飛び込んだ。

その端に位置する太陽系。
広大な宇宙から見ればちっぽけな、星々の集まり。
中に・・・・・・求め続ける青がある。

大きい訳でも珍しい訳でもなく、目立っている訳でもない。
ただただ、青い惑星。

それが、こんなにも愛おしい。
両の瞳に映した事など一度も無いというのに。



帰ってきた・・・・・
母なる星、地球




ブルーの顔が穏やかになる。
盲いた瞳でも、そんな彼の表情が見えるようだ。
多忙な長に一時でも心安らぐ時間を与えられた事に喜びを感じ、また
地球を見る彼の喜びに満ちた思念に誘われて、フィシスは微笑んだ。

二人を取り囲む暖かい空気。
その中で、ふとフィシスの頬に微かに触れるものがあった。
すぐに消えてしまったが、あれは――――哀しみ……?
ブルーに意識を集中しながらも、その元を探るように頭を巡らす。

ゆっくりと動いていたフィシスの顔が止まった。
その正面には、今も尚穏やかに微笑むソルジャーブルーが居た。


何を哀しむのです、ソルジャー?


頬を掠めていった思念を思い出す。
触れられた瞬間、痛いほど胸を締め付けられた。

フィシスは、気づかれないようにそっと彼の中に忍び込む。


何があなたを哀しませるのです……


自分が与えた映像の中、ブルーを追いかける。
彼が好む映像は分かっていた。
地球が大きく、そしてとても美しく見える場所。

しかし、そこに彼の姿は無かった。

フィシスは慌てた。
イメージとは云え、この広い宇宙で迷うようなことがあったら…!
必死に彼の気配を求める。

月、火星………居ない。
木星、土星、冥王星まで足を伸ばした。
太陽周辺も検索をかけるが、求める銀の髪は見当たらない。


ソルジャー、何処に!


内心を覗いてることに気づかれても構わないと、彼の意識に接触した。
途端、奔流のように流れ込んでくる青い光。
それが"海"と呼ばれるものであることに気づくまで、少し時間がかかった。
圧倒的な青は、フィシスの五感全てに広がった。

全身を包む湿った暖かい空気。
遠くで近くで鳴る、波の音。
鼻腔を満たす何とも云えない懐かしい香り。
足をくすぐる、ひんやりとした水。
その足の下で、指の間で波と共に動く白い砂。

柔らかい光に溢れ、キラキラと輝く青い海にフィシスは立っていた。







「本当に素晴らしい、地球は」

どれ位ぼんやりと立っていたのだろうか。
ブルーの声で我に返った。

「……ソルジャー…」
「君が見せてくれる風景、これは本当の地球ではない。
 君の記憶が作り上げる幻想なのに―――」

私はこんなにも魅せられる。
少し離れた砂浜に立つブルーは、振り返り微笑んだ。
さくさくと砂を踏み、フィシスに歩み寄る。

「君が呼びに来るなんて、私は長居しすぎたかな…?」
「……………いえ…すみません、ソルジャー」
「構わないさ。さあ、帰ろう」

現実世界に戻ったブルーは、感謝の言葉と手の甲へのキスを残し、去っていった。
彼に何と言葉を返したのかも記憶に無い。
入れ替わりで部屋に戻ったアルフレートが心配げな思念を寄越すほど、
フィシスは呆然としていた。

「心配をかけてごめんなさい。何でもないのです」

アルフレートに微笑んでみせ、タロットに手を伸ばす。
フィシスは、幾度か振り返りながらも定位置に戻っていく彼に気付かれないほど
深い場所へ意識を沈めた。
ソルジャーの心の中で、見たこと感じたこと、そして知ったことを思い出す。


ソルジャー
あなたは……

あなたという人は―――――!


あの海の鮮明な記憶が蘇る。
柔らかい光も空気も水も、全てがリアルだった。

そう、あれは現実だ。
めくるカードが僅かに震えている。


私の記憶にあるのは、地球に到達する道程だけ
あれほど詳細なデータは、私の記憶に存在しない

間違いない
私の意識は地球に飛んだのだ
ソルジャーと共に

ただ道筋を示しただけで地球まで意識を飛ばす事が出来る
あなたにはそれ程の力がある

……いいえ
実体も可能でしょう


あなたなら、あなたお一人だけなら


それを…ご存知なのですね、ソルジャー
あなたの哀しみは、そこからうまれている

地球まで飛び得る力
その強大な力は、でもたった一人しか行けない力で
皆を連れて行けない、あなたの悔しさが見える



そして、あなたの苦しみも
それを責めることなど無いのに

ひとりででも行きたいと願った自分がそんなに許せませんか?

あなたは我々ミュウの長であり、希望であるけれど
それ以前に一人の人間であるのに
それはとても自然な願いなのに

どうか
ご自分を責めないで下さい
お願いです



それに
嘘をつかないで……

自分につく嘘は、とても、苦い

あの美しい光景を私の記憶になさった
あれはあなたのお力で得たものなのに

飛べる力を
求めるあまり
無意識にでも飛んでしまう力を直視なさらないのですね

あの光景が私の記憶であると思い込むことで
ご自分の力を無いことになさるおつもりなのですね

お一人なら
私たちを置いてゆけば地球に行けることを
忘れてしまうおつもりなのですね

そうして、ご自分に嘘をついて歩いていかれるのですね





青い海と白い砂浜に立つ、ソルジャーブルーの姿がフィシスの脳裏に映し出された
壮絶なほどの孤独と深い深い苦悩を背負ったその姿は、しかし、空を見上げていた





ならば
私も

あなたの嘘にお付き合いします

あれは私の記憶
あなたがこの先手にしてしまうであろう美しい山や草原の風景も
すべて
私の記憶の中にあるものですわ





フィシスはターフルの上のカードを繰った。
それはブルーの未来を示すもの。

フィシスはカードを手にしたまま静かに座っていた。




その絵柄を、示す未来を知るものは、彼女一人―――――