FG8ブロックに幽霊が出る。



その噂をブラウが耳にしたのは、2日前。
いまだにおさまる気配が無いどころか、若いミュウたちの間で更に拡大する気配を
見せたため、ブラウはハーレイを訪ねた。

けれど。

ブリッジにも自室にも姿が無い。
顎に手をあて少し思案顔をしたブラウは、1人でその噂のブロックを目指した。





夜間の時間帯に入ったため、通路は薄暗い。
でも、ブラウは灯りも持たずに足を進める。
その足取りもいつものきびきびしたもので、辺りを見回す視線にも怯えの色は無かった。

あのアルタミラの惨劇を、いや、それ以前の地獄を知る者で暗闇を怖がるものはいない。



暗闇こそ自分たちの身を護るものだから。
明るい人工灯の許こそが恐怖の場だから。
その光の下でしか生活出来ない人類こそが、恐怖そのものだから。



ブラウはまっすぐ出るという噂のフロアに向かい、あっさりと到着した。
薄暗く、闇を怖がる者たちには気味が悪い場所なのだろう。
ブラウは目を凝らす。


果たして―――――望む姿はそこにあった。


床に座り込み、ずっと奥のもっと暗い部分を見つめている。
その目には生気が感じられない。

ブラウはその影につかつかと歩み寄ると、いきなり頬を張った。
胸倉を掴み、顔を近づけ怒鳴る。

「あんたがしっかりしなくてどうするんだいっ!」

褐色の頬がゆっくりとブラウの方を向いた。
けれど、彼女を認識出来たのかどうか。
ハーレイの唇は動かない。

それを見て、ブラウはぎっと奥歯を噛み締める。
言いたくは無いが、仕方が無い…!

「ジョミーが、ソルジャー・シンが部屋から出ず、何の応えも無い。
 しかも―――ブルーもいない……死んでしまった今、ミュウを導いていくのは
 あんたしかいないだろうっ…!」

ハーレイは動かない。

「こんな噂を放っておくのかい?!艦内の士気が下がる一方じゃないか!
 真っ先に消さなきゃならないあんたが、ここで何してるんだい?!」

がくがく揺す振られるハーレイに、水滴が落ちた。
ひとつ、ふたつ。
雫は顔を伝っていく。

「ハーレイっ………!しっかりおし!」

ここに来れば逢えるとでも………思ったのか……い………!
ブラウの声は掠れていた。
答えたハーレイの声も、途切れ途切れで。

「では―――彼は何処に……?」

生気の無い瞳に光が灯る。
その光は頬を伝って、落ちた。

「私の所為なのだ、私の………詫びなければ、彼に……」

ブルーに…!

その名を口にした途端、ハーレイの身体が瘧にでも罹ったかのように
ぶるぶる震えた。
大きなその身体をブラウは抱き締める。
掛ける言葉を持たないブラウは、ひたすらにハーレイを抱き締め続けた。



ナスカから脱出してからずっと、実質的なミュウの指導者はハーレイだった。
ブルーが戻らず、ジョミーも閉じこもり、全ての事柄は船を預かるキャプテンに
仰がなければならない。
執務時間中は――ほぼ毎日5時間以上の残業をしている――冷静に的確に仕事を
こなしていたが、ハーレイがいつ休んでいるのか分からないほど彼は忙殺されていた。
少しでも力になりたいが、これまでソルジャーとキャプテンに任かせっきりにしていた
ツケが来る。
ブラウは自分が日常の細かいことを如何に知らないか、身をもって認識させられた。

疲れた表情ながらも、こなしていくハーレイ。
その彼が今日ブリッジで眩暈を起こした。
倒れこそしなかったが、ブラウを始めとする長老たちは引き摺るようにハーレイを
自室に戻したのだった。



詫びるよりも。
一目でも彼に逢いたいのだろう。
こんなところまで、あんな噂を信じて。

ブラウはもう一度「しっかりおし」と呟いた。



抱き締めるその腕が、とんとんと優しく叩かれた。
身体を離せば、ハーレイが赤い目のまま微笑んでいた。

「すまない。ありがとう」と呟いて、ブラウの両腕を掴み、胸に額を寄せる。
思念が流れ込んできた。

『女々しくてすまない。迷惑をかけた』
『気にすることは無いよ。大体、何処が女々しいんだい?そんなことを言う奴は
 あたしが唯じゃおかないよ!』
『…ありがとう』
『でもね、ハーレイ。これっきりにしておくれよ。あんたのそんな姿は、
 やっぱり人目に晒すもんじゃない』
『…………』
『辛くても、ね―――――悪いんだけど、今のあたしたちにはあんたしか居ないんだから』



ブルーに託されたんだろ。
その一言は言えなかった。



変わりに、もう一度ぎゅっと抱き締める。
ハーレイも、軽く抱擁を返した

立ち上がり、通路を歩き出す。
ブロックを出るところで立ち止まり、振り返った。
数秒息を止め、先ほど見つめていた最奥を見やる。

もう一度振り返ったその顔に、ブラウはブルーの面影を見た気がした。











----------------------------------- 幽霊でも何でも良い 一目逢いたい ただそれだけが、望み 20070716