teatime


「用がある時は呼べよ」

 そう言い残してネオ・ロアノーク一佐は休憩の為ブリッジを後にした。
 (用がある時は、ね・・・・・用が無い限り連絡するな、ですか・・・はいはい)
 軽く敬礼は返したものの、ため息が出る。

「まったくあの人は・・・」

 先に休憩に入っていたマリュー・ラミアスの、艦長室へまっしぐらに向かっているであろう姿を
想像して、呆れていたノイマンの口元が緩んだ。
 邪魔してやろうかとちらりと考えたが、その後のネオの仕返しを想像する
ととてもじゃないが実行する勇気はない。
 ノイマンは気分の切り替えに食堂から持参してきた冷めた紅茶を飲むと、操舵席についた。

「さて、と」

 モニターに向かうと慣れた手つきで端末を叩き始めたのだった。



 ふと時計を見ると2時間以上経過している。
 ずっと画面を見つめ続けていたことに気づくと、途端に目や肩が痛み出した。
 ふわりと席から離れて、大きく伸びをする。

「う〜〜ん」

 年寄りじみた格好だなと思いつつ、肩を揉みコキコキと首を回していると、
ブリッジ後部の通信席に目が留まった。

 ミリアリア・ハウがジャーナリストを一時休止して、アークエンジェルの通信兵に復帰したのは
つい昨日のことだ。
 拍手で迎えられ、頬を染めながら、また宜しくお願いしますと元気良く頭を下げたミリアリアに、
ノイマンも皆と同様に目を細めた。
 アークエンジェルは人手不足な為ギリギリの人数で何とか動かしている状態なのだから、
本当に有難いとも思う。

 しかし・・・彼女にとって、この艦で過ごした1年間の記憶はあまり良いものでは無いだろう。
 キラ、フレイ、サイ、カズイ、そして、

 トール・・・

 ザフト兵のディアッカ・エルスマンとの事もある。

 噂好きなチャンドラらが、ヤキン後喧嘩別れたしたとか遠距離は難しかったようだとか言っていたが、
一時的にせよ好意を持ってしまった相手に銃口を向けるつらさを知っているノイマンは
諸手を挙げて歓迎する気分にはなれなかったのだった。

 腕を回したりして強張った身体を動かしていたノイマンの耳に入口の開閉音が入った。

「早いじゃないか」

 あと15分程で勤務時間になるチャンドラだろうと踏んで声を掛けたのだが、帰ってきたのが女性の声で
慌てて振り返った。

「お疲れみたいですね」

 ブリッジに入ってきたミリアリアは、ノイマンの"運動"姿に微笑んだ。
 かつてアークエンジェルにいた頃にも良く目撃した姿だ。
 (根を詰めちゃうところは変わってないなぁ)
 月の弱い重力のお陰で操舵席に向かう足取りは軽い。
 持ってきた食堂のセルフの飲料用カップをノイマンに手渡す。

「差し入れです。チャンドラさんから」

「ああ、ありがとう。まだ休憩時間終わってないだろ。どうかしたのか?」

 時計を見ながら問うてきたノイマンは言った。彼女の勤務開始時間まで、まだ3時間以上もある。
 ミリアリアは少し恥ずかしそうに笑って見せた。

「久しぶりのアークエンジェルに興奮しちゃったみたいで。落ち着かないです」

 ノイマンは眉を顰めた。

「休める時には少しでも休んでおかないと、後でくるぞ」

「はは・・・食堂でチャンドラさんにも同じ事言われちゃいました」

 ミリアリアは更に恥ずかしそうにしながら、ぺろっと舌を出した。
 妙に子供っぽい仕草だなと考えていたノイマンは、続くミリアリアの台詞にドキッとした。

「休まなくちゃいけないって解ってるんですけど、部屋に一人で居ると目が冴えちゃって。
全然眠れないんです」


 目が冴えて・・・眠れない・・・・


 数ヶ月前の自分と重なった。白い制服に袖を通し、アークエンジェルの舵を再び握った自分に。
 過去に囚われてしまう時の、ほんの僅かな心地良さと、それと交互にやってくる
重く押し潰されそうな程大きな後悔や哀しみ、痛み。
 それらに休憩度に襲われて、結果体調を崩してしまった自分の初期症状は、不眠だった。

 ノイマンがその複雑な感情や不眠から逃れられたのは・・・・・
 それらとの付き合い方を、言葉で、行動で、その背中で示してくれたのはマリュー・ラミアスだった。
 大天使という単語を名前にする艦に相応しい、美しくて優しい、そしてとても強い栗色の髪の艦長。

 必ずしもミリアリアが自分と同じ過去に囚われてしまいそうなのかどうかはノイマンには分らなかった。 

 だが。

 ファンデーションで隠されているが、よく見れば目の下がどんよりくすんでいる。目も赤いようだ。
 幾度か見かけた一人でいる時の表情も気になる。

 口幅ったく、己を含めた人の心の機微に敏感とは言い難い自分にマリューと同じことが出来るとは思わない。
 が、同じような感情を抱えてしまった人間の少しだけ先輩として少しでも元気付けられたらと思った。

 この暖かくてちょっと甘い紅茶のお礼も兼ねて。


「眠れない、か」

 冗談めかして言う。

「暗闇とかお化けが怖いなんて言うなよ。もっともアークエンジェルにツイてるのはお化けなんて代物じゃなくて」

 ノイマンはミリアリアに笑いかけた。

「とってもお強い守護天使のお歴々だろうさ。少々煩さ型もいるけどな」

 ミリアリアの脳裏に、ナタル・バジルールが仁王立ちになって、硬質で澄んだ声を張り上げている姿が
思い浮かんだ。
 思わずCIC席を振り返ってしまう。居るはずもない彼女の姿を求めて。
 同じように振り返っているノイマンを見れば、今は異なる主を持つ彼の席に、
当時と同じ優しい視線を向けていた。

 ノイマンのバジルール中尉への思い、そしてまたナタルのノイマンに対する思い、
それは彼らの行動の端々に現れていた。同じブリッジで働くクルーに気づかぬものが居ない程に。
 なのに、軍の都合で離ればなれにされて、アークエンジェルと敵対することになって、
挙げ句闘わなければ自分たちが討たれる状態に追い込まれて・・・
仕方なくとは言え、彼女が艦長を務めた艦ごと自らの手で沈めた。
それらをすべて最前線で見てきたノイマン。

 もし自分だったらと思うとー自分だったら絶対に軍に残るという選択はしないとは思うのもののー目の前が真っ暗になる。
 あれからいくらかの時間が過ぎているとはいえ、無味無臭の乾いた思い出になる程ではない。

 (この人は何て、強いのだろう・・・)

 ノイマンと比べて自分の悩みや思いが大したことではないとは思わない。
 しかし、今の彼のような笑顔で他人を気遣う事も出来ないと思った。
 視線をミリアリアに向けたノイマンは、黒目がちの目を細めて優しく笑っている。


「お化けが怖いなんて、そんな歳じゃないですよ」

 そう言ってミリアリアは破顔した。 その眦から、突然ぽろりと涙がこぼれた。
 堰を切ったように後から後からぽろぽろこぼれ出した涙に、ノイマンの笑顔が固まった。 
 泣いたミリアリア本人も驚いた。慌てて、背中を向ける。

「す、すいませんっ!なんでも無いんですっ!」

「なんでも無いったって!」

 焦るノイマンはとりあえずハンカチでもとポケットを探るが、生憎見つからない。
 ハンカチを探してバタバタしている間に、ミリアリアは何とか涙を止めることに成功した。
 そして、ポケットからは何も見つからずどうして良いか分らない、ちょっと情けない顔をしたノイマンを見て
思わず吹き出してしまった。
 一方笑われたノイマンはやや憮然としていたが、涙から一転して自分を見て大笑いしているミリアリアをよく見れば
鼻の頭と両の頬を赤くして、まるで小さい子供のようだ。
 泣きやんでくれてほっと気が緩んだのと相まって、吹き出してしまった。

「もう!顔見て笑うなんて、酷いじゃないですか〜」

 ミリアリアはぷうっと頬を膨らませて怒った顔をしようとするが、笑いの発作が勝っているため失敗する。

「ごめん、ごめ・・んっ」

 ノイマンもツボに嵌ってしまったようで、笑い続けている。 
 ブリッジには暫く二人の笑い声が響いていたが、それは次第に小さくなり消えた。

 大きく一息吐くとミリアリアはすっくと立ち上がった。

「じゃ、わたし部屋に戻ります」

 お邪魔しましたと言って入口に向かう。

 シュンと扉の開く音に重なって、ミリアリアの声がした。

「ノイマンさん」

「ん?」

 既にモニターに向かっていたノイマンが振り返ると、ミリアリアがぺこりとお辞儀をした。

「ありがとうございました」

 極上の笑顔で。

「・・・オレこそありがとう」

 軽く手を振って消えたミリアリアに向けたノイマンの視線は、かつてナタルに向けられていたものと似た色を帯びていた。