sweet sweet stories 10
―――――HAPPY HALLOWEEN 大学の門をくぐると、まだ色づく気配の無い銀杏並木の間に、かなりな人だかりが 出来ていた。 様々な格好をした若者が、学園祭を見に来た客にチラシを配っているようだ。 周りの人間より頭一つ大きいハーレイが、ぐるりと顔を巡らせた。 探すものはすぐに見つかり、焦げ茶の目が細められる。 サークルの仲間たちとはしゃぐブルー。 黒を基調にした給仕姿の若者たちの中にあって、太陽の光を反射する銀糸と、 ずば抜けて整った彼の容姿は人目を引かずにはおかない。 実際、給仕たちを遠巻きにする女性の数は、他のグループのチラシ配りから見れ ばかなり多かった。 ハーレイが手を振るより早く、ブルーの瞳がその姿を捉えた。 額に手を翳し、この季節にしては強すぎる陽光を遮るハーレイも、実は目立っていたのだ。 白いシャツに濃紺のジーンズ、家を出る時に羽織っていた芥子色のジャケットは早々に 出番を失い、手荷物と化している。 ラフな格好だが、褐色の肌を纏った筋肉質の大きな身体を引き立たせるには十分だった。 軽く手を上げ、近づいてくる。 その格好良さにブルーは、「ほう…」と小さく息を吐いた。 隣に居た学生も同様に感じたのだろう、肘でつついてくる。 「あれ、誰だよ?」 「母校の先生。前に、ここの学祭に来たこと無いって言ってたから、招待したんだ」 「へえ。体育の先生か」 「はずれ。日本史だよ」 「日本史?!お前が生徒会長だったのも結構吃驚したけど、外国人が日本史って…  お前の学校って変わってるのな!」 慌ててつけ足した「変わってるってのは良い意味に…だぞ」という台詞は、 ブルーの耳には届かなかった。 誇らしさに頬を紅潮させて、手を振る。 同じように微笑んだハーレイが、ゆっくりと隣に立った。 居合わせた女性たちが、手に手にカメラや携帯を取り出したのも無理はない。 絵になるのだ。 とても。 よしっ! 少し遠くから給仕たちの指示していたサークルの部長が、手を鳴らした。 「君たち二人がうちの広告塔だ」と声高に告げる。 きょとんとして「君たち二人?」と問うように繰り返したブルーに、眼鏡越しの ウインクを1つ飛ばした。 「ブルー君と、隣のあなた、です。是非ともお願いしたい!」 「部長?!いきなり何言ってるんです!僕はともかく、いや、良くは無いんだけど、  先生は…先生は見学に来ただけで―――――」 ブルーは台詞を最後まで言うことが出来なかった。 サークルの仲間だけではなく、周りからの賛同の拍手や歓声に掻き消されてしまったのだ。 状況を飲み込めないハーレイが小声でブルーに問う。 「広告塔って何だ?」 「…先生、ごめんなさいっ!」 「何で謝る…?―――――っ!!謝るようなことなのか?!」 良くない何かを悟ったかのような怪訝そうな表情から、ブルーは顔を背けた。 言い難そうにぼそぼそっと呟く。 その台詞に、流石のハーレイも顔色を変えたのだった。 やだっ! 何でそれ、僕なんですっ! 閉じた扉の向こうから漏れ聞こえてくるのは、ブルーの声だった。 通路で壁にもたれているハーレイと、副部長の耳にまで届く程だから、 結構な大きさだろう。 無理もない、あの格好では。 ハーレイは視線を落とし、己の足元を見た。 靴からスラックスは漆黒に塗りつぶされ、それは更に上に続いている。 黒一色の視界に、赤と白の煙草の箱が差しだされた。 軽く手を上げてそれを断ると、勧めた当人も咥えていたものを箱に戻す。 「構わないが」 「そういえば、うちの大学全面禁煙でした」 副部長の肩書を持つ男は、しれっとそんな台詞を吐きだした。 向かいの部屋の扉を眺めて、ハーレイと視線を合わせないまま問うてくる。 「どうしてお断りにならなかったんです、コスプレ?実はご趣味でしたか?」 「いや、そんな趣味は無いよ」 「その割には、かなりすんなりでしたよね」 「ああ…知ってるからな」 「何を―――――ご存知で?」 「悪い意味じゃないんだが」 ハーレイの台詞に、隣の男が吹き出した。 笑いながら言葉を続ける。 「その前振りをしてる段階で“良くは無い”んでしょう!」 「それもそうだな」 釣られてハーレイも笑った。 まあ、一般的にはこの話は褒めてる内容じゃないな。 だが、ああいう女性が、ああいった表情で、あんなもの言いをした時は、 反対しても無駄だ。 こちらがどんなに正論だろうと、確実に言い負かされる。 反論しても、時間も気力も無駄になるってことを、経験則で知ってるんだよ。 君も見たところ、あの部長さんと付き合いが長そうだから、分かるだろう? どうだい、違ってるか? ―――――ふふ、だろう…。 ―――――どんな経験かって? 彼女、感じが俺のばーさんにそっくりなんだよ。 最後の一声を聞いて、副部長は「それはそれは、ご愁傷様です」と苦笑した。 そこへブルーの叫び声が重なる。 「嫌ですっ!」 「さっきも言ったでしょう!あなたは細すぎるのよ!」 「だからって、何で、何で僕が女装なんですっ!」 「似合うからよっ!!」 「―――――っ!」 「それに、あなたが今着られる衣装はこれしかないっ!」 睨み合う姿が見えるようだ。 廊下の二人がクスクス笑う。 ひとしきり笑った後、ハーレイと副部長は顔を見合わせた。 部屋の中が静かになったのだ。 「そろそろ、ですかね」 「…あれを着せるんなら手伝いも要るだろうしな」 扉を開けた副部長に続き、ハーレイも部屋に入る。 その姿は漆黒のタキシードに、同色の長いマント、そして手には顔の右半面を覆う 黄金色の仮面。 通常であればこのコスチュームにはのっぺりとした白のマスクであるが、ハーレイの 手にしているものは細い金が複雑に絡み合い、さながら顔を這う蔦のようだった。 確かに褐色の肌にはこちらの方がいいだろうと思う。 そうして部屋の中で顔を真っ赤にしたブルーが手にしている衣装もまた、 かの部長のコーディネイトだ。 深紅よりももっと深い、茜色よりは暗く、海老色と言っては明るい色合いの、 赤錆色ともいうべきか、酷く濃く入れた紅茶で何度も染め上げたような色合いのドレスは ブルーの肌や髪を引き立たせるもので、似合うと断言出来る。 彼女のセンスには、誰も口を挟めなかった。 そんなところもばーさまに似てる―――――ハーレイはこっそり笑ったのだった。 午前中だけ。 ハーレイと同様に顔を覆う仮面をつける。 何とかその条件を部長に飲ませ―――ハーレイにとっては反論できる事だけでも 驚きだったのだが―――ブルーは渋々ドレスに袖を通した。 ヘアメイクを済ませ仮面を着けると、ハイヒールが差し出される。 露骨に顔を歪ませたが、諦めたようにため息をつき、ブルーはそれを履いた。 大きく開いた襟元を隠すように短い毛皮風コートを羽織り、立ち上がる。 ふんわり膨らませたドレス姿はまるでおとぎ話に出てくる、舞踏会に向かう お姫様のようだ。 ハーレイは傍らに寄ると、慣れたように腰に手を宛て腕を差し出した。 驚くブルーに「しっかり掴まれ。足が痛くなるぞ」と囁くと、部長がすかさず、 「そうそう、しっかり腕を絡めてね!」と大きな声を上げる。 同じ明るい声が出発を宣言し、二人は陽光の下に歩き出したのだった。 行く先々で歓声が上がる。 同時にフラッシュの嵐に包まれて。 二人は大学の構内を歩く。 それではここで、と様々な場所でポーズする事を同行する運営委員から求められ、 その度に眩しい光を遠慮なく浴びせられた。 教壇に立ち、生徒から見上げられる事には慣れていても、こんな風にモデルのように 見つめられる事など日常そうそうある筈もない。 付けている仮面の所為もあって笑顔を要求されない事だけがハーレイにとっては 唯一の救いだった。 一方似たような銀の仮面を被っていたブルーは、己のサークルの宣伝をしなくては ならないからか、始めこそ仏頂顔だったが次第にぎこちないながらも笑って、手を 振れるようになっていた。 もっとくっついて! 腕を組んで! こんな黄色い声での要求にも嫌がらず、何とかにこやかに応じている。 それでも「キスして!」との声には、流石に顔が引き攣っていたが。 だが、ハーレイの腕を引き少し屈ませると、長い扇子で口元を隠しながら すっと顔を寄せてきた。 口づけのフリにひと際大きい歓声が湧く。 その声に紛れて「先生、ごめんね」と耳元で囁かれ、驚きで目を見張ったハーレイの顔も ようやく緩んだのだった。 郊外にあるために狭くは無い大学の構内を巡って、そろそろ昼になろうという時刻。 ハーレイが急に足を止めた。 いぶかしむ周囲を他所に、身を屈めブルーの顔を覗きこむ。 「もう限界だろう」 「え…?何が?」 「ブルー、無理するな」 そう言って、金の仮面の奥で褐色の瞳がハイヒールの足元を見た。 顔色を変えたブルーがさっと足を引く。 「無理なんてしてない。ちょっと痛いだけだから。もうすぐ終わりだし、大丈夫だよ」 「お前…」 笑顔を向けるブルーに、ハーレイは呆れたようにはーっと息を吐いた。 更に云い募ろうとしたブルーの身体がふわりと浮く。 ハーレイが、所謂『お姫様だっこ』の形で抱え歩き出したのだ。 抱き上げられた当人の抗議の声だけでなく、慌てて制止する運営委員たちをも 全く相手にせず、黒のマントを翻すような大股でずんずん歩いて行く。 「ちょ…待って下さい!」 「先生!僕は大丈夫だって―――――」 「あと少しですから!」 ぴたっと足を止めたハーレイが、運営委員たちをジロリと睨め回した。 頭一つ分大きいので見下ろす格好となり、その体躯と相まってかなりな迫力だったの だろう、抗議の声が上がらなくなった。 「俺たちはこのまま歩いて行く。その方が目立つだろう」 文句は無いな。 強めな視線で言外にそう念を押され、運営委員たちがコクコクと頷く。 「先生、下ろして!」 「駄目だ。その足では歩けない」 「大丈夫だよ!」 「……………」 「先生!」 「……………」 「ハーレイ先生!!先生〜っ!」 ジタバタと暴れる美しい姫を抱えた黒衣のファントムもどきはそれはそれは人目を 引いた為、二人が元の公舎に入るまでの間にこれまで以上のフラッシュが派手に たかれたのだった。 着替えを済ませた講堂に到着しても、ハーレイはブルーを下ろさなかった。 目を丸くする部長以下サークルメンバーの間を通り、抱っこのまま一番近い教場へ入る。 躊躇いもなくブルーを教壇に乗せる―――勿論、乗せられた当人はすぐに降りようと したが「座っていろ」と一喝された―――と、入口から中を覗いていた1人に救急箱を 持ってくるように告げた。 「医務室じゃなくて大丈夫ですか?」 「ああ。ただの靴ずれだからな」 そう返したハーレイは、入口をぴしゃりと締めた。 1つ嘆息し振り返ると、ブルーが柔らかく深い紅に包まれている。 その美しさに思わず足を止めてしまう。 光の源は、ドレスだった。 二人が居る教場は階段状であったため、教壇のある最下部は天井が高い。 その壁面に縦に長い窓が幾つか設けられている。 ちょうど昼の陽光は直接室内に差し込んでおらず、窓からの柔らかい光をドレスが 反射していたのだ。 立ち竦んだ“ファントム”に、ブルーが怪訝そうな顔を向ける。 ここで褒め言葉を口にすると臍を曲げてしまいそうなので微笑むだけに止め、ハーレイは ゆっくりと近づき、膝をついた。 華奢な作りのハイヒールを手にし、そっと脱がせる。 細い足を少しだけ捻り、傷を確認した。 踵の上、アキレス腱の部分の皮が剥け血が滲む様はかなり痛そうだ。 もう片方の足も同じように傷ついており、ハーレイは表情を曇らせる。 顔を上げ、咎めるような視線を向けた所で、入口の扉が開いた。 サークルメンバーから救急箱を受け取り、手伝いの申し出をやんわり、だがきっぱりと 断るとハーレイはまた跪いた。 「全く、こんなになるまで我慢して…」 ちょっと痛いぞと言いながら、短い丈のストッキングをそろそろと脱がせる。 その通りだったのだろう、ブルーが顔を顰めた。 「絆創膏を貼ると大分違うが、歩けそうか?」 「…大丈夫、だと思う」 「なんなら、抱えて帰ろうか?」 「なっ?!大丈夫だってば!大げさなんだから、先生は!」 余程お姫様抱っこが恥ずかしかったのだろう。 ブルーは顔を真っ赤にしている。 ドレス姿と相まって、ハーレイにとっては可愛らしさ倍増だ。 絆創膏を貼りながらも、もっと構いたいというその気持ちがどんどん膨れ上がった ところで、ブルーが一言呟いた。 「でも―――――ありがと…」 ハーレイの頭の中で、小さくぱちんと弾ける音がした。 「食べちゃいたいほど可愛いお姫様だな」と言いながら、ハーレイは跪いたまま 白い素足を掴むと、素早く口づけた。 恥ずかしさで感情を爆発させたブルーの叫び声と、ハーレイの大きな笑い声に 廊下の学生たちが一様に、教場に驚きの視線を向ける。 そんな中、ブルーの属するサークルの部長だけがカメラ片手ににんまりと笑ったのだった。
-------------- 20131124 恥ずかしくて恥ずかしくて恥ずかしくて 穴があったら入りたいと思うほど恥ずかしくて でも、とっても幸せだった時間