sweet sweet stories 08
さらさら、さらさら。 とーん、とん。 網戸にして開け放ったベランダに居ると、笹の葉ずれに混じって、遠方から 太鼓の音が聞こえてくる。 町内会の祭りの準備なのだろう。 都内では珍しく、この界隈の夏祭りには子供のお囃子があるのだとブルーに 教えてくれた人物は、今キッチンに居た。 カチャカチャと食器の触れあう音とサァァという水の音は、もう間もなく 終わるだろう。 食事の支度はブルーで後片付けはハーレイ、逆に支度をハーレイがすれば 皿洗いはブルーに―――――これがこのフラットの決まりだ。 それだけではない。 風呂の掃除はハーレイ、居間やキッチンはブルー。 月・木のごみ出しはブルー担当で、隔週土曜日の不燃物はハーレイ。 土曜の朝は近くの朝市で野菜を仕入れ、その他の買い出しは日曜日。 細かな決まりは自然とそうなったものもあるし、2人で話し合って決めたものもある。 それらは全て、お互いがお互いの生活を理解し尊重し合った結果だ。 一緒に暮らし始めて、もう2か月ほどで1年になる。 朝起きて、一緒に食事を摂って、仕事に大学に行く。 帰宅時間はまちまちなのだけれど、出来うる限り時間を合わせ夕食を、それが 叶わなければ少しのアルコールや珈琲を口にしながら話をして。 取りとめのない内容の時もあるし、クソがつくほど真面目な話の事もある。 後者の場合はブルーがかなり熱くなってしまう事もあるが、ハーレイがうまく 宥めたりするのでベッドに入るのはあまり遅い時間にはならない。 そして―――――セックス。 それぞれの日中があるので毎夜ではないが、少ない事もないだろう。 穏やかな、それは穏やかな生活だ。 その穏やかな生活で、ブルーはハーレイの意外な面を多く知った。 今日も、そうだ。 ブルーは視線を落として自分の恰好を見る。 薄い色合い――ブルーにはベージュという言葉しか浮かばなかったのだが、 ハーレイは鳥の子色とか言っていた――の紗の単衣。 もちろん自分独りでなど着られるはずもなく、すべてハーレイのされるがまま、 自分はただ突っ立っていただけだ。 少し伸びた髪も簪一本で器用に上げてくれた。 そしてブルーの着付けが終わると、今度は自分のものをあっという間に身に つけてしまった。 麻の小地谷縮――舌を噛みそうな名前だ――は、マスタードカラーでハーレイの髪と 褐色の肌によく似合っている。 ブルーの着物同様に色の名前を口にしていたが、覚えられなかった。 ただ、彼に本当によく似合う。 肩越しに後ろをちらりと視線を投げれば、器用に襷を掛けキッチンに立つ姿が見えた。 帯でぎゅっと締め付けている訳でもないのに、着崩れした様子は全く見られない。 いつも身につけているような、そんな雰囲気さえ醸し出している。 「凄い…!どうして出来るの?!」 「…子供のころ、祖母に仕込まれたんだ」 着付け後のブルーの問いに笑いながら答えたハーレイはどこか寂しげで。 ここにも自分の知らない姿がある―――ブルーはそう感じた。 しかし、最も驚いたのは"あの夜"だった。 去年の4月の終わり。 気の早い初夏がその顔をちらりと見せたあの日。 クラッシックのコンサート後、少し気取ったレストランで遅い夕食を食べて、 軽くワインを飲んだ。 店を出たとき頬が火照っていたのは、胸が高鳴っていたのは、慣れないアルコールの 所為だと自分に言い訳しながら夜の街を2人で並んで歩いて。 辿り着いたのはハーレイの宿泊しているホテルだった。 入口のドアの前で自分に向けられた視線。 静かで穏やかな、いつもの先生の顔なのに、その視線だけは違った。 ―――――どうする…? 真っ直ぐなのに、どこか怯えを孕んだそれに、ブルーは小さく頷く。 そして一緒にドアをくぐった。 エレベーターに乗り、降りて通路を歩き、部屋はすぐだった。 その間は無言で…。 息苦しささえ覚えたほどだった。 あれだけ真っ直ぐに対峙してきたハーレイが、一度も顔を向けないまま鍵を取り出し、 扉を開く。 大きな背中に続いて部屋に入ったブルーは、通路と同様の温かな暖色系の灯りの下で いきなり抱きしめられた。 かちゃりとオートロックのかかる音をどこか遠こえる。 その耳に、震える息がかかった。 「………嫌なら、ここで言って欲しい…」 「な…先生…?!」 驚いて目を見開いたブルーは身動ぎしたが、更にきつく抱き込まれてしまう。 言葉とは裏腹な行為に戸惑うが、続く言葉が先ほどの吐息同様震えている事に気づき、 またさっきのような目をしているのだと分かった。 怯えているのだ、彼もまた。 「今なら、この腕を外せる―――――」 まだここでならブルーを解放出来るから、少しでも嫌悪感があるのなら言って欲しい。 俺は男で、ブルーも男で。 普通じゃないことは分かってるんだ。 少し年の離れた同性に魅かれるのは、ブルーくらいの年のころならよくあることだし、 そしてそれは年を経て自由になる事への憧れみたいなものだから。 ブルーが俺に抱く思いがそれならば、この先の関係はとてもじゃないが 堪えられないものだろう。 言っていることは分かるな…? 俺はお前が好きで、抱きたいと思っている。 好奇心や一時の感情ではない。 だから、ここで訊いているんだ。 一度手にしてしまったら、ブルーはもう他の人を見つめる自由は無くなるから。 俺は嫉妬深いんだ。 独占欲が他人よりも強いんだろう。 俺のものになったブルーが他の人を見て、思う事も許さない…そう思う。 だから―――――。 大きな身体まで震わせての告白に、ブルーは皆まで聞く事無く答えた。 僕は―――嬉しい、と。 びくっと震えた背中を、廊下で教室で焦がれて何度も見つめた背中に自分も腕を回す。 そうして、ぎゅっと抱きしめた 「…いいよ、そうして…」 「ブルー…」 首筋から顔を上げたハーレイが、にっこり笑った。 細められたそのまなじりが微かに光ったのは気の所為だろう。 だってそれは、褒められた子供のような笑顔だったのだから。 あんな笑顔も初めてみたものだったな。 ブルーは思った。 ぼんやりと思い出に浸っている間に少し強くなった風が頬を撫でると、 笹の葉鳴りと共に5色の短冊が揺れる。 「これも意外だったんだよね…」 沢山の短冊は、ハーレイの教え子が書いたものも多い。 けれど、一番目立つ大きな文字で書かれたそれは、ハーレイの手によるものだ。 ―――――世界征服。 綺麗な筆さばきで綴られたのは、たった四文字。 子供のころから毎年そう書いているのだという。 初めて経験した七夕で、着付けを仕込まれた祖母にもっと大きな夢を書け!と 叱られて以来だそうだ。 その短冊の端を摘まむと、ブルーはくすりと笑った。 らしくない言葉だけれど、ちっとも嫌じゃない。 いつもとは違うけれど、でもそれも自分なのだと見せてくれること、 それが嬉しくて堪らないのだ。 もっと、もっとハーレイの事が知りたい。 その思いは強くなるばかりで、時々困ってしまうほどなのだから。 不意に気配を感じた途端、ふわりと後ろから抱き締められた。 背中に当たるその体温が愛おしい。 「何を考えてたんだ…?」 「決まってる―――――」 答えようと首を巡らせると、唇が熱く柔らかいものに覆われた。 言葉にしなくても分かってる。 そう言っているかのような優しい口付けは、次第に深く激しいものに変わっていく。 決まってる、あなたのことだよ。 何故ってあなたがそう言ったんだ。 僕に許されているのはあなただけを見て、あなたのことだけを思う事だって。 責任取って貰うよ。 あなたは僕の世界を征服したんだから。 「ブルー…」 「…ハーレイ」 2人の台詞は、ぴたりと閉じられた硝子戸の向こうに閉じ込められた。 程なく部屋の灯りが消える。 甘い甘い時間、繰り返される睦言は、2人だけのもの―――――。
-------------- 20090719 七夕の夜 恋する2人はいつも一緒だけれど それでもやっぱり特別な夜