sweet sweet stories 01
夕暮れの街角。 ついこの間までスプリングコートが手放せなかったというのに、 今日は季節外れの熱気が辺りを席巻した。 それがまだ残り、少し蒸し暑い。 ブルーは駅前の広場で、目の前の電光掲示板を見つめていた。 "51,52,53…" 心の中でカウントするのは、掲示板の隅で光るデジタル時計の秒数。 もうどれだけ逢っていないだろう。 学校に行っていた頃は、毎日顔を合わせていたのに。 卒業してからお互い忙しく、ブルーは引越し――といっても電車で1時間程の 大学の傍のアパートに移るだけなのだが――と大学入学の準備に走り回り、 ハーレイも新入生の受け入れ準備に追われ、ろくに電話も出来ない有様だった。 黄金週間を1週間後に控えたある夜、ブルーの携帯がメールの到着を告げる音を 鳴らした。 相変わらず忙しい己の近況と、ブルーの身体を労わるいつもの内容。 目を細めて読み進んだブルーの目が留まる。 "休み中に会議があるのでそちらに行く" その一文に、心臓が跳ねた。 以来、その日のスケジュールを空けるためバイトを遣り繰りし、余分な課題を 貰わないよう授業にも身を入れた。 ひたすら約束の日にちを待って、待って、待って…。 本当に首が伸びてしまうのではないかと思うほど焦がれた瞬間まで、もうすぐ。 約束の時間まで、あと15分と7秒。 ブルーのカウントは止まらない。 待ち合わせの時間は5時だった。 勿論夕方の、だ。 逢ったらゆっくりと食事をして、クラッシックのコンサートを聴きに行く。 終わるのは10時近い。 そうしたら、その後は―――。 彼の泊まるホテルに行くのか、それとも僕の部屋か。 きちんと掃除はしてきたけれども…。 自分たちの姿を想像して、ブルーの頬が赤くなる。 女性とも夜を過ごした事が無い自分が、いきなり…。 あの大きな身体に抱き竦められたら、きっと自分は下を向いてしまうだろう。 そうしたら顎を取られて、上を向かされて―――あの唇が降ってくる。 一度だけ触れた事のある、あの大きくて柔らかい唇が…。 ずっと好きだった。 一目見た瞬間からずっと。 目を離すことが出来なかった。 姿を見る度にドキドキした。 廊下で擦れ違う時には、心臓の音が聴こえてしまうのではないかと焦るほどで。 僕は視線を落として、自分の爪先を見てしまう。 絶対に自分の気持ちに気づいて欲しくないという思いと、こんなに好きなのに どうして解ってくれないんだろうという思い。 二つがぐるぐると身体の中を巡っていた僕は、会釈するのが精一杯で。 声を掛けることすら出来ないでいた。 だがそれは、ある日突然溢れてしまう。 きっかけは先生が転勤になるという噂だった。 絶対に起きて欲しくない事態に直面すると、ヒトは本当に目の前が暗くなるものだと、 僕はそのとき初めて知った。 ふら付きながら階段を昇りきった先のオレンジ色の廊下に、決して見間違える事の無い 長い影を見た瞬間、僕の足は動き出していた。 "廊下を走ってはいけない"という先生の声を飛び越して、彼の傍に駆け寄る。 けれど、そこで身体は止まってしまった。 「どうしたんだ?」 怪訝そうな声に、またしても俯いてしまいそうな自分を叱咤する。 ぐいと顔を上げて彼の顔を見た瞬間、ぽろりと涙が零れた。 「ブルー…?!」 際限なく溢れてきそうな涙を押し止める為、袖でごしごしと顔を擦った。 何とか笑顔を作り、手を差し出す。 「…先生、握手して頂けますか?」 「構わないが…」 少し戸惑った先生の手を取り、両手で握った。 「転勤されるそうですね…」 「……ああ、それはま―――」 「僕の事、忘れないで下さいね…!」 ぎゅっと握り締めながら、そう言うのが精一杯で。 決壊しそうな涙を隠すために、身体を翻して僕は駆け出した。 その手を―――掴まれた。 引き戻され、先生の腕の中に収まってしまう。 驚いて顔を上げた僕の瞳に、恐ろしいほど真剣な表情が映る。 そのまま口付けられた。 一瞬の、触れるだけのキス。 柔らかい感触しかわからなかった。 それが高校2年の秋。 結局先生は転勤もせず、今も僕の母校に勤めているけれど、後にも先にも 触れ合ったのはその時だけ。 互いの気持ちは伝わったけれど、外での逢瀬も無かった。 少し寂しく思う気持ちもあったけれど、先生がどんなに自分を大事に考えていて くれるか次第に解ってきて。 僕の不安は消えた。 だからこそ、今日のデートでは―――予感があった。 きっと、僕は…。 指が知らずに唇をなぞる。 自分の行為に恥ずかしくなり、赤らんでいるであろう顔を上げた。 時計を見る。 あと、3分と16秒。 早く、早くと急く自分と、ゆっくり、もっとゆっくりと時計に願う自分。 またしても身体の中でぐるぐるし出す。 落ち着かなくちゃと思うけれど、気持ちを抑えられない。 「14、13、12…」 今度は声に出してみた。 すると別な感情が湧いてきた。 逢いたい 逢いたい 逢いたい…! 「9、8、7」 もうすぐ、もうすぐだ…! 小さな声で呟く。 ブルーは逸る気持ちのまま、後の巨大な円柱に凭れ掛かった。 その真後ろで、同じように広場の大きな時計に向かい合う姿。 一輪の深い赤の薔薇を手にしたハーレイが、何度目か分からない視線を時計に投げる。 「あと3分…」 低く呟いて、ポケットを探る。 携帯を取り出して、慣れた手つきでボタンを押した。 着いたよ、待ってる。 そうメールする為に。
------------------------ 20081021 せめてパラレルでは 甘くて幸せな時間だけを 過ごして欲しい