通路に出た途端、ブルーは壁に手をついた。
肩で息をする。
へたり込みそうになる足に力を込めるが、歩いていくことは難しそうだ。
無駄な力を使いたくは無かったが―――ブルーは"飛んだ"。





"飛んだ"先はハッチ。
周到に追い払ったのだ、人影は無い。
姿を現した瞬間に崩れ落ち、床に両手両膝を付いた。
激しい嘔吐を繰り返す。

原因は分かっていた。
サイオンの使い過ぎだ。

枯れ掛けた力でネットを何とか支配し続けている上に、ブリッジでは自分の復活を
印象付けるため派手に使って見せた。
マツカから拝借したサイオンも無くなっている。

割れるように痛む頭。
既に内容物の無い胃は、痙攣を起こしている。
それでも嘔吐感は止まない。
ブルーは四つんばいのまま、身体を震わせていた。















― 帰還06 ―















シャングリラの操舵を握る。
ナスカ以来か……久しぶりだ。
手に馴染む木の感触に、ハーレイは微笑む。

振り返る。
そこにいつもの顔は無い。
今日は独り。
たった一人でこの巨大な船を動かす。
ヤエに頼み、必要なセッティングはした。
自分は操舵だけに集中していれば良いように、航路計算やワープドライブの設定、
機関部の調整などは遠隔で行ってもらう。

だが、本当に独りで出来るだろうか。
微かな不安が胸に沸き起こる。

「出来る訳無いだろ…!」
「ブラウ…!」

入り口から現れた褐色の姿に目を丸くする。

「自分の船はどうした?!」
「若い衆に任せてきたよ」
「艦長ともあろうものが―――――」

ブラウはハーレイの言葉を遮った。

「水臭いじゃないか!ブルーを助けに行くんだろ?」

その背後から、声が届く。

「そうじゃ、そうじゃ」
「ブルーのサイオンを最も遠くから感じられるのは、未だに私なのですよ」
「シャングリラのこの席は、私の指定席ですから」

ゼル、エラ、それにルリまで…!
驚いたハーレイは、言葉が続かない。

「他のセクションの者も、数名ずつ乗艦しました」
「―――!ヤエ!」

各々が決められた席に着き、驚いたままのハーレイを笑ってみている。

「あなたがたは…これから私が、どこへ何をしに行くのか分かっているのか?!」
「もっちろんさ」

代表してブラウが答えた。

「危険は承知だよ。だから、ヒルマンは置いてきた。物凄く来たがったんだけどね」

長老皆が死に絶えちまう訳にもいかないし。
ブラウの台詞に笑いがおこる。

「ソルジャーの許可は貰ったのか?!」
「あったりまえだろ!『気をつけて、ブルーを頼む』ってさ」
「みんな………」

語尾が震えるハーレイに、ブラウが陽気に喝を入れる。

「あまり余裕が無いんだろ?さっさと指示をしておくれよ、キャプテン!」
「……ああ!」

前を向き、肩幅に足を開いて操舵を握る。
一際大きな声で言った。

「シャングリラ、発進!」














ゼウスのブリッジが通信系統を取り戻したのは、許可も無く1隻の戦闘艇が飛び去ってからだった。
呼び寄せた医療班に太股の銃創の手当てをさせながら、キースは行き先を問うた。

「地球方向です」

ミュウどものいる地点とは間逆だ。
あんな船で地球に向かおうというのか、あの男は!
燃料等を計算すれば、不可能なのは分かっているだろうに…どこかで落ち合う手筈か―――。
このまま逃がすつもりは無い。

「私が出よう」

その言葉に、ブリッジの方々から声が上がる。

「止めてください!」
「閣下自らがそんな真似を…!?自分が参りますっ」
「ご自分の立場をわきまえて頂きたい」

では、諸君はあの屈辱を甘んじて受けるというか?
一同が口を噤む。

「今回の失態の原因は私にある。だからこそ、私が行くのだ」
「現在、ネットワークもまだ2割程度しか回復していません!各艦も密集隊形のため今は船体の
 制御で精一杯です。この状態で飛ぶなど自殺行為です!」
「セルジュ、機械に頼りすぎるなと教えなかったか?」
「ですが―――」
「上官の指示を疑えとも教えたが、感情で反発するなとも言ったはずだぞ」
「はい!確かにそう教えを受けました!」

セルジュは最敬礼を取った。
憧れ、尊敬する上官が戻ってきた。
頬を僅かに紅潮させている。

「この中で目視による航行の最適任者は私だ。飛行時間も貴様らの比ではない。
 敵を排除するためにどうすべきか、分かるな?」
「はいっ!」

セルジュにスロン、他の国家騎士団の面々も可及的速やかにキースに船を用意すべく
動き出す。
渋面のグレイブも反論が出来ずに黙り込んだ。
その中でマツカだけが呆然と立ち竦んでいる。



―――変わられた。
相変わらず本心を壁の向こうに隠したままだけれど、あなたの瞳にはもう迷いが無い。
触れられる心にも。
何を決意されたのです…?
それはあなたにとって辛い道なのではないのですか……。
それでも、あなたは選ぶのですね……その道を。
ならば、僕もあなたに付いていくだけだ、キース。



マツカはキースに歩み寄り"話す"。

『近くにミュウは感じられません。ですが、僕も行きます。あなたの目になる為に』
『―――――先に下りていろ』
『了解』

マツカはハッチに向かって駆け出した。














狭いコックピットに、自分の荒い息以外の音が響いた。
警戒音…?
青白い顔でモニターを確認する。

背後から近づいてくる"友軍機"。
単身で追尾してくる。
あの男に違いない。

「……拙いな」

声に出して呟く。
オートにしているから飛んでいるが、ブルーにこの機を操縦することは出来ない。
背中に冷たいものが走る。

見る見る距離は縮まり、別な種類の警戒音が鳴り始めた。
緊迫した音に、確認せずとも照準を当てられているサインだと知る。

音が切り替わった。
更に甲高い音―――ロックオンされたか…。
計器が、ミサイルの発射を確認する。

「簡単にやられる訳にはいかない―――!」

ブルーはオートパイロットを切り、操縦桿に手を掛けた。
ぐいっと押し下げ、右に傾ける。
大きく右旋回した機体の左脇を掠め、ミサイルは飛び去った。

間髪を入れず、再び甲高い警戒音。
今度は左旋回させ避けるが、後方から銃弾が襲い掛かる。
船に衝撃が走った。
モニターには後方の推進部の一部が破損と表示されている。
ブルーの機体は、急速に速度を失っていった。








右に左によろける機体。
ミサイルを避けているつもりなのだろうか、あまりにつたない。
先を読んで打ち込めば、あっさり被弾した。
もう一度、照準を合わせる。

「キースっ!」

後席のマツカの咎めるような声に、「何だ」と返す。

「………いえ、何でもありません…」

あれだけ言っているのに、まだ私の心を勝手に読むか。
だが今回は、その方が都合がいい。
無駄な言葉を言わないで済む。

キースの精神は驚くほど静かだった。
ゼウスを含めた全艦を乗っ獲られた事や、ノアにミュウのメッセージを送られた事。
結局はブルーに良い様に利用されたことになる自分……。

怒り、腸が煮えくり返る感情もあるが、激昂はしていない。
自分を苦しめたあの苛苛も消え失せた。

心が定まると、こうも冷静になれるものか。
今のキースに躊躇いは無い。

この平穏を与えてくれた事には感謝するが、もう貴様を生かしておくことは出来ない。
キースの指がボタンにかかる。

…ブルー………

指に力を込めた。
銃弾がブルーの機体に吸い込まれるように飛んでいく。
その軌跡が、ゆっくり見えた。



「キースっ!何か来ますっ」

数秒送れて、警戒音が滅茶苦茶に鳴り出す。
確認することなく、操縦桿を切った。
スロットルを全開にする。
早くこの宙域を出なければ―――!

視界が純白に覆われる。
突然現れた巨大な物体に、キースの放った銃弾は弾き飛ばされた。

「―――――っ…くっ!」

辛うじて衝突を回避するが、額に汗が吹き出ていた。
少し離れて確認する。
そこには忘れようにも忘れられない船影があった。








ゼウスのブリッジでも声が上がった。

「…モビー…ディック…!」

純白の鯨。
ミュウの船。

それが集結した艦隊の前をゆっくりと横切っていく。
横腹を見せているのだから一発打ち込んでやれば、終わりだ。

だが、そのたった一発すら発射出来ない。
下手に密集隊形を取っていた為、現在全ての艦は僚艦との衝突回避を急務としていて
敵艦を補足するも、対応出来ない。

くそっ!
グレイブの声と、コンソールを殴りつける音がブリッジにこだまする。








シャングリラのブリッジにもこだまするものがあった。

「間違いありません!ソルジャーブルーですっ!」

被弾した戦闘艇と通じた回線から聞こえてきた声。
それを最初に耳にした、ルリの歓喜の声が響く。

「エラっ?!」

エラがブラウに向けた顔には、微笑みと涙があった。

「映像回線、繋ぎますっ」

正面のモニターに、その姿が映る。
白銀の髪に、赤い二つの宝玉。
顔色は良くないが、口元には困ったような笑みを刻んで。
皆の喜びの声が溢れる。

その歓喜の渦の中、ハーレイは阿呆のようにひたすらにモニターを見つめていた。



髪が伸びられた…。
痩せられた…。
肌もつやが無い…。



でも―――――生きている。
生きておられる…!

ブルー……!



涙が溢れた。
褐色の頬を幾筋も伝う。



『こんな無茶をして……!』

駄目じゃないか!
モニター越しに、ブルーが無理に作ったしかめっ面で言う。

『でも、助かったよ。ありがとう―――――』

困ったような顔は、満面の笑みに変わる。

『ルリ、誘導を頼めるかな?』
「はいっ!」





小さな機体が旋回する。
それは滑るように白い鯨の背に乗り、中に消えた。





ただいま。
ただいま、みんな。

ただいま、ハーレイ………















----------------------------------- 20070917 おかえり、ブルー