しなだれかかるブルーの後ろ髪を力任せに掴み、身体を引き剥がす。

「―――!つっ…!」
「いつまでそうしているつもりだ、ソルジャーブルーっ!」

ぼんやりしていたブルーの赤い瞳が焦点を結ぶ。
中心に捕らえた人影を認識して、震えだした。

「この―――淫乱。流石ケダモノは激しさが違うな」
「……あ……あ…………は…」
「300年以上も男娼をやってる化け物には敵わない」
「……なっ……………」

両の眼を見開いたブルーに顔を近づけ、低く囁くように云う。

「複数のタイプブルー……1人はあのガキか…」
「―――――!」
「残りもみんなガキ共か。急に成長……下等動物がっ」

つい今しがたまで情交していた細い身体を、ベッドの下に突き飛ばす。
小刻みに震えてはいるが、彼の赤い瞳に紛うかた無き怒りが見て取れた。
キースの顔に笑みが戻る。

「発情は治まったか、ん?」
「………………この…」
「何だ?聞こえないな。おまえは啼き過ぎだ。理性の無い動物では
 致し方ないがな」
「……この……悪魔…っ…!」
「貴様にもう用はない」
「―――――!」

ブルーの表情に驚きと恐怖が混じる。
恐怖の理由…それをキースは口にした。

「必要な情報は得た。モビーディック、いや"シャングリラ"とかいう
 下品な名前の船の構造も、その戦力の理由も。おまえらが人類から
 掠め取った 地球や体制に関する知識もな」

顔色を青ざめさせるブルーに、うっそりと笑った。



絶望の更に底へ、突き落としてやる。
メギドを失った屈辱と作戦を失敗させた報いを―――受け取れ、ブルー…!



「全ての情報を得たんだ、貴様から」



あれだけの痴態を見せたのだ。
泣き喚くか、絶望するか……取る態度はそのいずれかだと予想した。

だが。
キースが期待したものは―――――















― 理由04 ―















ブルーは静かに立ち上がった。

赤い瞳が、爛々と輝く。
まず左、少し遅れて右。

正面からキースを見据え、一瞬たりとも外す事は無い。
鋭利な刃物のような視線。
静かで激しい殺意をキースにぶつけている。

ブルーの身体から立ち昇る、青白いオーラが見えるようだ。
ベッドに座ったままのキースの顔に刻まれた、笑みが深くなった。

キースはベッドサイドから拳銃を取り出し、ゆっくりとブルーに向ける。
引き金には、指が掛けられていた。

二人の間。
壁際にしゃがみ込んでいたマツカが、ぶつかり合う意思をモロに感じて
身体を動かした。
二人の間で保たれていた均衡が、崩れる。

『動くなマツカっ!』

ブルーの身体が飛んだ。
頭があった位置に弾痕が穿たれる。
姿勢を低くして走り、逃げようとするマツカを掴んだ。

両の腕に捕らえた瞬間、ブルーの全身を青い光が包む。
マツカはその圧倒的なサイオンに飲み込まれた。






チイィィィ……ンッ!
音色の異なる金属音が重なる。

すうっと光は消え、細い腕から解放されたマツカはその場にへたり込むと
意識を失った。

そのすぐ傍で、白い身体が仰向けに倒れている。
首を押さえ、呆然と天井を見るブルーがいた。
押さえた指の間から、鮮血が流れる。

キースはベッドに銃を置くと、マツカには目もくれずブルーに歩み寄った。
床に投げ出された身体を跨ぎ、立ったまま荒い息を吐く白皙を覗き込んだ。

「マツカを道連れにされては困る。貴様の予想通り、アウトプットは
 まだだからな―――――おっと」

起き上がろうとしたブルーの薄い胸を左足で踏みつけた。
ブルーは押し返そうと足首を掴むが、キースはゆっくりと体重をかけていく。

あばらが軋んだ。
ブルーの顔が、歪む。
苦痛と―――――絶望に。



圧倒的な力の差だった。
身体に僅かに残っていた力をかき集め、首に付けられたサイオン抑制装置の電撃を
利用してのマツカとの心中――それすらもあっさりと封じられて………

最後の反撃だった。
もう、自分には何も、無い。
武器も、力も………



第一は、最優先事項は不覚にも漏らしてしまった情報を阻止する事だ。
そう考え、後悔や自責の念といったものを後ろへと追いやった。
それらが今、畳み掛けるようにブルーに襲い掛かってくる。



もう……間に合わない……のか………
取り返しが……付かない―――

僕のした事が
皆を苦しめるのか

皆を死に追いやるのか

僕が…僕が………



首筋の傷から、血液が流れる。
弾け飛んだ環。
電撃を発動する前にキースの弾丸が砕いた銀の機械を、赤く染めていく。

身体の中で熱を感じるのは、その傷だけだった。
指先はもう感覚が無い。
床に接しているはずの背中も足も、無機質な冷たさを伝える事は無かった。
視界はぼやけ、呼吸する事すら億劫だった。

無理にサイオンを放出した事による身体的な衰弱。
絶望に飲み込まれた精神的衰弱。
ブルーの全身から力が抜けていく。





「貴様が絶望すると、そんな顔か」

つまらんな。
嘲るキースの言葉も、どこか遠くで聞こえた。





続いて呟かれた、ある数字も――――−





「地球の座標だ」

キースの言葉を理解した途端、首筋に痛みが走った。
どくん、どくんと鼓動に合わせて流れる血の熱さの感覚も戻る。

「地球の…座標……」

言葉を口に出した。
するとそれは実感を伴った。



探して、求めて。
恋焦がれた、地球。

それがそこに………
その座標を辿れば行き着くのだ―――――地球に。
あの青い星に―――!

長い年月求め続けた地球に!















だが何故?
この男に何の益がある?





「何故…それを、私に…教える…?」

キースはブルーの赤い瞳を見た。
真っ直ぐに。

「………手負いの獣は、歯向かってこなくては」
「…………………」

意味が分からないという顔をしているな。
キースは口元を歪ませた。

「覇気の無い、大人しい貴様では、つまらないんだよ」
「…つまら…ない…?」
「そう。絶望に抱かれて朽ち果てるのは良い。だが、全てを諦めて死んでいく、
 そんな穏やかな死なぞ与えてやらない」
「…………………」
「泣いて泣いて、泣き喚いて、死にたく無いと叫ぶおまえが見たいのさ」
「……そこまで、私が憎いか…」
「憎い……?……ああ、憎いな―――!」

ブルーの身体が高々と掲げられた。
キースが細い首を掴み、持ち上げている。

「か…は…っ…!」

苦しげな声と息、そして飲み込めない唾液が唇から零れた。
緩やかに腕を伝ってくる透明な雫を、べろりと舐め上げる。

「貴様はこの後研究所へ送られる。サイオンではない、不死や老長寿なんて
 ものを研究している狂人どもの下へな」
「…く………は…っ……」
「生死は問わないといわれたよ。"貴公の用が済んだら送って下さい"と」
「…ぐっ………ぅ……」
「切り刻まれて、肉片になってガラスの瓶でホルマリンに浸けられて、
 棚に並ぶ」

この美しい眼も。
キースはブルーの身体を抱き寄せ、左の瞼に口づけた。

「少しは生きる希望が湧いたか、ブルー?」

ブルーの唇からは喘ぐような荒い息が零れるばかりで、言葉はない。
応えがないのを気にすることなく、キースは続けた。

「もっと希望溢れる話をしてやる。この右目――義眼には、爆薬が仕込まれている。
 貴様の小さい頭を吹き飛ばすには十分すぎる量の。遠隔の起爆スイッチは無論
 私の手の内だ。私の気に入らない行動を取れば、即座に殺す」
「………け…………は……する…んだ……」
「研究所?身体があれば良いのさ。バラバラでもな」

くくっと喉を鳴らすと、うなじへ唇を移動させた。
僅かだがまだ血を流す銃創に、舌を這わせる。
もう手を上げることも出来ないほど疲弊したブルーは、キースの為すがままだった。
傷口から痛みを感じるのだろう、ぴくっぴくっと身体を震わせる。

キースはぐったりしたブルーを抱えなおすと、ベッドに戻った。
太股を流れる白い液体に、相好を崩す。

「まだまだ楽しみたいところだが、貴様に楽をさせないためにもこの辺りで切り上げるか」

キースは脱ぎ捨てた上着から携帯通信ツールを取り出し、医療班に捕虜の治療を命じた。
服を着ると、マツカに近寄り頬を叩く。

「マツカ、マツカ!目を覚ませ」
「……ぁ……キース………アニアン少佐…」
「戻るぞ」

何が起こったのか思い出そうとする身体が、ふわりと浮き上がった。
キースに幼子のように抱えられていると気がついたのは、4,5歩も進んだ頃。
マツカは慌ててキースから身体を離した。

落ちるだろ。
逆にぎゅっと抱き締められ、かあっと顔が熱くなる。
その足首を何かに掴まれた。

びくっと腕の中で跳ねたマツカの視線を追った。
小さな手、青白く細い腕、華奢な肩、そして、銀糸に―――血の気を失った顔。
その中心で赤く輝く宝玉に、決して諦めない光を見た。

「それでこそ、ソルジャーブルーだ………!」

顎から滴り落ちる汗は、身体が上げる悲鳴だろう。
とっくに限界は過ぎているのだ。

「楽には殺さないと云ったろう」

顔色は見る見る悪くなっていくのに、手は離れない。

「貴様から得た情報は、私がミュウを殲滅するときに使う。おまえの目の前で
 根絶やしにしてやる。1人残らず、な」

直接頭の中に響く声。

『何故そんなにミュウを、私を憎む…!』

腕の中、マツカの視線が定まっていない。
乗っ取られたか。

「それがマザーの意思だからだ」
『嘘だ…!おまえの意…思……は………そ………………』

声が途切れると同時に、ブルーの身体も崩れ落ちた。
マツカも再び意識を失っている。
ベッドから落ちた上半身はまるで、糸の切れたマリオネットのようだった。

「本当に…楽しみだ…」

キースの呟きは、部屋に広がることなく、霧散した。






























目を覚ますと、再び静けさの中に居た。
全くの無音。
聴こえるのは自分の心臓の鼓動だけ。

彩の無い天井を見つめ、その音だけを耳にする。
そして、解った。



自分がどうして死を選ばないかを。



この一月半の間にあった事を脳裏に描く。
全く希望の無い日常で繰り返された行為は、暴行以外の何物でもなかった。

一時でも"愛"や"幸福"に包まれたと思ったあの時間さえ、思い返せば
酷い"暴力"だった。

その中で、食べ物を咀嚼し嚥下した。
傷の手当を受けた。
ちょっとでも拒否すれば、死ぬ事など簡単だった筈だ。

手のひらを見る。
浮かぶ青白く光る光の玉。
これが精一杯。
とても小さいけれど、でも、このサイオンの玉は人一人の命を奪う事さえ
出来るだろう。
己に向ければ、心臓を止める事など造作も無い。





それをしなかったのは―――――





目覚めた時からずっと、ずっとこの胸の中にあった。


仲間を案ずる想い。
ジョミーが居るのだから、大丈夫だとは思うのだが――――ひとりひとりの顔が
浮かんでくる。
皆助かったのだろうか。
大きな怪我などしていないだろうか。
心配は途切れる事が無い。

最後に、ハーレイの顔が浮かぶと、ブルーは唇を噛んだ歪んだ表情で、
いつの間にか着せられた服の胸元を握り締めた。
違うと解っていて、手を伸ばし、抱かれ、抱き締め、言葉を囁いた。
裏切り………だろう…か…
ブルーは小さく、頭を振る。


地球への憧れ。
300年間ずっと想い続けてきた。
それは、フィシスの前で断ち切ってきたつもりだったけれど。
まだ生きていると解った途端、再び込み上げてブルーを焦がれさせた。


それ以上に、あったもの。
それは―――――キースの顔を見た瞬間、自分の全身を沸騰させた想い。





このままでは終われない
終わる事なんて許せない

生きて
生きて
生き抜いて

一矢報いる

否
勝つのだ

負けたまま
死んでゆくなど
許せない

許さない





そんな獣じみた想い。

可笑しくて、可笑しくて。
込み上げてくる笑いを押さえきれない。

何のことは無い。
キースと同じではないか。

あの野蛮なニンゲンと同じ…………





ブルーは軋む身体を起こして、テーブルに用意されていた食事に手を伸ばした。
硬くなったパンを齧り、冷えたスープを啜る。

死ねないのなら、生きるしかない。
それに、生きる大義名分も手に入れた。

地球の座標。

与えられたものであっても、それは重要な事柄だった。
必ず生きて生き延びて、伝える、皆に。

ブルーは、食事の手を止めることは無かった。













----------------------------------- どんなに辛くても辛くても 常に前を向いてきた人だから 20070809