静寂が辺りを支配する。この時間になれば外を走る車も殆ど無いのだろう。

ここに越してからというもの、夜出掛けることをしなくなったムウ・ラ・フラガは、この静寂が心地よいと感じる自分が既に夜の世界の住人でなくなったことを再認識した。そして、自分以外の人間の温もりを腕で感じる事が出来るという事実にも。




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フラガは両腕の間にある、柔らかい栗色の髪を優しく撫でた。
マリュー・ラミアス、伝説の白き大天使アークエンジェルの艦長だ。本人とその良人は、彼の名は既に過去のものだと考えており、実際、あの戦いの後結婚してマリューはフラガ夫人になった。

しかし、彼女から離れれば離れる程、エンディミオンの鷹という二つ名を持つフラガの名と相まって、マリュー・ラミアスの名も人の口の端に上る。たとえ、今の彼女が愛しい男の胸で甘える一人の女に過ぎなくても。

「・・・ムウ、眠れないの?」

「ごめん、マリュー。起こしちまったな」

フラガは申し訳なさそうに言うと、少し上を向いた愛しい妻の額にキスをした。
マリューはゆっくりと起き上がると、思いの外冷えていた室内気温に軽く身を震わせ、カーディガンに手を伸ばした。
腕の中から離れていった優しい温もりを追い掛けるように、素早く身体を起こしたフラガがカーディガンを先に取りマリューの肩にかける。

「もう秋も終わりなのね」

マリューはカーディガンを羽織りながら、同じように隣に座ったフラガを見て目を丸くした。アークエンジェルにいた頃と同じアンダーシャツ姿なのだ。

「ムウ、ここはもう完全に空調管理された艦内じゃないのよ。この時期にシャツ一枚で眠るなんて」

「大丈夫だぁって。まだまだオレは若いし」

そこまで言ってフラガは悪戯っぽく笑うと、一つウインクした。

「それにあったかーいマリューが一緒に寝てくれてる、だろ?」

まるでティーンエイジの子供のような表情に、夫には全く改める気の無い事を悟ったマリューは、諦めて彼の寝間着を取りにベットを降りる。
しかし、彼女の足は冷たい床へ着くことはなかった。先程まで安心して身を預けていた二本の逞しい腕で、背中から抱き締められる。

「ん、もうムウったら・・・・・離して下さいな、旦那様」

甘く、耳に心地良いマリューの言葉に、いつものように流されてしまいそうになるフラガであったが、これからはそう云う訳にはいかない。腹にぐっと力を込めて、しかし顔はマリューの背中に押しつけたまま、言った。

「駄目だ」

「そんな薄着でいると、風邪を引くわよ」

「だから、オレは大丈夫だって。そういう君こそ・・・」

そこで台詞を切ると、膨らみが目立ってきたマリューのお腹をそっと撫でた。

「こんな冷たい床に素足で降りるなんて、絶対、駄・目・だ。陳腐な台詞だけど何度でも言うよ。君一人の身体じゃないんだから」

今にスイカでも入っているのかと思われる程大きくなるであろう膨らみに手を当てているが、決して顔を見せようとしないフラガの手に、マリューは静かに自分の手のひらを重ねた。
お腹がじんわりと暖かくなってくる。


二人は暫く言葉を交わさず、マリューは目を閉じてじっとフラガに抱かれていたが、不意にピクンと身体を動かし、目を開いた。
そして、ゆっくり言葉を紡ぎ出す。

「・・・ムウ、いつ宇宙に上がるの?」

「マリュー?」

その言葉の意味を図りかねてフラガは、暖かく柔らかい背中から漸く顔を上げた。しかし後から抱いているので、マリューの表情は見えない。

「そういうお話が、あるんでしょう?」

穏やかに話すマリューとは対照的に、フラガは慌てた。

「誰がそんなこと!いや、そうじゃなくて・・・」

正面を向かせようとしたフラガをやんわりと止めると、マリューは言葉を続けた。

「いつにする?」

穏やかなマリューの話し方に少し落ち着いたのかフラガは軽く息を吐くと、

「その話は断るんだから、マリューは気にしなくていいんだよ。君はこのお腹の子供の事だけ考えてくれればいいんだから」

そう言って再びお腹を擦った。今度も優しく、優しく、愛しい壊れ物に触れるように。

「・・・無理しないで。行きたいでしょう、あなた」

そう話すマリューは顔を上げない。ずっと俯いたままだ。

「そんなコトあるわけ無いだろ。オレはマリューとこの子と、ずーっと一緒に、ここにいるの。それ以外に行きたい場所なんてありません」

今度はぎゅっと抱き締める。本当だよ、と思いを込めて。

「・・・それが嘘だとは思わないけど・・・でも、行きたい気持ちはあるでしょう?」

マリューは言葉を続けるが、振り返ろうとしない。

確かにそういうオファーは在った。ほんの一瞬だがぐらっときた。
でもお腹の大きいマリューを連れては行けないと、もう彼女と離れて暮らすことなど考えられないと、その場ですぐ断ったのだ。
反射のような断りの言葉に相手は苦笑いしながら、もう少し考えてくれないかといっていたが
まさか、奴から何か言われたのか?と悪い予感が頭をよぎる。

「マリュー?どうしたんだよ、何かあったのか?」

いつもと違うものを感じて、フラガは些か強引にマリューの顔を覗き込んだ。もしかしたら泣いているのではないかと心配になったのだ。
マリューは顔を上げた。その美しい顔は、静かに微笑んでいた。フラガはほっとしながら、同じように微笑んでみせる。

「オレは何処にもいかないよ、マリュー。約束しただろ?」

しかし、その表情は次のマリューの一言で固まってしまった。

「私も一緒に行くのよ」

マリューは含有される可笑しさの分量を増した微笑みをフラガに向けた。

「もう私たちね。だから、『いつにする?』って訊いたでしょ?」

「だって、マリュー・・・君のお腹には・・・それに」

「そんな顔しないで。大丈夫よ。子供は何処でも産み育てられるわ。あなたが、傍に居てくれれば」

再び優しい穏やかな表情に戻ったマリューは、フラガに向かって座りなおすと、そう言って良人の頬に手を当てた。そうして唇を寄せる。

「大丈夫。心配しないで」

「マリュー、君は・・・!」

それ以上言葉にならないフラガは、マリューを押し倒した。愛おしくて堪らないのを表現するかのように、滅茶苦茶なキスの雨を降らせる。
すると、こつんと何かが自分の腹部に当たった気がした。

「?」

くすっとマリューが笑う。そして腹部に両手を当てながら、言った。

「苦しいんですって」

「・・・?・・・・・ええっ!?ちょっ、今のが?!あれがそうなの?!ええっ!!」

大慌てで飛び起き、何とも言えない表情を浮かべたフラガとは対照的に、マリューはくすくす笑い続けている。
フラガはベットの上に胡座をかき、自分を蹴ったであろう彼か彼女がいる膨らみを今度は恐る恐る撫でてみた。
夫のおっかなびっくりな様子に更に大きい笑い声を立ててしまいそうになるのを堪えると、マリューは誇らしさを多分に含んだ口調で言った。

「まだそれほど頻繁ではないの。でも時々さっきみたいな強い胎動があるのよ」

「ちゃんと、加減したつもりだったんだけどなあ。苦しかったか?ゴメンな」

「ホント気をつけて下さいね、『お父さん』」

お父さん−−以前呼んだら、フラガが赤くなって照れた言葉だ。
人前で平気で濃厚なキスをするフラガにはかなり珍しい様子をもう一度見たいと、マリューはあえてそう呼んだ。

「・・・本当にお父さんになるんだな、オレ。マリュー、ありがとな」

そう言ったフラガは彼女の望んだ顔ではなかったが、マリューはとても満足だった。彼女にのみ、稀にしか見せることのない表情。それも極上のものだったから。
真摯にマリューだけをまっすぐに見つめる眼差し、それでいて目元口元には優しい笑みを浮かべて。
髪こそ寝乱れているが、美丈夫の見本のような夫の顔に見とれてしまう。

「惚れ直した?」

フラガの言葉に、マリューは急に恥ずかしくなったのか頬を赤くして下を向いてしまった。

「んー!可愛いマリュ〜♪」

新婚や蜜月という言葉が似合う時間は随分前に過ぎ去っているのに、いつまでも初々しさを失わないマリューの姿に、フラガの中で再び激しい愛おしさが込み上げてきた。堪えきれずにベットに押し倒す。勿論、今度は十二分に気をつけて。

「お手柔らかにね、お父さん」

「おう、任せとけ」

次第にあやふやになってゆく意識の中で、マリューは始めの胎動の事を考えた。
フラガに後から抱き締められていた時、共に宇宙へ上がることを話すのは今だとでもいうように、大きく動いたのだ。
マリューはそれに背中を押されて話すことが出来た。力強いメッセージのような胎動に。
そのことをいつ夫に話そうかと考えている内に、マリューはフラガが作り出す嵐に呑まれていった。


(2005/11/16)




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