私でよければ 幾らでも差し上げましょう
ブルーは大きな椅子に寄りかかっている。 眠っているのだろうか、瞼は閉じているが―――。 青の間を訪れたハーレイは静かに近づいた。 僅かに左に傾いだ白く小さな顔。 穏やかな呼吸音。 すっぽりと抱かれるような格好に―――ちり。 微かに胸が痛む。 無条件に身体を預けられている椅子に、少し嫉妬を感じた。 そんな自分にくすっと笑いつつ、額に掛かる銀糸を指で掻き上げる。 額に触れれば、彼の意識が此処にないことが分かった。 また、何処へ……。 ハーレイはため息をつく。 このところかなり頻繁に意識体だけで"お出かけ"になっている。 またしても、無断だ。 2,3日前に「控えて頂きたい」と言ったばかりなのに。 『ブルー』 ハーレイはサイオンで呼びかけた。 すると遠くで応えがある。 『もう戻るよ』 『…どちらにお出かけですか?』 『アタラクシアさ』 はぁ…。 ハーレイは聞こえるようにため息をつくと『すぐにお戻りを』と強い思念を送った。 笑いを含んだ"声"が返ってくる。 『あと1分で終わるから―――』 ラブレター 「1分と51秒の遅刻です」 自分の身体に戻ったブルーは、生真面目にそう言うハーレイを見て吹き出した。 「何だい、計っていたのか?」と問えば、眉間の皺を深くして「ええ」と答える。 ブルーは椅子から身体を起こすと、肩を竦めて見せた。 「それはすまなかった」 言葉では神妙に謝ってはいるが、口元には消すことの出来なかった笑みが ぶら下がっている。 暫くそんなブルーを見ていたハーレイだったが、彼から漂ってくる思念がとても 幸せそうな楽しげなものであった事から、愁眉を開いた。 今度は諦めたような息を吐く。 「………一体どちらに行かれていたのですか?」 「あるご婦人の許に通っていたのさ」 下世話な言い方に、ハーレイの眉が上がる。 「ミュウですか?」 「いいや。ごく普通のご婦人だよ。不思議なことに彼女には精神体の僕が見えるんだ」 「………ほう…」 「彼女ね―――すごく素敵で、可愛らしいんだ」 「―――――」 ブルーが自分をからかっているのは分かってはいるのだが―――。 ハーレイは顔が強張るのを止めることが出来ない。 「上品で物腰が柔らかくて。傍にいると温かい気持ちになれる」 「…………」 「顔を寄せると、ふんわり良い匂いもしてね」 「…………………」 「しかも、逢うたびに毎回、僕に恋文を読んでくれるんだよ」 「…………………………」 ハーレイの眉間の皺が深くなる。 口元が僅かに引き締められた。 分かっているだろうに、ブルーは話を続ける。 「今日の内容はこうだ」 可愛らしいあなた。 愛おしくて堪らないあなた。 お元気でしたか? こちらは恙無い、平穏な日々が続いています。 私は大丈夫。 いえ、大丈夫じゃないですね。 雲を見ても空を見ても、紅茶のカップを見ても、それに添えられた角砂糖を見ても 涙が零れます。 独りのときは。 あなたが恋しくて。 顔を見ない日が3日も過ぎました。 時間にして72時間と、もう昼を回っているからプラス14時間ですね。 そんなに長い間逢えない、声すらも聞けない苦行の時間を過ごした私は 何もかも放り投げて今すぐにあなたの許に飛んで行きたい。 そんな気持ちです。 でも、それをしなかった私を褒めてくれますか? 細い腕で抱き締めて。 あなたの柔らかい唇で。 それとも叱る? どうして逢いに来てくれないのと? あなたのくれる罰なら、私は喜んでお受けしますよ。 この世で一番大好きな人だから。 かけがえのない人だから。 愛しています。 愛してます――― 「―――サヨコ」 ブルーの最後の言葉に、ハーレイは思わず伏せていた顔を上げた。 その名をやや上ずった声で繰り返す。 「サヨコ…?あなたはそんな偽名で彼女に接触しているのですか?!」 そんなハーレイを見て、とうとうブルーが噴出した。 腹を抱えて笑いながら、切れ切れに声を出す。 「そ…んな…訳な…い……だろ…」 「じゃあ、どうしてそんな名が……!?」 「…く……くく……ああ、苦しい…っ…!」 「ブルー!」 なんとか笑いを治めると、ブルーは素直に謝った。 一言一句に翻弄され百面相をして、すっかり落ち着きを無くしたハーレイに 自分の向かいに座るよう促す。 「あれはね、彼女の旦那さんが彼女に送ったラブレターだよ」 「?!」 「3日と空けずに送ってくるそうだ。情熱的な旦那さんだね」 「それをどうして、あなたに読んでくれるんですか…?」 ハーレイの疑問にブルーは微笑んだ。 そうして、すうっと視線を落とす。 ブルーの笑みはどこか、でも酷く寂しげで。 ハーレイは息を呑んだ。 「昨年、その旦那さんが亡くなった」 「………………」 「旦那さんと言うのは軍人で、大きくはないが一艦を預かる立場だったらしい。  君と同じだね」 「………はい」 「定年間近でそれが最期の任務だったんだ―――僕との戦いが…」 「―――!」 その船は既にシャングリラを補足していて―――間もなく射程圏内に届こうとしていた。 他に方法はなかった。 僕はブリッジ目掛けて、サイオンを放出した。 消え去る瞬間、届いた強い声。 『サヨコ…ごめん…!』 それは僕の胸に痛みを残した。 痛みによる疼きが消えなくて。 僕はそれに導かれるように、あの施設に辿り着いた。 彼女は陽だまりに置かれたベンチにいた。 そこが彼女の指定席であるのを知ったのは、それから暫く経ってから。 その日の僕はすぐに近づくことが出来なくて、遠くから彼女を見つめていた。 彼女は施設の職員と話をしていた。 内容は聞こえなかったけれど、とても楽しそうなその笑顔に惹かれて僕は足を進めた。 すると、こちらを見た彼女と目が合った。 「あら、どなた?」 「サヨコさん?」 「随分年若い方もいらっしゃるのね、こちらで働いている方は」 「…サヨコさん…」 「本当にお若いわ。あら、でも制服が違うのね」 「…ええ…。じゃあ、行くわね」 「はい。ありがとう」 立ち去る職員に会釈して、彼女は僕に向き直った。 手をひらめかせて、傍に来るように促す。 「こちらの方なのかしら?」 「……いえ…」 「あら、じゃあお見舞いか何か?」 「……………」 「ああ、ごめんなさい。探るような真似をして。いいのよ、答えなくて」 「いえ、僕は―――」 「ほんの少し、このおばあちゃんの相手をしてくれる時間をお持ちなら、  ここに座って下さる?」 僕は隣に腰を下ろした。 「素敵な髪の色ね。瞳も綺麗―――まるで人間じゃないみたい……」 息を呑んだ僕に、彼女は小さな銀縁の丸いレンズの向こうで、優しい鳶色の瞳を見開いた。 ずいと身体を寄せてくる。 「ねえ、もしかして妖精さん?」 「え……?」 「わたし、主人に頼んでおいたの!広い宇宙には居るに違いないから、会ったら  私の所へも来てくれるようにって!」 「あの…僕は…」 「そうなんでしょう…!」 年相応の姿なのに、彼女の顔で弾けた微笑はまるで少女のようだった。 彼女の最愛の人を奪ったのに。 そんな僕に、彼女は最高の笑顔を見せてくれたんだ。 テーブルの上で組まれた細くて白い手が、微かに震える。 誰よりも華奢なそれは、誰よりも過酷な運命を背負っていて…。 どんなに願っても代わる事の出来ない事を知るハーレイは、そっと自分の手を重ねた。 ブルーは顔を上げ、笑顔を見せた。 一つ多めに息を吸い、ふっと吐き出す。 「でもね、未だに来るんだよ、ラブレターが」 「…?誰からです?」 「彼から、彼女に…さ」 「亡くなった旦那さんからですか?」 「そう」 眉を顰めるハーレイに、ブルーは種明かしをする。 「彼女がね、古いものを便箋に書き直して、自分に送っているんだ」 「自分で、自分に…」 「うん。そうしていることは記憶からすっぽり抜け落ちているらしい。彼女は自分の  書き写したものが彼から来たものだと信じ込んでいる」 「―――…そんな……」 ハーレイの顔に浮かんだものを見て、ブルーが言った。 「哀しい…かい?」 「そうでしょう?見たくないものを見ないで、自分の中だけで無かった事にして…。  過去に縋って生きている」 「そうかもしれないけれど…。でも僕は―――彼女が羨ましい」 「羨ましい?」 「彼女だけじゃない。彼も―――」 羨ましい。 ブルーは繰り返した。 そんなに好きな人がいて。 そんな彼と共に想いあえて、添い遂げられて。 余生を埋め尽くせるほどの幸せな記憶を持っていて。 なお、手紙と言う"証拠"が、信じられないほど沢山あって。 彼女のいる施設に通ってもう随分たつけれど、一度として同じ文面のものを 読まれたことはないよ。 本当に、ほぼ毎日のように手紙を貰っていたんだね。 とっても愛されてたんだ、彼女は。 大好きな人に。 いや、今でもそう。 身体を失って、もう触れることも出来ない彼だけれど。 今でも愛しているんだ、彼女に。 守り続けているんだ、彼女を。 「私も…羨ましいです」 ハーレイは重ねた手に力を込めた。 真っ直ぐに瞳を見つめて、思う。 そんな風にあなたを愛していたい。 ずっと。ずっと。命が消えても、ずうっと。 あなたを守っていけたなら。 あまりに直接的な感情に、送られたブルーの頬が赤らむ。 けれど、彼は眼を閉じてほんの少しだけ上を向いた。 キスをねだられたハーレイは、腰を浮かせて身体を伸ばす。 優しく自分の唇をブルーのものに押し付けた。 重ねるだけの接吻。 激しくも、情熱的でもないけれど。 それは、心地良くブルーを酔わせるのだった。
---------------------------------------------------- 20080309 静かに繰り返される睦事 ハーレイの望むもの それは彼の平穏な時間を守ること