雲ひとつ無い、真っ青な空を切り裂いて、ブルーが飛ぶ。
地上のハーレイは目を細めて、それを眺めていた。









like a cloud like wind           01
はためく紫が小さくなって芥子粒ほどになり、ついには見えなくなってしまうと 視線を落とした。 目の前には白い巨体。 着陸したシャングリラをぐるっと巡る。 『常に』と言っていい程、いつも雲の中を飛行している船だ。 こんな時でしか全体を見ることは出来ない。 ゆっくりと歩む。 目立って大きな傷は無いが、細かい擦過のものと思われるものは無数にあった。 次に宿営までには修繕の準備をしておかなくてはならないな、と思う。 それをブリッジ要員に思念派で伝えながら、更に足を進めた。 目的の場所はすぐそこだ。 少し船体から離れた開けた土地で、それは行われている筈だから。 居た。 十数人が広場で組み手を行っている。 「あれ、キャプテン。珍しいですね!」 遠くからでも気がついた者が手を止め、声を掛けてきた。 その声に見学していたブラウとゼルが振り返る。 彼らの他にも何人かが遠巻きにしていた。 軽く手を挙げ、私もその列に加わる。 「どうだい?」 「大分ものになってるみたいだよ、若いのも」 ブラウに訓練の様子を訊ねていたところに、大きな声を掛けられた。 「キャプテン!」 彼ら、救出をメインにするセクションのリーダー、テオが駆け寄ってくる。 外見こそまだ三十代前半だが、既に齢は七十を越え、実践の回数も数える事が 出来ないほどのベテランだ。 その所為だろう、物腰や態度にかなりの落ち着きを見せていた。 そのテオの頬が紅潮している。 興奮しているのだ。 「訓練の場に顔を出して頂けるのは、随分お久しぶりですね!」 「すまない。前回いつ来たのか、記憶に無いほど前だな。このセクションの  トップ失格だ」 「ああ!非難めいたように聴こえたら謝ります!」 リーダーは、がばっと頭を下げた。 けれど、すぐに上がった顔はやはり紅潮していて―――少年のような笑顔を 張り付かせていた。 そう、憧れのスポーツ選手でも見上げているようなとでもいうような顔。 それが、にっと花開く。 「久しぶりに―――どうです?」 同時にばっと構えの格好を取った。 腰を落とし、右手を前下方に左手を後上方に開いている。 そんなリーダーの姿を、手を止めた他のメンバーたちが驚きの目で見つめていた。 彼らの視線にたじろいだ訳でもないのだが、私は手を振ってその気が無いのを表した。 「止めておくよ。今の君が相手じゃ怪我をしかねない」 「そんなっ!」 「―――そんな事も無いだろう?」 声が降ってきたのは、頭上からだった。 いつもの穏やかな声音だけれど、ほんの少しだけ笑みが混じったもの。 「ソルジャー!」 「皆ご苦労さま。精が出るね」 頭上で鮮やかな紫が翻る。 周囲の空気に緩やかな円を描かせて、ブルーはその中心に降り立った。 皆が頭を垂れる。 同じように会釈して、顔を上げた私が口を開いた。 「もうよろしいのですか?」 「うん。周囲は穏やかなものだよ。発見したのは鹿のつがいと、鳩の群くらいさ」 「今日一日はここでも大丈夫ですね」 「そうだね。ああ、たまには外で昼食もいいかな」 わぁっと周囲で歓声が上がる。 狭苦しいとは云えないがずっと船内で過ごすことは、やはりストレスなのだ。 「では、皆に―――」 準備の為に船に戻ろうとした私の腕が引かれる。 振り返れば、ブルーがにっこり笑った。 「それは一言で済むだろう?」 「ですが…」 「訓練に付き合い給え」 「…ソルジャー…」 「久しぶりに君の"雄姿"が見たいな」 銀糸の向こうを見やれば、テオはウォームアップの為に身体を動かし出している。 ゼルやブラウも、面白そうに目を細めたり輝かせていたり。 何より―――ブルーの手が離れない。 これは腹を括るしかないか…。 私は眩しい太陽を仰ぐと、制服のボタンに手をかけた。 「―――っ!」 またしても地面に倒れた胸に、拳を打ち込む。 2度目だ。 無論寸止めだが、テオは本当に痛いかのように顔を歪ませた。 「くそっ!!」 かなり息が上がっているのに、バネのように跳ね起きる。 同時に繰り出された腕を避けながら、後ろに飛びすさって間合いを取った。 深い息を吐くと、額から汗が滴ってくる。 アンダーが身体に張り付いていた。 太陽は中天に昇り、ぎらぎらと光っている。 「テオ!そろそろ終わりにしないか?」 「まだまだぁーっ!」 叫びながら、まっすぐに突っ込んできた。 それをすんでの所でかわし、テオの腕を脇に抱え込む。 「いい加減終わりに…」そう言いかけて、ぱっと腕を放した。 顔があった場所を踵が通り抜け、宙を切る。 その反動を利用して、テオが飛び付いてきた。 逃れることも出来ないまま、背中から地面に叩き付けられる。 「―――ぅ…っ!」 受け身を取るが、呼吸出来ない程の痛みが走った。 襟首を掴まれ、締め上げられる。 私は酸素を求めて、大きく口を開いて喘いだ。 「貰ったぁ…!」 テオの声が響く。 目の前が暗くなり、低く風が唸る音。 頭を左に振ると、ドカっと地面に拳が突き刺さる。 「キャプテン!」 悔しそうに唸ったテオの右手を掴みつつ、左膝を跳ね上げた。 綺麗に飛んだ身体を引き寄せながら、組み敷く。 間髪入れず振り上げた拳を、鼻めがけて振り下ろした。 渾身の力を込めて。 「ま、参りましたあっ」 テオが叫んだ。 私は拳を止める。 一瞬の静寂の後、青空の下でわあっと皆の声が響き渡ったのだった。 テオを引き起こして、皆の元に戻る。 汗を拭いながら歩み寄ると、ブルーがぱちぱちと拍手をして迎えてくれた。 「流石だね」 「恐れ入ります」 「今でも現役でいけるんじゃない?」 「この程度で息が上がるようでは、とてもとても…」 ブラウから制服を受け取り、船に戻るべく踵を返したところで戦闘セクションの メンバーに囲まれた。 「キャプテン・ハーレイっ!」 「我々にも稽古をつけて下さい!」 「いや、もう勘弁してくれ」 右に左に足を出してこの輪を抜けようとするが、上手く行かない。 「素晴らしい組み手でした!」 「ああ、ありがとう…」 「私たちにも是非!」 「済まない。もう時間が無いんだ」 シュンとするメンバーに内心ほっとしていたところに―――。 いつもは正しく的確な指示を下し、仲間を安心させる敬愛して止まないブルーの、 時には熱い吐息を零し、私を誘う美しい唇が動いて。 悪魔のような囁きを発した。 「今日は終日ここに留まるのだろう?幾ら何でも1人づつは無理だろうから…」 皆一度に稽古してやったらどうだい。 それぐらいの時間なら有るだろう? 僕も見ていてあげるから。 にっこり笑う姿を呆然と見つめる。 「…………」 「手加減は忘れないようにね、ハーレイ」 「…はい…?」 ささっと輪が広がる。 メンバーが腰を溜め、姿勢を低くした。 そこへ。 ブルーがパンと手を打ち鳴らす。 それが合図だった。 「始めっ!」 一斉に飛び掛かってくるメンバーを認めて、手にしていた制服上衣を空に放る。 すうっと宙を飛びそれをキャッチしたブルーが、ブラウやゼルらの傍に降りる ところまでは視認出来た。 四方から繰り出される拳を避ける事に精一杯の私には聞こえなかったが、 こんな会話をしていたらしい。 「驚きました。キャプテンが…」 「あんたたちはハーレイが艦長になってからこの船に来たからね。そういう連中が  増えたねぇ…」 「戦闘セクションにいる若い連中は殆ど知らんじゃろ」 「あのテオがまるで子供みたいに…」 「あれでも大分鈍った方じゃ。この処はいつも机に囓りついとるからの」 「鈍った?!あの動きでですか?!」 「ああ、そうさ。あのでっかい身体が信じられない程動くだろ?」 「その上体力は底なしだし!」 「―――底なし!」 「そうだったねえ、ソルジャー…!」 ぷぷっと笑うブラウに、若いブリッジクルーがおずおずと問う。 「そんなに凄かったのに、どうして……艦長なんです?」 「ああ、それはね―――」 『自分が―――艦長を務めます』 この言葉を聞いたのは、何年前のことだろう。 青ざめた顔で、少し唇を震わせて。 辛い決断だったのだろうと思わせる表情で。 けれど、はっきり言い切ったのだ。 自分がその重責を負うと。 ふっと笑ったブラウは隣を見た。 1人対複数のかなり不利な状態なのに、どこか楽しげなハーレイをまっすぐに 見つめる紫の瞳。 少し口角を上げて、嬉しそうに眺めている。 ―――この人の為だよ。 この話をどう伝えたらいいのだろう。 ハーレイの気持ちを隠して伝えるのは、むつかしい。 本当に、むつかしい。 ブラウはきょとんとした顔を向ける若者に肩を竦めてみせると、一言云った。 「ハーレイに訊いてごらん」 続く
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