リニューアルしたomoroの店内は、毎晩、活気と紫煙が満ちている。

前の主人ジョージの急逝で店を閉め、一家は姿を消した。
行き先等詳しいことを誰にも告げず、殆ど夜逃げ同然であったため、さまざまな噂が飛び交った。
外国に売り飛ばされたとか、血の繋がらない3人の兄弟のうちの一人が実は欧州の資産家の子供だったとか、
あの有名な謝花興産の娘が後を追いかけたとか。
それも長くは続かず、1年ほどして一家が帰ってきた時には、そんな噂は影も形もなかったが。

戻ってきたのは長男のカイとその妹小夜、そして―――双子の乳飲み子。
その妹も幾月も経たないうちに、また消えた。

店を継いだカイは、多くを語ることはなかった。
話したのは、沖縄を離れていた1年間、亡くなった父のつてを頼って世界中を回ったこと。
弟のリクが病死したこと。
小夜の姉に出会い、その子供たちを引き取ったこと。

現在、小夜は外国で働いていると云う。

情報が少な過ぎる上、いきなり子供を連れての帰国にまたぞろ噂話が再燃しかけたが・・・・・
カイの、子供たちを懸命に育てる姿、店で一心にフライパンを振る背中に人々は口を噤んだ。
拙いながらも、まっすぐに生きていこうとする姿勢に、それを応援しようとする人々が
毎夜オモロに集うようになったのだった。

だが、同情だけではない。
常連として通うのは、ジョージの頃からの馴染みやカイの昔の仲間も多いが、
彼の過去をよく知らない者も決して少なくない。
カイの為人が人を呼ぶのだろう。

今夜も、店からは大勢のざわめきと笑い声が溢れていた。

「カイ!こっちにも新メニュー出してくれよ」
「ほいよ。ちょっと待ちな!」
「ビール、勝手に注ぐぞ」
「おう」
「客に向かって”おう”じゃねーだろぉ、カイ」
「ジョッキ何杯持ってった?伝票に書いとけよ」
「・・・へいへい」

そこへ2階から可愛い声がハモりながら降ってきた。

「「カイ〜」」
「ん!どしたぁ?」
「「おしっこ〜!!」」

あっちゃ〜というカイの声を掻き消すほど、大きな笑い声がどっと起こる。

「大変だな、お父さん!行ってこいよ!」
「いつも悪ぃな」

ガスを消し、前掛けで手を拭き拭き階段を上がろうとしたカイの前に、
20代前半の女性が立ち上がった。背中の真ん中くらいまでのストレートを緩やかに束ね、
ライトベージュのスーツを着ている、細面の優しい顔立ちの女性だ。

「わたしが行くよ、カイ」
「いいよ。もう帰るだろ?」
「双子ちゃんにも会いたいし。寝かしつけてもいいでしょ?」
「時間大丈夫なのか、香里?」
「明日は休みだもの。問題ないよ」
「・・・じゃ、頼む。サンキュ!」

香里は了解と手をひらひらさせて2階へと上がっていった。






0時を回り、店を閉め、肩を揉みながら2階の自宅に戻る。自分でやると決めたことだが、
入学前の子供二人を育てながら、居酒屋を切り回すのは想像以上に体力を消耗するものだった。
眠みぃ〜、と呟きながら、双子の寝室に向かう。自室部分に戻ると、毎晩真っ先に足を運ぶ部屋だ。

ひょいと頭を突っ込んで、固まった。

双子は当然眠っているのだが―――――もう一人、眠っている人物がいる。

「か、香里?!」

大の字で眠る双子の間に、横向きで体を九の字にして気持ち良さそうに寝息を立てている。
スーツも髪もそのままで、当然化粧も落としていない。
寝かしつけているうちに、自分も眠ってしまったのは間違いない。

カイは慌てた。
思い返してみれば、確かに香里が帰った姿を見ていない。けれど香里も一人では無かったから、
あまり気に留めていなかった。大体、一緒に飲みにきた友人を置いて帰るか、普通?!
それに新メニューを出したばかりで、今夜は自分も忙しかった所為も・・・・・

いや、やはり自分のミスだ。
嫁入り前の娘を朝帰りさせるわけにはいかない。

けれど。
カイは入り口に立ったまま。
足が動かない。

心の中で、戸惑うほどの、どうしようもないほどの愛しさが湧き上がっていた。
そして―――――

この女と結婚しよう

そう決めた。

双子に母親が必要なのは切実に感じる。
自分ひとりでは色々なものが足りないと思うことも。
そして香里が自分に好意を持ってくれていることも知っている。
そんな香里を可愛いと思う―――――だが己の心は今でも小夜に向けられたまま。
急激に香里への愛おしさが込み上げている今でも、小夜の心はハジのものだと
解かっていても尚、小夜を思う。

彼女を利用するのか。
内なる声が叫ぶ。

そうかもしれない。
彼女は双子の良い母親になってくれるだろう。

卑怯だろう!
ああ、解ってる。

でも、もう一つ確実に解っていることがある。
オレは彼女に恋をする。

確実に―――――もうしているのかもしれないが。

結婚してから始まる恋だってあるはずだ。
それだって、悪くないだろう?

そういえば香里の同僚、支払いのときウインクして見せたっけ。
あいつ、香里が寝てるの知ってたな。

苦笑したカイは、部屋を出た。
香里のために、毛布を取る為。

明日、香里の親父になんて云おう、そう呟いて。