ブルー。 憶えていらっしゃいますか。
――はつゆき 真っ白い世界。 河も、山も、木々も、岩も、世界の全ては今、雪に覆われている。 昨夜から降り始めた雪はもうすっかり止んでいたけれど、あらゆるものに均等に降り注いだ その証がまだ残っている。 冬の弱い陽の光を反射して、目に痛いほどの白が溢れていた。 雪を避けて山腹に宿営したシャングリラから、点々と続く黒いもの。 下船したハーレイの足跡がまっすぐに続く。 ここは前にも一度着艦したことのある場所だった。 記憶違いで無いなら、さほど遠くない場所にそれはある筈だ。 「この寒いのに外に出ようってのかい?」 フード付きの分厚い外套を手にしたハーレイを見て、ブラウとエラが呆れた顔をした。 ゼルも「信じられん」と呟く。 「たまには自分の目で状況を見てみたいと思ってね」 「何も冬にしなくったっていいだろ?」 「こんな風に人類の住む町を、直に見られるなんて機会は滅多に無い」 「そんなもの、あたしは見たいなんて思わないけどね」 「付いてこいなんて、言わないよ」 少し笑ってそういえば「冗談じゃない!」とブラウも笑って答える。 気をつけて、とヒルマンに送り出されて、ハーレイは外に出た。 さくさくさく。 足音だけが響く。 頬を刺すようなキンと冷えた空気の中を、ハーレイは進んでいた。 確かに寒い。 雪が降っていた昨夜よりも、気温は低いかもしれない。 でも、ハーレイはこの空気が好きだった。 雪を踏みしめる音も。 前回もそうだった。 窓の外を踊るように舞う雪と、彼らが真っ白にした風景に誘われた。 同じように歩んでいると―――。 「うわっ」 突然背後から湧いた驚いた声に振り返れば、そこには同じ外套を纏った小柄な姿。 雪に滑って体勢を崩したブルーに手を伸ばしながら、ハーレイは瞬きした。 ―――既視感……。 戸惑いつつ、細い身体を抱き寄せる。 「どうなさったのです?」 「歩いていくのが見えたから」 「こんなに寒いのに…!」 「………先に外に出たお前が言うのかい?」 腕の中で可笑しげに言う彼にハーレイは「私は丈夫だからいいんです」と答えた。 そうっと腕を離すと、ブルーは先に歩き出した。 さくさく。 小さい足音。 やっぱり―――あの時と同じだ。 以前ここを訪れた時と、同じ。 自分より歩幅の狭いブルーに合わせ、ゆっくり後を付いていきながらハーレイは思い出していた。 何年前のことだろうか―――。 「足が速いな」 雪に触れたい。 そう正直に言うわけにもいかず、視察と託けて独り出掛けたハーレイに 後ろから声を掛けたのはブルーだった。 ハーレイの足跡を追って、ぴょんぴょんと跳ねてくる。 「ソルジャー、まさか―――お独りですかっ?!」 「歩幅が大きいからだ」 ハーレイに答えず、ブルーは最期っとばかりに跳躍した。 軽やかに着地してみせる。 「一歩がこんなに大きいんじゃ、僕よりずっと速いわけだ」 「寒いのに防寒着も無しで…!」 自分の物を脱ごうとしたハーレイを止めて微笑むと、ブルーは全身を光らせた。 蒼いサイオンが身体を包む。 「…仕方の無いお方だ」 ため息と共にそう言ったハーレイに、ブルーは笑い返した。 それはあまり性質の良くない種類のもので。 何か揶揄われるな、ハーレイは身構えた。 「雪に触れたくて出掛けるのは"仕方無い"事じゃないのかい、艦長?」 責務をおいて、そんな理由で船を下りた事に聊か心苦しさを憶えていたハーレイは、 艦長の部分を強調して言うブルーに、思考を読まれたことを悟る。 無断で思考を読むなんてこと他の者には絶対にしないのに、自分には遠慮も会釈も無い。 ブルーのそんな行為に馴れっこになっているハーレイは苦笑した。 「雪が好きかい?」 「ええ、その様です。子供のように血が騒いでしまって…」 こんなに心が躍るのはきっと、何か良い思い出があるのだろうけれど―――。 そんな思いを言葉にせず、ハーレイはまた微笑んだ。 それは先ほどの苦笑とは少し種類の違う笑みで。 ブルーは何か言いたげに口を開いたけれど、すぐに閉じる。 何も言わないまま蒼いサイオンでハーレイごと周囲を包むと、分厚い上着の前をばっと開いた。 「またこんな格好で!」 ハーレイは作業着を着ていた。 奪取した船に備え付けてあったもので、船体の整備などでは他の者も使うが、彼のように 日常でも着用している者はいない。 「折角こんなに素晴らしい服を揃いで作ったのに!」 「汚してしまっては思うと、つい…。あなたは、とてもよくお似合いだ」 目を細めてそう言う。 つい先日出来上がったばかりの銀を基調とした服は、装備品担当セクションの自信作であった。 ことにソルジャーたるブルーのものは力作だ。 華奢で細いというマイナス要素を巧みに隠しながらも、ブルー生来の上品さやカリスマと称されるものは 全く損なわない。 ハーレイは想像する。 今自分が中心となって作成しているマント―――たった独りのブルーサイオン保持者として戦いの矢面に立つ ブルーを守るために研究を重ねてきたもので、もうほぼ完成している―――を装着したら、さぞ映えるだろう、と。 こんなことでしか力になれない自分をとても悔しく思うけれど、それでもこんな小さなものでもあなたを守る "盾"となるのなら…。 「君も似合うよ」 きっと。 あの服地とマントの色合いは、君のイメージにぴったりだから。 ブルーはそう言って笑ったのだった。 それから二人でとり止めの無い話をしながら歩いてきて、この断崖に辿り着いた。 あれから随分月日が流れたはずなのに、ここから眺める風景はあまり変わらない。 重なる山々。 葉を落とした木々に雪を積もらせて、全身を白く染めている。 谷間を縫うように走る河は、弱い陽光を反射させて輝いていた。 その遥か先に、人間たちの営みが見える。 人口を調整しているからだろう。 町は大きさを変えていない。 変わりませんね、という言葉は飲み込んだ。 ブルーも覚えているとは限らない。 自分は、彼と共有した時間の全てを記憶しているけれど…。 ハーレイは一度視線を落とすと、横を見た。 ブルーと目が合う。 「今回、"初体験"は無しだな」 その台詞に言葉を失う。 ブルーは詠うように言葉を続ける。 前は、初めての雪だった。 初めて、お前と一緒に見た雪。 本当に綺麗だった。 お前が惹かれて、誘い出されるのも解るくらい美しくて儚い。 それに纏わるどんな記憶をお前が持っていたのかは、わからない。 楽しくて、温かいものだったのだろうね。 残念ながら、それはもう失われてしまったけれど。 「あの時も言ったけれど―――」 僕と経験することを覚えていって。 過去の記憶をすっかり失ってしまったお前は辛いだろうけれど。 一緒にすることがお前の中で"初めて"の事として積み重なっていくことが、 僕は嬉しいよ、ハーレイ。 『これが雪初体験だな』 あの時のブルーの声が蘇る。 いぶかしむハーレイに、ブルーは笑って言った。 『二人で見る初めての雪だもの。憶えておいてくれよ』 『―――!はい…!』 『これからこういうことは沢山あるだろうね。楽しみだな』 呆然と立ち尽くすハーレイを、後ろからブルーが呼んだ。 振り返ると顔面で冷たいものが弾ける。 飛んできたのは、小さい雪の固まり。 彼の人の手の大きさにあった、小さい小さい雪球だった。 「ここで雪像にでもなる気かい?―――帰ろう!」 既にその姿は大分小さくなっている。 ハーレイは全身に青い光を溢れさせているその姿を、眩しいものでも見るように追った。 「……大丈夫です」 あなたが下さったもの、その全てを覚えています。 忘れることなどありません。 忘れることなど出来ないのだから 決して…。 真っ白い雪を背景に青く光る背中に言う。 誓うように、ハーレイは呟いた。
---------------------------------------------------- 20080124 数え切れないほど沢山の"初めて" あなたがくれた