もう、秋も深い。
セントラルパークの木々はその持てる葉全てを、黄金色に変える。
NYは最も美しい季節を迎えていた。

今週末にはハロウィーン休暇を迎えることもあり、街はオレンジと黒に覆われていた。
世俗を離れ学業に勤しむ大学という名の白亜の塔も、このNYの街では別格ではいられない。
ソロモンが籍を置く大学も、学内のあちらこちらでハロウィーンの飾りつけがなされていた。。


命長ら得たソロモンは、ネイサンと彼が云う"ボス"の館で話し合いを持ち、
大学の医学部―――ここ米国では医学部は大学4年を終了しなければ入学が許可されない為、
実質大学院になる―――で学びなおす事を決めた。
シュヴァリエになる以前は医師であったこともあり、その決定自体に異を唱えるものはなかったが、
"変名することはしない"という言葉に眉を顰めるものは多かった。
様々な意味で高名なゴールドスミスの名を継ぐ事、それで被るデメリットを考えれば当然であったのだが、
ソロモンが首を縦に振る事はなかった。







dance dance dance







大学に通い始めて、2年目を迎える。
あのソロモン・ゴールドスミスが入学したとあって昨年はかなり騒がれたが、
今年の秋は静かなものだ。
これなら学業に専念出来そうだと、胸を撫で下ろしたのだが――――



「頼むっ」
ソロモンの目の前で、勢い良く両の手がぱんっと合わされた。
同時に頭も下げている。

器用な事だと感心しながら、ソロモンはため息をついた。
「そんなに懇願されても、無理ですよ」
「何故だっ!それ相応の報酬は支払う!」
「・・・そんな事ではありません」

講義終了後ロッカーの前で拉致され、空き教室に引きずり込まれて、
いきなりこれだ。

「オレを助けると思って、頼むっ」
「・・・・・僕には無理ですよ」

大体、どうして自分が助けなければならないのか、という台詞は呑み込む。

「背は変わらないし、体格も大差無い。君にしか頼めん」
「そんなことはないでしょう?同じような背格好の学生なら他にも沢山――――」

彼――確かアジアからの留学生だった筈だ――は、がしっとソロモンの両手を取った。

「確かに言う通り体格だけなら同じようなのは掃いて捨てるほどおる。
 だが、君ほど成績優秀なのはおらん」
「・・・?」
「成績優秀でなければ、貴重な放課後の学習時間をオレにくれと頼めないではないかっ!」

だからこの通り頼む、ともう一度ぼさぼさの黒髪に埋もれた頭頂部を見せた。
ソロモンは再びため息をつく。

「僕にとっても貴重な時間ですよ。来週からは本格的に臨床も始まりますし」
「そう!その臨床だがな、オレと君は同じ班になる」

そうだったかなと思いつつ、にっこりと営業スマイルを向ける。
「そうでしたか。宜しくお願いします」
「おう。だから、今日は頼んだぞ」

解らない人だ。
今度は露骨に顔をしかめて見せる。

「ですから、出来ませんと先程から」

ソロモンの台詞を留学生が遮った。

「臨床は班で行われ、評価もその単位で下される」
「・・・・・何が仰りたいのですか」
「皆まで言わなくても解るだろう?」
「いいえ。解りませんね。全く」

腰に手を当て、不快な表情を隠そうともしないソロモンを目の前にして、
留学生も悪びれずに言った。

「今日の事でオレが来週更にスケジュールを詰め込まにゃならなくなったら、
 臨床にも大いに障る。な、困るだろう?」
「いいえ、僕は困りませんよ。あなたがどちらかを、あるいは全部かもしれませんが、
 辞めなくてはならなくなるだけでしょう」
「そんな冷たい事言うな」

凍りのように冷ややかな反応のソロモンの肩を叩き、はっはっはと笑って言うこの男、
鈍いだけなのか、それとも大物なのか・・・・・
大学でもかなり浮いた存在なのも頷ける。

継ぐ言葉を失ったソロモンの沈黙を承諾と受け取ったのか、頼んだぞという言葉と
メモを残して男は立ち去った。


三度目のため息をつき、押し付けられた紙切れを見る。

書かれているのは時間とあるテーマパークの名。
施設名の後には"ゲートG"とある。
これが、部外者以外立入禁止の入り口なのだろう。

男の頼み事は、ダブルブッキングしてしまったパートタイムジョブ、バイトの代役だった。
それもテーマパーク恒例のハロウィーンパレードの仮装役者の代役。

ソロモンは、派手に4度目になるため息をついた。












その日の午後、ソロモンはゲートGの前に居た。

来るつもりは全くなかった。
良く知りもしない相手の頼み事など、取り合うつもりは無かったのだが。

調べてみるとあの変わり者、名を"サイゴウ ツヨシ"といい、
医学部内でもトップクラスの成績であることが容易に知れた。
周囲と馴染まないよう意図的に行動してきたソロモンの耳まで風評が届く程の"有名人"で、
尚且つ"優秀な学生"―――
そのギャップに興味が湧いたのと、それだけ優秀な学生に恩を売っておけば
来週の臨床の場で色々助かる場面もあるだろうという打算も働いた。

医学部は、米国大学の中で唯一スキップが出来ない学部なのだ。
最短でも卒業までに4年は掛かるという事――――それ以上大学に通うつもりは
全く無いソロモンにとって彼、サイゴウの脅しはかなり効果的であったと云える。

また、「マスクを被るから中身は誰だか判らないし、ただ突っ立っていればいい」と言った
サイゴウの台詞もソロモンの背中を押したのだった。


サイゴウからゲートGの受付に連絡がしてあったようで、
ソロモンはすんなり控え室に案内された。
本日が初日というだけあって、活気と喧騒が溢れている。
着替えを終えメイクに精を出す者、サイズが違っていると衣装にクレームを付ける者様々だ。

奥から小太りの男、パレードの現場の責任者が近づいてきた。

「立ち姿はいいね。背筋がピンとしてて」
「ありがとうございます」

爽やかな笑顔でそう言うソロモンを間近で見て、息を呑む。

「君、役者の卵かモデルかい?」
「いえ、学生です」
「ああ、ゴウがそう言っていたな。聞いてると思うけどドラキュラ役だから。
 着替えはあっちの部屋で出来る」
「わかりました」

着替えに向かったソロモンの足は、次の言葉で止まった。


「終わったら、隣の振り付けの部屋に行ってくれ」


ソロモンの表情を不安と勘違いした責任者は、笑って言葉を足した。

「パレードの時間は長いけど、振り付けは同じ事の繰り返しだから
 そんなに複雑じゃない。すぐに覚えられるさ」
「い、いえそうではなくて・・・・・振り付けって、あの」
「あれ?聞いてないの?」
「・・・・・」

ゴウのヤツ!と小太りの現場監督は小声で悪態をつき始めたが、長くは続かなかった。
本番まであまり時間が無い為、切り替えは早い。

「じゃあ、仕方無いな」
「すみません、お役に立てなくて」

「ちょっと待って」

立ち去ろうとしたソロモンに声を掛けたのは、壁に背を預けて腕を組んだ
やせ気味の中年女性だった。
隣の背の高い黒人男性に話しかける。

「ジョージ、今から配役の交代は可能?」
「そりゃ、ポストに依るけど・・・・・ひょっとして、彼と?」
「どう?ぴったりでしょ」

ジョージと呼ばれた男は、舐めるようにソロモンの全身を眺めた。

「・・・そうね。いいわ!」
「じゃ、決まりね。衣装を持ってきて!」









夕日が赤く空を染めた。
空気の中には、既に夜の気配すら感じられる。

パレードの初日の所為で、テーマパークの混雑は昼以上だった。
コース沿いには大勢の観客が、パレードの到着を待ちわびている。


程なく――――――
遠くから華やかな音楽が聞こえて、先触れの妖精たちが姿を現す。

パレードが始まったのだ。

背中に小さく透明な羽をつけた色とりどりの妖精たち
ジャック・オ・ランタンを下げた長い顎ひげの小人たち
若くて美しくて、ちょっぴりセクシーな魔女
同じくハンサムなドラキュラ伯爵

それらが光溢れる山車と共に陽気に歌い踊り練り歩く様は大人と言えども心躍るものがあった


ソロモンはパレードの中段よりやや後ろで、中世風のオープン馬車に乗っていた。
隣のブロンド美人と共に、にこやかに微笑みながら、左右に満遍なく手を振る。

ソロモンの金糸からは先の尖った長い耳が覗き、微笑む口元からは小さな牙が見える。
それもアクセントになり、彼の魅力を増大させているようだ。

総監督による突然の交代劇は概ね成功を収めた。
観客の女性達は例外なくソロモンを目にすると硬直し、
我に返って頬を染めながら手を振り返していた。

しかし、当のソロモンは早くも飽きていた。
パレードする妖精たちの国の王子という主役級の扱いなのだが、
その内容は微笑んで手を振るだけ。
この倦み方は確か・・・サンクフレシュのCEOとして世界各地のパーティを
飛び回っていた頃と同じ、いや、それより悪いだろう。
当時はまだ、妙齢の御婦人方とのウィットある会話も仕事の内だったのだから。

見回してみれば観客は勿論、ダンサー達も楽しそうだ。
隣の王女もソロモンと目が合うたび楽しそうに笑う。
その微笑みは営業用のものとは思えない。

自分も少しくらい楽しんでもいいだろう。
そう考えたソロモンは、王女に手を差し出した。




いきなり馬車から飛び降りた王子と王女に、歓声が一層高くなった。

互いに一礼すると、軽やかにダンスを踊り始める。
パレードの曲が緩やかなものに変わった所為もあり、二人は優雅にワルツを踊る。

王女の華やかな黄色いドレスが夜空に映える。
指先で軽く摘んだ裾をひるがえす。

そして―――――
照明を浴び輝く金色の髪をなびかせ、黒のタキシードに身を固めた王子が王女をリードする。
そのリードは、一瞬の停滞も無い完璧なもの。
二人は時折視線を絡ませ、微笑を交わす。

王子と王女は、踊る妖精やドラキュラなどの妖魔たち、そして光る山車の間を、
軽やかに滑らかに泳ぐように優雅に舞うのだった。











翌日、ソロモンは再びサイゴウに呼び止められた。

「昨日はすまんかった」

これこのとおり、と頭を下げるサイゴウに軽い眩暈を覚える。
デジャヴ?
これは昨日の再現だろうか?

いや、気にしてませんからと立ち去ろうとするソロモンの腕を、
サイゴウはがっしと掴んだ。

「少しは詫びさせてくれ。昨日渡したメモ、あれが間違いだったのだ」
「・・・・・間違い?」
「渡し違えたのよ!く〜っ無念!!
 ブロンドの王女さまと知り合えるいいチャンスだったのに!」
「・・・・・・・・・・」
「チャンスを逃したオレは、牛の頭被って練り歩き。それも明け方近くまで。
 めちゃくちゃ疲れた」

ほぼ不老不死で睡眠すら必要としないシュヴァリエとしては在りえない事だが、
ソロモンは軽い疲労感を覚えた。

「・・・・・それを、僕にやらせるつもりだったんですね・・・」
「当たり前だ!オレは歌って踊れる外科医を目指し、日々努力している」

そう言い切ったサイゴウは、左手人差し指で空を指し示し、
右手を腰に当てた"有名なポーズ"を取っている。

歌って踊れる・・・外科医・・・?
思わず想像してしまい、今度は笑いがこみ上げる。

「そんなオレじゃないとパレードに出演なんて無理だろうが――――ああっ!君も」

昨日と同じように、ソロモンの両手を包む。

「大変だったろう?すまん、本当にすまんかった!」

何度も何度も頭を下げる様に、とうとうソロモンは腹を抱えて笑い出した。

「も・・う・・いいで・・・す」
「おお!許してくれるか!」

何とか頷くソロモンを、通りへと引っ張る。
不思議な取り合わせの二人を、学生たちが一様に驚いた表情で見つめた。
サイゴウはそんな視線を全く気にした様子もなく、ソロモンの腕を引いていく。

「もう夕飯の時間だ。カフェテリアで一緒に飯を喰おう」
「おや、ご馳走してくれるんですか?」
「まさか!このバイト掛け持ちの苦学生にたかるつもりか?支払いは君だ」

治まりかけていた笑いの発作が再発しそうだ。
ソロモンは大きく息を吸い、発作を押さえる。

「場所を変えてくれれば、いいですよ」
「ちっとも構わん。今日は仕事も無いしな!」
「じゃあ、お酒の飲める所で。いい店を知ってるんです」
「おお〜っ♪」

尻尾が付いていたら千切れんばかりに振っているに違いない
サイゴウの背を押し歩き出した。
途中、近くのゴミ箱に紙くずを投げる。

それは昨日ダンスを踊ったブロンドの王女さまの携帯の電話番号。
無理やり押し付けられたものだ。

これくらいの意趣返しならいいでしょう?
ゴミ箱に収まるのを見て、クスっと笑った。


「早くしないと置いてくぞ!」
というサイゴウの大声。
店の場所も知らないのに?

でも、この破天荒で天井知らずの明るさを持った青年に、
ソロモンは感謝している。

入学以来こんなに笑った事はない。
そして昨夜のバイト。
久しぶりのダンスも楽しいものだった。

「ありがとう」
聞こえないように呟くと、ソロモンは手を振るサイゴウの元へ歩き出した。














後日。
今度は間違いなくテーマパークへと出勤したサイゴウを待ち構えていたものは―――――――
王子の仮装をしたサイゴウは社交ダンスの教師に振り回されながら叫んだ。

「何をしたーっ!ソロモン・ゴールドスミースっ!!」