カルマンと喧嘩した。
このところ毎日だ。

理由は分からないが、彼はこのところ酷く苛ついている。
そのままの態度で僕やルルゥと接するから、
何でもないことでも諍いの種になってしまう。

今日の言い争いは特に酷く、
僕とカルマンはお互いの胸倉を掴み合ってしまった・・・
ルルゥが小夜たちのアパートに行っていてくれて、良かった。

手を振り払うとカルマンは僕に背を向けて怒鳴った。
お前など何処でも行ってしまえ、と。

「言われなくても、そうさせてもらう!」
僕は廃墟を後にした。





At Halloween Night






今夜の街にはヒトが溢れている。
屋根を飛び回るのは危険と判断し、路地を歩く。

通りには不思議な格好をした子供たち、それに同じような姿の大人もいる。
手には大きな・・・かぼちゃ?
中に蝋燭でも入っているんだろうか、くり貫かれた目や口がゆらゆら光って―――――

何をしているんだろう?
見ていたら、数人の子供たちが店の前に止まり大声で叫んだ。

「trick or treat!」

何だ?
悪戯と・・・何?

店の女主人が笑いながら、子供たちに何か配っている。
貰った子供たちは、口々に礼を言いながら次の店に走っていった。
その背中に女主人は声を掛ける。

「もう遅いから、そろそろ家に帰るのよ!」

彼女の言葉を口の中で繰り返す。

「・・・帰る家、か・・・・・」

そんなものは、僕らには無い。
在るのは仲間の居る場所だけ。

まだカルマンの所へ戻りたくなかった僕は、反対方向に歩き出した。

「ちょっと、あんた」

僕の事だとは思わなかった。
再度呼ばれて辺りを見回すと、自分一人なのに気づいた。

「そう、あんただよ。ちょっと、寄っていきなよ」

彼女は僕の腕を掴むと、強引に店に引っ張っていった。



女主人の店は丸い椅子が7、8個並んだカウンターと
ボックス席が3つの小さな珈琲ショップだった。
他に人間はいない。

僕は強引にカウンター席に座らされた。
カウンター内に入った彼女は、白い大きいカップを寄越した。
中には枯れ草色の液体。
香ばしい香りがした。

「はい、ビックママ特製のカフェオレ」
暖まるから飲みなさい、そう言いながら太めの女主人は僕に片目を瞑ってみせた。

受け取ったカップは、暖かかった。
手のひらは、人間の首筋よりも遥かに高い温度を伝えてくる。

僕は躊躇った。
こんなに暖かいものを口にした事が無い所為もあったが、
それ以上に問題なのは、僕が金を持っていないこと。
僕らには必要ないものだが、人間の世界では品物に対価を支払うのは当然なはずだ。

「ほらほら、熱いうちに飲んじゃいなさいよ。それとも猫舌かい?」

"猫舌"という言葉の意味は解らなかったけれど、
彼女が僕に悪意を持っているようにも思えなくて・・・・・

「僕は、金を持っていない」
「なあんだ、そんなこと気にしてたのかい!こんなに強引に引っ張り込んだんだ、
 あたしのおごりに決まってるだろ!」

"おごり"?
また理解出来ない言葉だったが、あまり何度も言うものだから、
カフェオレという枯れ草色の液体を口に含んで飲み込んだ。

味は正直、解らなかった。
人間の血液と少量の水しか必要としない僕らには、そういう感覚は発達していない。
いや、無いのかもしれない。

でも、こんなに暖かい―――熱いと言うそうだ―――液体が喉を通り腹に落ちていく感覚は、
不思議と心地良いものだった。
自然にほうっと息が出た。

「どうやら生き返ったみたいだね、良かった」

僕がカフェオレを飲んだ事を確認すると、彼女はにっこり笑った。
そして僕に背を向け、大量の泡の中に手を入れて食器を洗い出した。
手は休めず、話続ける。

「さっきのあんた、そりゃ酷い顔してたんだよ。
 おせっかいだったろうけど、ほっとけなくてね」
許しておくれよ、といいながら次々洗い上げていく。


酷い顔・・・そうか・・・


こんな時云う言葉は、海の向こうでカイに教わった。
使ったのは、あの時1度だけ。
あの時もそうだったが―――――
この言葉を使おうとすると、どうしてこんなにも力を振り絞らなくてならないんだろう。
僕は両手をぎゅっと握る。

「あ、ありが・・・とう・・・・・」

よしとくれ、カフェオレ1杯くらいで!と女主人は大声で笑った。
さあ、冷めないうちに飲んでおくれよという言葉で、僕は再びカップを口に運んだ。


しばらくは店の中は彼女が食器を洗う音だけがしていた。
手際よく済ましているが、かなりの量であることがわかった。

さっき、子供たちにもう遅いと言っていたけれど、
彼女にとってもそうなんじゃないか―――
夜は眠らなければならない人間たちだ。
もう店を閉める時間なのではないだろうか。
ドアのOPENと書かれた時間はとっくに過ぎていた。

僕はもう熱くないカフェオレを一気に流し込むと、席を立った。
彼女はもう1杯どうだと訊いてくれたが、首を振る。
でも、何だかそれだけでは悪い気がして、ありがとうと付け足した。


ドアに手を掛けたところで、彼女に呼び止められた。

「お節介ついでにね。喧嘩の原因は知らないけど、早く仲直りしなさいよ」
「・・・・・!」
「喧嘩の相手、兄弟とか幼馴染じゃないかい?」
「な・・・!違う!」
「そうかね。昔、うちの子たちがよくそういう顔してたもんだよ。
 家族と、特に兄弟喧嘩なんかやらかした時にね」
「僕とカル・・・僕らは兄弟なんかじゃない」


僕とカルマンは、ただ―――――
同じキルベドで作り出され、人を殺す為の訓練をされ、脱出し、
これまで共に闘ってきたというだけ。
ソーンに怯えるという、同じ宿命を背負わされた同種の生物というだけ。
それだけ。


女主人は僕をじっと見ていた。
僕の顔を。目を。

観察されるのは、嫌だ。
僕は彼女の黒い瞳を睨み返した。

「そんな顔をしても駄目だよ」
「・・・・・」
「喧嘩の相手、大切な人なんだね」
「・・・・・・・・・・違う」
「本当に?」

彼女の問いが、僕の中で共鳴した。
本当に?本当に?本当に?―――――ほんとうに?

異を唱える声が、聞こえた。

違うだろう?
違うだろ?

僕の中で、段々大きくなる声。
僕を飲み込んでしまいそうなくらい―――――

「そうしなければ生きてこられなかったからっ、共に過ごしてきただけだ・・・!」



「それも家族なんじゃないのかい」



いつの間にかカウンターから出てきた女主人が、静かに言った。
「自分でも分かってるんじゃないのかい?だから、そんな顔を―――」

「違うっ!」

大きな声を出してしまった。
止めなくてはいけない。彼女には関係ないのだから。
でも、僕の中から湧き上がってくる言葉が、止められない。

「家族というのなら、どうして毎日喧嘩を繰り返して・・・・・
 あんな言葉を投げつけたり出来るんだ!」

・・・何かが止められない。

「何処かへ行ってしまえなんて、そんなこと云えるんだ!」







「辛かったね。でもね、家族だから云えるんだよ・・・
 分からないかい?」

そんなこと――――
僕は首を振った。

「家族だから、安心して、甘えて云ってしまうんだね。
 時には云ってはならない事まで」

彼女は、僕に両手を広げた。
あんたを抱き締めてもいいかい?
懐かしくなっちまってねえ。



僕はとても混乱していた。
わからないことだらけだ。
彼女の言葉も、自分のことも。

こんなことは初めてだった。
自分のことが解らないなんて・・・・・

僕は今どんな顔をしているんだろう・・・・・



気がつくと、僕は彼女の腕の中にいた。
珈琲ショップの女主人は絶対僕より小さいはずなのに―――――
彼女の胸に、抱かれていた。

「10年以上前に、うちの子ども達にも同じことを云ったもんだよ」
ふふ。ホントに懐かしい。泣いた子を抱っこするなんてね。



泣い・・・た?
誰が・・・?
まさか―――――

頬に手をやれば冷たい。
そこは、確かに濡れていた。



「でも、その子のこと、許しておやりよ。今はきっと後悔してるから。
出ていけなんて云っちまった事と、みっともない自分を見せてしまった事を。
あんたもそうだろう?」
その子のこと、見ていられなかったんだろう?


僕が廃墟を出たのは―――――

カルマンと一緒に居たくなかったから
それ以上に
あんな彼を見ていたくなかった
そう、思ったんだ・・・・・


カラン。
ドアに取り付けられたベルが鳴った。
入ってきた男に、女主人がいらっしゃいと声を掛けた。

その隙に僕は急いで店から出た。
外はさっきとは違い、強い冷たい風が吹いていた。

何だか顔が熱い。
店から早く離れたくて早足になる。


カラン。
風に乗って聴こえてきた小さな音。

足を止めたけれど。
何処で誰が立てた音か分かったけれど振り返れない。

「ちょっと、あんた!」
振り返らない僕に、女主人は大声で怒鳴った。

「また、おいでよ!」

僕は、振り返った。

「必ずおいでよ。ご馳走するからさ!」
えーと、と言葉に詰まった彼女は、僕を指差した。
指を小刻みに動かしている。

何かを訊きたそうに。
もしかして―――――
「・・・モーゼス」

彼女はにっこりと笑った。
そして、一層大きな声で言った。

「また、このビックママの店においで!モーゼス!」





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店に戻った主に、先ほどやってきた男が声をかけた。

「大分冷えてきましたね。そんな格好じゃ風邪引きますよ、ビックママ」
「このくらいで引くもんかね!ジェイク、あんた一人かい?」
「生憎アレクとアンブローシアは仕事ですが、後からロイとアニスも来るって云ってました」
「あんたの彼女は?」
「仕事ですよ、今頃パリかな」
「有名ソリストだもんねえ。引っ張りだこだ。きちんとデートしてるのかい?」
「まあ、それなりに。それより、さっきの・・・・・また拾っちゃったんでしょう?」
「人聞きの悪い!―――――寒そうにしてたんだよ」
「相変わらずですねえ。それで泣かせちゃったんですか」

くすっと笑った男は、フードを深く被った人物が出て行った方を見やった。
ちらっと見ただけだが、印象的な瞳をしていた。

「・・・・・書いてみたいな」
「コラムに、かい?」
「どうですかね?」
「どうもなにも、あたしゃ、あの子の事は何にも知らないよ」
「今度、来たときに話してみてくれませんか?」
「ああ。訊いておくよ」

勢い良くドアが開いたかと思うと、賑やかな声が入ってきた。
「「Happy Halloween!!」」

女主人は、3人に珈琲を落とす為カウンターに戻っていった。












NYタイムスのジェイク・ラング記名のコラムに
ハロウィーンの夜に会った青年の話が載ったのは、それから大分後のこと。
そのコラムをモーゼスが目に出来たのか・・・・・
それは分かっていない。