何度叫んだろう。
幾度懇願したろう、許しを請うたろう。

けれどそれは―――聞き入れられることはなかったのだった…。













―― Vous etes plus beau qu'une rose ――




Lecon 4










ひゅっ、と空気を切り裂く音。
それが耳に入った途端、背中に焼け付く痛みが走る。
肌を切り裂く音を知覚する余裕は、私には無かった。

「ぅあ…っ!」

悲鳴に、じゃらりと鎖が揺れる派手な音が重なる。
すぐに鞭が唸る音が響き、ぴしりと打ち据える音を私の声が掻き消した。
それを数え切れない程繰り返して、背中は痛み、そして酷く熱い。

ブルーの振るう鞭は、細くてしなやかなものだった。
細い皮を編み上げた黒く長いもの。
威力はさほどのものではないが、しっかりと私の背中を裂いていく。
裂けた皮膚から血が流れ落ちていくのが分かる。

同じ箇所を打ってはいないのだろう。
確認する術はないけれど肩先から腰まで、万遍なく熱い。
鞭を振り下ろされるたびに唇を割る、押し殺した声を零しながら、私は震えていた。

「ああ…っ!」
「―――もう、許しは請わないの?」
「ひ…ぅ…!」
「慣れてきた?」
「いえ…っ!ぅああっ!」
「それとも―――痛いのがイイのかな…?」
「違…い…ぐ…っ!違い…ますっ!」

風鳴りが止む。
私は高く吊られた腕に身体を預けた。
体重の殆どを引き受ける手首は酷い痛みを伝えてくるけれど、それどころではない。
ぜいぜいと荒い息を吐きながら、顔を上げた。
身体を捩り、ブルーを見上げる。

「ち、違い…ま…す…」
「本当に…?」
「…違い…ます…」

そうかもね。
ブルーは少し立ち位置をずらし、3つに折って束ねた鞭を差し出した。
先端で萎えた私のものを持ち上げる。
痛みで縮こまってしまっているが、ピンクのリボンに金の鈴はまだ絡みついていた。

「…もう、許して下―――」
「じゃあ、こうしたらどう?」

燃えるように熱い背中に何かひんやりしたものが触れる。
そして裂けた傷口辺りで空気が動き―――。

「うああああっ!!」

私は絶叫した。
傷の中を何かが這い回っている。

「ぐあ…っ!いっ、あああああっ!」

ブルーが背中に身体を寄せ、舐めているのだ、鞭で裂けた皮膚を。
それだけが単体の生き物であるかのように、細い舌が傷の中を蠢く。

痛い、痛い、痛い…!
それを口にして、私は叫んだ。
身を捩り暴れると、うるさい程に鎖が鳴った。

「ひ…ぐぅっ、ああああっ!」

すると舌が動きを止める。
私はがくんと脱力し、頭を垂れる。
身体を突き刺すような鋭い痛みから解放され、安堵の息を吐くが―――。

「…ぅ…っ…」
「………どうしたの…?」
「い…いえ…」

私は慌てて頭(かむり)を振った。
ありえない…。
自分の身体の反応を打ち消すように。

「…そう―――」
「くっ…!」

再び身体が寄せられ、舌が動き出す。
焼けるように熱い背中を、尖った舌先がなぞっていく。
先程と同じ、細く長い針が身体を突き抜けるような痛みが駆け抜ける。

「がっ、あ…っ!」

暫くすると、ブルーは離れて。
私は「あぁ…」とため息をつく。

そうして―――疼き出す。

身体が熱かった。
鞭で傷つけられた背中のものとは違う、じくじくとした熱が身体の奥底から
湧き起こってくるのだ。

「ふ…ぅ…」
「…どうかしたの…?」
「な、何でも…ありません…」

同じような会話を繰り返して。
私は声を抑えきれなくなる。

熱くて、堪らない。

どうしようもない熱に視線を落とすと、身体の中心はまだ勃ってはいなかった。
萎えたままの自身を確認すると、私はなけなしの理性を総動員する。
ぎゅっと唇を噛んで、鎖を握りしめた。
堪えるんだ、堪えるんだ…そう言い聞かせて。

その後同じ行為と痛みを何度も与えられた。
だが、顕著な"反応"を見せない私に焦れたのか、或いは呆きられたのか、
それは止んだ。
ブルーは自分で決めた禁忌をあっさりと破り、サイオンを使って私の背中を治し
解放してくれた。
自室に戻り、ベッドに倒れ込む。
慣れた枕の感触―――意識があったのは、そこまでだった。











あれだけの仕打ちを受けたにも関わらず、私は翌日もブリッジに上がり、
通常通りの勤務についた。
ブルーの施してくれた"治療"は完璧であったのだ。

だが、私は平常心ではいられなかった。
彼と顔を合わせる度に記憶が蘇り、身体が震えたり狼狽えたりしてしまう。
ブルーの非情さでも、鞭の痛みでもない。
あの苦痛の後にやってきた疼き。
痛みを乗り越える毎に強くなったそれが恐ろしかった。
怖くて堪らなかったのだ。

鞭打ちを受けてから10日、何事もない平穏な日々が過ぎた。
船内の些細なトラブルはあったが、救出や戦闘も無い―――ブルーからの呼び出しも。
穏やかな日常、それは自分が求めて止まないもの――ブルーの望む人類との共生や
地球へ辿り着くということは別格だ――だったのに……。

もう何度目か分からない寝返りを打つ。
100回を越えるまでは数えたのだが、アンティークの時計の針はベッドに入ってから
3度目の12時を回るところだ。

眠ることを諦め起き上がり、このところベッドのサイドテーブルが定位置になった
酒瓶に手を伸ばした。
良く効くのは分かっているが、薬に頼るのは生理的に嫌だった。
度数の高い琥珀の液体を一気に流し込む。
身体の奥を焼く感覚にも慣れた。
じんわりと腹が温まるが、足りない。
続けざまに3杯を呷り、これまた最近いつもベッド横にある分厚い本を手に取り、
枕を立てて寄り掛かった。

表紙には金文字でタイトルが刻まれている。
聖書。この船を奪取した時からあった本だ。
眠れないと零したら、ヒルマンが寄越したものだった。
確かに初日は眠気を催した。

だが―――。
どれだけ頁を繰っても、目は字面を追うけれどただ文字を数えているだけ。
内容は頭に入ってこない。

今日もか……!
小さく悪態をついて私は本を放った。
ベッドに横になりパジャマの下をずらす。
右手を滑り込ませ、もう膨らみだしている自分を掴んだ。
ぎゅっと握っただけで、声が漏れそうになる。
さっさと済ませて、吐精後の生理的な睡魔の口に飛び込んでしまうに限る。

「…ん……ん…」

自身を握り締め、扱く。
先走りが止めどなく溢れ出すが、絶頂には届かない。
そう―――足りないのだ。
私は躊躇いなく後ろに手を伸ばす。
窄まりの中へ指を押し込み、あのポイントを突き上げた。

「ぁ……ん…ぅ…」

どんなにさもしい格好をして快楽を貪っているか。
前を扱いて、膝を大きく開いて、あまつさえ尻の奥に指を突っ込んで…。
想像しただけで吐き気を覚える。
だが、仕方がないのだ。
もう前を擦るだけではイけない。
そう仕込まれてしまったのだから―――あのひとに。

前を上下に扱く手と、尻の奥、快楽を生み出す部分の刺激にだけ意識を向けた。
ゾクゾクする刺激が背骨を通り、足の先から頭のてっぺんまでを駆け回る。

「あっ、あっ…あ…っ、イ…イク…っ…うあああーーっ!!

足を拡げ腰を突き上げながら、指をあの部分に強く叩きつけた。
目の前が真っ白になり、弾ける。
噴き出すものを気にせず、強く握ったまま扱いた。
荒い息にぐちゃ、にちゃという音が混じる。

強い快感は続かず、その後に訪れる倦怠感に身体を任せた。
息を整えると、自慰の後始末をする。

欲を吐き出してしまえば楽になった。
昔はそうだった。
ほんの少しの後ろめたさは含むけれど、身体は満たされた。
けれど今は―――。

匂いを消す為にシャワーを浴び、まだ時間が早いのでベッドに戻る。
目を閉じれば、吐精後の生理的な睡魔をようやく効いてきた強い酒が後押しした。
起きなければならない時刻まで幾時間も無いけれど、逆らわず眠りに落ちる。
眠りが浅いのが分かっていたから。
そう、あの疼きが、身体の奥の熱が消えることはなかったのだった。

























---------------------------------------------------- 20081102