月面にて

静かな音を立てて開いた扉の向こうに、ノイマンは思わず息を呑んだ。
数年前の激戦を過ごしたAAのブリッジがそこにあった。
いや、同じ連合とはいえ現在オーブ軍である自分たちはあの頃とは色彩の異なる制服を身に纏っているのだから、実際目に映る光景は大きく異なっている。<>br しかし、同じなのだ、同じに感じられる。雰囲気やら醸し出す空気といったものか。それとも、この船で再び宇宙に上がってきたからか・・・。

「どうした。入らないのか?」

ブリッジ内の光景についての考察を更に深めようとしたノイマンに、声を投げかけたのはネオ・ロアノーク一佐だった。扉の脇で壁に背中を預け腕組みをしている金髪の男。
つい最近まで、結果的には敵対することになってしまった連合軍のしかも大佐というお“エライ”さんであったのに、AAの捕虜という身分からあっという間に艦長席の隣を確保してしまった、ある意味伝説の男。
そして、ノイマンにとってはどうも苦手な相手だ、今も、昔も。

自分がさぞ間抜けな顔をしてぼんやり立っているであろう事に気づいてノイマンは苦笑した。ロアノークは更に言葉を投げた。

「入口にぼーっと突っ立って、艦内のエネルギーを無駄にするつもりか」

「あ、いえ・・・」

些か慌てて扉を後にして、3年前から定位置になった操縦席へ早足で向かう。
そのノイマンを再び石像の如く固めてしまったのは、ロアノークの発した次の一言だった。

「って云われちまうぞ」

「・・えっ・・」

ノイマンの脳内に黒髪の連合軍女性兵士がよぎる。
彼は、確かまだ記憶が戻っていないはずだ。少なくとも、一部分でも戻ったという話をノイマンは聞いていない。
それとも、まさか・・・

急に歩みを止めて驚いたように振り返ったノイマンの怪訝そうな、それでいて何かを伺うような表情に、ロアノークは、

「オレ、何か変なこと云ったか?」

そう云って改めて自分の台詞を思い返して、小首を傾げた。

「アレ・・・・・誰が、そんな事云うのかな?ノイマン」

困った表情で笑う、金髪に縁取られた端整と云える顔に、同じような苦笑いで答えるノイマン。

「自分は一佐の考えていらっしゃることまで分りませんよ」

「そんな小煩いこと云いそうなやつが居たな〜と思ったんだが・・・・・あーっ、ちくしょー!」

ロアノークは大分伸びた、収まりの悪そうな金髪を掻き回した。

「何だろうな。この船に来てから、こういう気持ち悪いこと多いんだよな」

「・・・あの一佐」

普段のノイマンは物静かで、積極的に他人の事情を訪ねる方ではない。
だが今、本来は苦手なはずのこの男にノイマンは踏み込まずにはいられなかった。ネオ・ロアノークが自分の中に甦らせた彼女の姿が、そう促すのだ。

「何か、思い出されたんではないですか?」

「・・・・・いや・・・」

ロアノークが言い淀む。
この男、この艦で捕虜から一転一佐へ格上げされてからはクルーとも話はするし軽口を交わしたりもする、決して無口な方ではない。
しかし、実は心の内をさらけ出す相手は艦長マリュー・ラミアスただ一人だけだ。 だが、ふとノイマンの背後からの何かに気がついて言葉を続ける。

「急に画が浮かぶんだ。それが思い出したってのともちょっと違う、まるでオレ以外の誰かが、オレに断りも無しに勝手に映像を頭ん中に突っ込んでいきやがる・・・って感じに、な」

「それは、一体・・・」

「そんな失礼なヤツに心当たり無いか?」

「・・・ヤツ、心当たりって・・・本当に誰かがそんなこと出来ると思っ」

思ってるんですか?とノイマンの言葉が唇の先に顔を出したところに、ロアノークの笑いを含んだ声が重なった。

「なあ、艦長?」

「あら、気が付いてらしたんですか」

「そりゃ、もう。誰あろう艦長の視線を感じないなんて、ありえないねぇ」

そう言いながら盛大な笑顔になったロアノークは、あっけに取られているノイマンを置き去りにして艦長席に向かって歩き出していた。
擦れ違いざま、軽く肩を叩く。そして囁くように言った。

「小煩い”誰か“さんに宜しくな」

「!」

あなた本当に記憶が戻ってないんですか、という言葉は発せられなかった。
会話を始めたロアノークと艦長の表情に思わず微笑んでしまったのだ。

ノイマンは艦長席から左下方に視線を移した。
そして、今は誰も居ないCIC席を暫く眺め、自席への歩みを再開した。とても、とても穏やかな顔で。

(2005/9/30)



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