wait for the light of day




まだ太陽は姿を現さない。
しかし、山の端は色を変え始めており、もう夜明けが間近いことを示していた。

イタリア空軍のパイロット、フェラーリは朱色の愛機の陰に佇む。
手には薄い金属のマグカップ。飾り気の全く無い、実用一辺倒の官品だ。
中身は同じく官品の珈琲。
これも実用最優先の結果なのだろうか・・・酷く拙い。

「いや、単に金が無いってだけだな」
珈琲を啜って呟いた。

「何ですかあ?」
機体から顔を上げた若い整備兵に、何でも無いと手を振って答える。

自分より大分年下で、顔にはまだニキビが残るくらい若い。
この男、少々生意気だが腕は中々のもので、熟練の年配整備兵がいないこの飛行基地のハンガーでは、
リーダーとして頼りにされていた。

それはフェラーリも同じで、最終チェックはいつも彼に頼んでいた。
「どうだい、俺の可愛い子ちゃんのご機嫌は?」

「すこぶる良好っすよ!」

スパナ片手に立ち上がり、科を作って体をくねらせながら言った。
「お願い!早く来て〜んってなもんすかね」

「おいおい。俺の可愛い女は、そんなにはしたなくねーぞ」
「そうっすよね。誰もケツに回らせないし、触れさせない。
 近づいたヤツには洩れなく、実包のキツイお仕置き!ですもんねえ」

フェラーリはにやりと笑い、カップを口に運ぶ。
黎明の空をバックに佇むその姿は、痺れるほどに格好が良い。
元が付くとはいえ、この空軍のエースに憬れ、慕う者が多いのも頷ける。

同時に、彼の同僚パイロット達から幾度と無くぶつけられた抗議―――――

フェラーリの機体が自分達の物とは違った特別仕様なのではないか。
そうとしか考えられない程、彼らとこの元エースの差は歴然としていた。

詰め寄られるたび、この若い整備兵は説明しなければならなかった。
フェラーリの機体が、完全な量産型のプロトタイプであること。
特別なチューンは全く施されていないこと。
それでも納得しないパイロットには、機体内部を見せたりもした。

説明しながらも、一番信じられないのは、何を隠そうこの自分だった。

作戦から帰隊したフェラーリの機体を見る度に、掠り傷1つ無いそのボディにため息が出る。
決して逃げ回っていたのではない。毎回トップの撃墜数を誇っているのだから。
これが腕の差というものなのだろうか。

陶然と見惚れる若い整備兵に、フェラーリは声を掛けた。

「あと15分で出るぞ?」
「あ、はいっ!」

いつでもオッケーっすよ!
そう言って、若い整備兵はにっこり笑い、親指を立てて見せたのだった。











闇と光が鬩ぎ合う空を、編隊を組んで飛ぶ。
十機にも満たない小隊が、今のフェラーリの部下全てだ。
パイロット達は皆少年兵に毛が生えた程度で、飛行時間も少ない。

どいつもこいつも一癖も二癖も、いや三癖もあり、扱いづらい者ばかり。
それは基地にいる整備兵や通信兵など地上隊員も同じだ。
もっとも、その筆頭が自分という自覚はある。

彼らは皆、軍によって"不用品"とレッテルを貼られた者達だった。
そして、自分が属する基地は、敵中に突出、と言うより包囲されつつあった。
再三再四の増強・援軍の要請も、数え切れない撤退の進言も、その回答は全て"ノー"。
送られてくる指令は全て「現状を維持せよ」―――――要するに死ねってことだ。

自国で資源がある訳でもない、全て輸入に頼りきりなくせに、それを買う金が底を突こうってのに!
今や人以外に何があると考えて居やがるんだ。
フェラーリは胸中で毒づく。

"不用品"の中には確かに、能力が低い役立たずもいる。
が、フェラーリの見る限り、若く有能な者も決して少なくない。
そんな若者たち――無能たって、軍とは全く別の才能を秘めているかもしれない。
それに特別な才能など無くても構わないではないか!――を、自分達の意に従わないというだけで
切り捨てようとする軍と、それを咎めない国に些か愛想が尽きかけている。

今からでも遅くは無い、軍を抜け、マルコのように自分の腕一本で生きていく道を選んでも。
賞金稼ぎとしてやっていく自信は、ある。


だが―――――彼らを捨てて行くことは出来なかった。

自分とは違い、未来にまだまだ多くの時間を持っている彼らを、
この敵の只中に置いていく道は選べなかった。

夢と希望を、自由奔放に語れる彼らを。







―――――そう
オレは些か軍に長居し過ぎたのだ。
捨てて行けない仲間を得てしまった。



そして、自分を"駄目"にしちまった。

こんな国と軍を背負ってしか飛べない自分に、とうに愛想尽かしをした。
何物にも縛られない翼を得ることが不可能な時代を生き延びるだけの勇気も、磨耗させちまった。

命でさえも―――――

良くない出来物が腹のど真ん中にあるらしい。
さっさと軍なんぞ辞めて、女房可愛がってやれ。時間は、長くないぞ。
馴染みの軍医にそう言われたのが、半年前。

女房にその事をいったら、恩給が増えるから撃墜されていらっしゃいだと!

けど、オレは知ってる。
あいつの肩が震えていた事を。
オレに背中しか見せなかった理由を。
ホント、よく出来た女だよ。オレには勿体無い位の極上の女だ。

そんな女房一人幸せに出来ないオレが、未来あるガキ共のことを心配するのは
役者不足もいいトコだとは分かっちゃいるが・・・・・捨て置けないんだから、仕方が無い。



「ポルコ・ロッソにゃ、こんな事、口が裂けても云えないがな」
フェラーリは自嘲気味に呟いた。



最後まで面倒は看れないが、やれる事はやってやるさ。

オレと分かれた後、ホテル・アドリアーノまで辿り着けるか、
それはあいつらの腕と運次第だ。

無責任?
言われてもしょうがないな。
オレはオレで、自分の為にやらなきゃならない事があるんだから。












空が蜂蜜色に染まる。
間もなく朝日が顔を出す。

そろそろ"分岐点"だ。

フェラーリは後ろを振り返り、二人の小隊長にアイコンタクトを取る。
手信号で指示を出す。

『3分後に90度進路を変え、アドリア海に向かう』

この二人と基地の最年長軍人にだけは、離陸前に絶望的な状態を説明していた。
自軍に切り捨てられ、且つ、敵に完全包囲されつつあるという現状を。
基地を捨て、生き延びる道を選ぶということも。

即座に首肯する姿が見えた。
しかしフェラーリが続けて出した指示には、二人とも首を横に振る。

『承服出来ません』
『一人で英雄になるつもりだろう!』

度外れた堅物さと、鼻っ柱の強さで共に上司に嫌われた二人が、それぞれの言葉をフェラーリに返す。

『ふざけんな!そんな命令に従えっかよ!』
『まだ敵に発見されてはいない。あなたが残る理由がありません。自分たちと共に脱出を!』
『そういうのを年寄りの冷や水っていうんだよ。行こうぜ!』
『隊長!!』

フェラーリの口元が緩んでいた。

ガキ共が、一人前の口利きやがって。
そんな台詞は10年早えよ。

速度を落とし、レバーを引いた。
フェラーリの朱の機体が、二人の頭を押さえるように斜め上空に位置する。

『反抗するとはいい度胸だ!オレが今すぐ撃ち落としてやる』

そう手で送りながら、フェラーリは数発機銃を発射してみせる。
後続機が驚かないよう、すぐに高度を落とし二人に並んだ。

『良く考えろ。確率の問題だ。それに、オレ一人の方が一撃離脱が簡単なんだよ』
『オレは足手纏いじゃねえだろ!』
『他の奴等はどうするんだ?おまえらが引っ張っていくんだよ。おまえらが守るんだ!』

流石に、即座の応えは無い。二人は後ろを見た。
フェラーリが彼等を置いていけなかった様に、この二人も生まれた初めて持った部下を捨てられないのだ。

因果な性格だ。フェラーリは思う。
まあ、それでこそオレの部下なんだがな。

地上に目をやれば、もう山が途切れる。
朝日も差し始めた。
遠くには眩しいアドリア海も望める。

タイムリミットだ。

この状況では、フェラーリが死ぬか、部下達が落とされるかは判らないが、いずれにしろ今生の別れになるだろう。
遺言てのは辛気臭いんで、この台詞は英雄伝説に加えて貰うとしよう。
些か図々しい思いを載せて、手を閃かせる。

『脱出後は自由だ。隠れて生きて行こうが、軍に舞い戻ろうが。だがな、直ぐじゃないだろうが、
 この先必ずパイロットの腕が活かせる時代が来る。戦場以外で。だからどんなことをしても生き延びろ、
 自分の空を狭くするな』

生意気なヤツがゴーグルをずらし、腕で目を拭った。
堅物の口元が奇妙に歪んでいる。

おっと、辛気臭くなっちまった。
軽く手を振る。

『オレはここで死ぬつもりなんかこれっぽっちも無い。それにな』

見えるように、顔を上げてにやりと笑う。

『死ぬ時は女房の膝枕でって、決めてるんだ―――――命令を繰り返す。
 小隊長を先頭に直ちに転換。刃向かう事は許さない!』























黄を帯びた乳白色の朝日に部下達が融け、山の稜線の向こうに消えるとすぐに、
黒いゴマ粒のような敵機が姿を現し始めた。数えられるだけでも30は下らない。

先頭を行くものでも、陽光を背にするフェラーリの機体を確認する事はむつかしいだろう。
急速に光量を増す朝日の中で、フェラーリは笑った。

こいつを待ってた。
朝日と、敵機と。

スピードを上げる。
機銃の照準を合わせる。

先ずは先頭を落とす。
急速上昇後、反転、真っ逆さまに降下しつつ、すれ違いざまに隊長機を仕留める。

しくじるものか!
マルコに"捻り込み"を仕込んだのは、このオレだ。


機銃の発射桿に親指を置いて、フェラーリはカウントダウンを始める。



・・5・・・・・4・・・・・3・・・



オレの空を取り戻す。
短い時間だろうと構わない。



・・2・・・・・1・・



誰の指図も受けない、己の心のままに飛べる――――



・・0!



必ず取り戻す、空を。オレを。

さあ、始めるぞ!!