delusions01






今夜も、あの館に呼ばれている。

暮れようとしている空に目をやり、ソロモンは席を立った。
迎えの馬車が着くまでに、支度を済ませなければならない。



向かう先の館の主、アンシェル・ゴールドスミスはソロモンのパトロンである。
貴族ではあったがあまり裕福な出自ではないソロモンが医師になれたのは無論
本人の努力の所以だが、多分に彼の援助の所為でもあった。

ゴールドスミス財閥が行っている奨学金制度に合格した時−−−−−
己の才能を自負していたソロモンは、自分が優秀ゆえに選ばれたと思った。当然である、と。

そして何の疑いも持たなかった。
アンシェルが自分の容姿にも興味を抱いていた事など、全く気がつかなかったのだ。









初めてそれを命じられのは、医師になって半年も過ぎた頃だったか。
ソロモンは馬車に揺られながら、記憶を辿る。


戦争が起こり、前線に軍医として派遣されることを報告に行った日。

まだ暑さが残るものの短い夏の盛りは過ぎていた。
清々しい青色の空は、しかし、既に高い。
ゴールドスミス邸の前庭を行くソロモンの遥か頭上には吹き流したような薄く白い雲があった。
前線に送られるという報告の内容はあまり気の染まぬものだったが、医師として
貴重な経験を積めるであろうことは明白であったし、なにより今日の自分の周りを取り囲む空気の
気持ち良さに軽く歌など口ずさんでいたかもしれない。


「ソロモン、こっちだ」
後方からの声に振り返ってみると、広大な前庭でティータイムを取っていたアンシェルの
大柄な姿が目に入った。

「ああ、アンシェル!そちらにいらしたのですね」
「今日は本当に良い天気だ。君も座るといい」
「はい、ありがとうございます」
「ソロモンに紅茶を・・・・・今日はゆっくり出来るのだろう?」

そう言って笑った彼の顔を、ソロモンは忘れることが出来ない。














思いのほか大きな声を上げたソロモンの口を、アンシェルが塞いだ。



ああ、この人は手も大きいのだな・・・・・
組み敷かれたソロモンはそんなことを考えた。




身体は初めての行為に悲鳴を上げ、主に間断なく苦痛を訴えてくる。
苦痛の合間に僅かな快楽も感じることもあった。
それらを与えられる身体は、燃えているように熱い。


しかし、ソロモンの頭の中は冷めていた。
痛みも快楽も熱さも、まるで他人事の様に感じる。

先程と同じ。
アンシェルに服を脱ぐよう命じられた時も、不思議と動揺は無かった。



 「ここで、ですか?」
 「そうだ」
 「本気なのですね?」
 「・・・・・」
 「・・・・・・・・・・わかりました」



何故なのか、判らない。
服を脱ぐ手は確かに震えていたのに。
いや、震えは見えたのに、ソロモンにはその実感が無かったのだ。

何故?
どうして?

こうなることを自分は望んでいたのか?

否。
頼れるアンシェルを慕う感情はあるが、それは"愛しい""好ましい"と
いったものとは別物だ。

では、どうして自分は抵抗もせず服を脱いだのか・・・・


どうして?



何故?







頭の中で疑問を繰り返しながら、ソロモンは抱かれた。













あの時。
当然感じていた酷い痛みや嫌悪感は、もうあまり記憶に無い。


今でも鮮明に記憶にあるものは−−−−−

寝室の厚いカーテンの隙間の青い空。
カーテンの隙間から見えた、ただただ青い空。


今夜もソロモンを乗せた馬車は、アンシェルの館の門をくぐっていった。