静かだった。
つい数時間前の戦闘が嘘のようだ。
ブルーは、余計な調度の全く無い無機質な広い自室で、椅子に深くもたれていた。



その静寂を破ったのは、入室の許しを請うてきた控えめな思念だった。

『少し、宜しいですか、ソルジャー?』
『構わないよ。おいで』

立ち上がり出迎えると、エラは真っ直ぐブルーを見つめ、少し微笑んだ。
ブルーはおや、と首を傾げる。
懸命に堪えようしているが溢れてしまっている彼女の思念は、
確かに涙の匂いを纏っているのだ。

「お休み中のところ申し訳ありません」
「構わないと言ったろう?大丈夫だよ」

優しく微笑んでみせれば、エラもまた笑みを刻む。
その笑顔はやっぱり悲しげで、「温かい紅茶でも淹れよう」と
小さい肩に手を置き中に入るよう促した。

椅子を引き、座らせる。
手早く紅茶を淹れ、差し出した。
恐縮しつつも笑みを消さなかったエラが表情を強張らせる。

しまった。
慌てて手首を隠すが、エラは俯いてしまった。
長い黒髪が表情を隠しているが、小刻みに肩が震えている。
震える細い声が、「……すみません、ソルジャー」と言った。
ぱっと上げた頬は、はやり濡れている。

「戦闘が、こんなにも苦しいものだったなんて…!」
「………」
「後方支援にまわった私がこれほど苦しいのだから―――」

エラは包帯の巻かれたブルーの手を取った。

「常に最前線で戦われてきたあなたの痛みを、私は…私たちは全く知らなかった」

頬を寄せる。
涙を含んだ包帯が、色を変えた。

「あなたはいつもたった一人であったのに………申し訳ありません」
「君が謝ることじゃない、エラ」

ブルーはそっと手を離すと、艶やかな黒髪に覆われた頭を撫でた。
幼子をあやすように、幾度も、優しく。
その手を外すように立ち上がったエラは、ブルーに背を向けた。

「いいえ。それだけではありません…」

俯いた所為で少し丸まった背中は、震えたままで。
気丈なエラは、声を殺して泣いていた。
ブルーも椅子から離れ、エラの正面に立つ。

「私はあなたを疑いました。あなたの優しさを、そのまま受け止めず………
 どんなに苦しい選択をしているのかも理解せぬまま、疑った」

本当に申し訳ありません、と何度も呟く。
光る涙の雫がはたはたと落ち、床に小さな湖を作った。

「きちんと話をしなかった私も悪い。だから、そんなに泣かないで」

流れるように頬を伝う涙を、手で受け止めて。
ブルーは、エラをそっと抱き締めた。

『言ってくれて、ありがとう。辛い思いをさせたね』

そう思念を送れば、エラが声を上げて泣きじゃくり始めた。















真影 ――初陣――













エラがブルーの許を訪れたように、ゼルは機関室にいた。
ブラウは祈りの間に、ヒルマンはシャングリラ最上階の展望室に。

それぞれがそれぞれの場所で、それぞれの心を持て余し、もがいていた。



戦闘セクションの初陣の日。
これはブルー以外のミュウたちにとって、忘れられない日になった。
特に各セクションのリーダーたちにとっては。

同時覚醒した複数の同胞たちを救う戦略会議で、彼らは辛い選択を強いられた。
どうしても、1名は救えない。
何とか全員を救出出来ないものかと会議は長時間に及んだが、結論は変わらなかった。
消化しきれない思いを抱いたまま、彼らは生まれて初めての戦闘を経験したのだった。



機関室ではいつもの怒号が飛び交い、怒鳴られた若者たちは首を竦めながらも
手は止めず黙々と仕事をこなしている。
珍しく姿を現したブルーに機関室の若者は目を丸くするが、「こうやって怒鳴られ
手を動かしていると気が紛れます」と苦笑した。

次にブルーが訪ねたのは、褐色の肌の航海長の許。
祈りの間に入ろうとしていたブラウは、手にした十字架を見せながら
「神が必要な理由が分かったよ」と寂しそうに笑った。

柔らかなオレンジ色に満たされた展望室に居たのは、ヒルマンただ独り。
いつも傍にある子供たちは誰一人いない。
入室したブルーに気が付いているだろうに声も発せず、腰の後ろで手を組んだまま
ただただ空を見つめていた。

シャングリラ内を一巡し最後にブルーが立ったのは、ハーレイの部屋の前だった。
入室を求めた長に、応えは『どうぞ』の一言のみ。
一見冷静に聞こえるが、その実そうではない。
普段ならそんなものを求めるまでも無く、ブルーが部屋の前に着いた瞬間、扉は開くのだ。

自分で開閉スイッチを押し、入る。

「お迎えに上がらず、すみません」

少し乱れたベッドの脇で、ハーレイは頭を下げた。
マントは外しているが、その他は艦橋にいた時と変わっていない。
異なるのは少し荒れた思念が、僅かに感じられる点くらいだろうか。

生まれて初めての戦闘指揮であったのに、驚くほどハーレイは冷静だった。
的確に戦況を把握し、指示を出す。
その所為だろう、今回の戦闘でミュウの死者は一人も出ていない。

「見事だったな、ハーレイ」
「………ありがとう…ございます…」

すぐ傍に近づいて、気が付いた。
目が、赤い。
覗き込むように見上げる紫の瞳を避け、ハーレイは横を向いた。

「あのようなことは、人に褒められる行為ではありません」
「そんなことはないさ。お陰で誰一人失わずに済んだ」

これまで僕にくれた言葉にだって、嘘は無いだろう?
かつての、たった一人で戦い帰還したブルーに寄せられた数え切れない賛辞の言葉。
その中には少なからずハーレイの放ったものをあるのだ。
それに思い至り、ハーレイは再び謝罪を口にした。

「別に責めているわけじゃない」

そう言って、ベッドサイドのテーブルにあったグラスを呷った。
ハーレイの好きな琥珀色の液体が喉を焼く。
注がれたもののほぼ手付かずであったものが空になった。
一気に流し込んだものだから、流石に少し咽た。

「ソルジャー!何を―――――」

慌てて背中を摩るハーレイに、笑顔を見せる。
苦笑といってもいい、笑み。

「これから自分のしようとしている事を思うと、少しはアルコールが入っていないと……」

堪えられない、とハーレイを抱き締め、背伸びをしながら唇を寄せた。
啄ばむようなキスを何回も繰り返す。
目を剥いたハーレイが細い両肩を掴んで身体を押し戻すまで、それを続けた。

「やめて下さい、ソルジャー……!」

蒸留酒の匂いを纏った息と共に「いやだ」と答える。
はらりとマントを落とし、自分の襟元を寛げた。
上気したうなじに視線を落としたハーレイの頬を挟み、首を傾げて口づけた。
今度は大きく口を開き、始めから激しく。
角度を変え更に深く舌を侵入させれば、口の端から唾液が零れた。

「…ん…ふ……んん……」

煽られたのか、ハーレイの腕がブルーの背中に回り抱き締めかける。
けれど、震える手が再び押し戻した。

「いけません……ブルー」
「…なぜ?」
「これ以上されたら、我慢が…出来なくなります…」

ハーレイはくるりと背を向けた。
思念で伝えてくる。

今の私には手加減する余裕がないのです。
あなたのことを気遣う余裕が無い。
お身体を傷つけてしまいますから……

「私は大丈夫です。ご心配をお掛けして、すみません」

後ろを向いたまま、そう声に出した。
「お部屋にお戻り下さい」と言いかけて息を飲む。


ブルーが、背中から抱きついていた。


後ろから回された細い腕が、ハーレイの厚い胸板を締め付ける。
背中の中心の頬を押し付けられた部分が、とても熱かった。

「眠れないんだ、身体が熱くて。この熱を鎮めてくれないか…」

この人は今言ったことを聞いていなかったのか……!
愕然とし、振り返ろうとした大きな身体を、細いブルーが押し止めた。

『うん、聞いてた。でも、大丈夫だから―――――だから、抱いてくれ』

一つ息を吐いたハーレイは、胸に回された、自分より遥かに華奢な手首を掴む。
強引に前に引き寄せ、ベッドに押し倒した。

怖ろしい表情のまま顎を掴み、無言で唇を奪う。
乱暴に咥内を舐り、ブルーの舌を絡め取った。
そして、痛いほど吸い上げる。

左手は上着のジッパーを一気に下げ、露出した白い胸を這い回り、突起を強くつねった。

「んんっ…!」

ブルーは苦痛に顔を歪ませる。
顎を解放した右手が慣れた手つきで素早く下衣を剥ぎ取り、すっかり起立したブルー自身を握る。
上下に数回扱くと、ハーレイの下にある細い腰が震えた。

先端がぬるりとするや否や、回転させられる。
前を肌蹴られていた上着が、腕からつるりと抜けた。
肘を付き背中を反らさせられる。
高く掲げた双丘を両手が掴み、割った。

人差し指に付いた先走りを固くすぼまった秘所に塗り込めつつ、ハーレイは自分のズボンを下ろした。
露になった自身を前戯もせぬまま―――――押し込んだ。

「ああああああああああっ!」

ブルーの絶叫にも耳を貸さない。
ハーレイは、自分の欲望のまま腰を動かした。
強く、強く。



実験棟での経験で、どうすれば自分の身体に負担が掛からないかを学んだ。
息を吐き、突き入れられる一瞬にあわせ、あの部分の力を抜く。
身体は、憶えていた。

けれど、何の潤滑剤も無い状態での性交はやはり、激痛を伴った。
ひああ、んんああ…と、悲鳴を上げずにはいられない。
ハーレイの先走りが、いずれその役目をしてくれるかもしれないが……

少し快楽を感じ始めた途端、ハーレイが動きを止めた。
体内の深いところに、熱いものが注ぎ込まれる。

全部吐き出してしまっても、ハーレイの固さと熱さは消えなかった。
再び律動が始まる。

「ああ…う……あは……は……は…ん…あ………」

今度は濡れた水音を伴っており、ブルーの声も艶のあるものに変わっていた。
ハーレイの腰を穿つ速度は変わらない。
はっはっと熱い息を吐きながら、遮二無二腰を振っている。





はたり、はたり。
猫のように反らされたブルーの背中に、落とされるものがあった。
白い背中を濡らす。

はたり、はたり。
汗―――ではない。

その雫がブルーを濡らし出してから、ハーレイの息に押し殺した声が混じり始めていた。
雫の正体が解っても、いや解るからこそ、ブルーは振り返らない。





ハーレイの涙の意味を知っている。
自分も通ってきた道だから。

初めて人を殺めた――例え、殺らなければ自分が仲間が殺られるという戦闘にあっても、
命を奪うという行為に変わりは無い――晩に、苦しみ転げまわった自分。
たった一人で、暗闇の中、どれほど辛かったか。
あの晩のことは、今でも忘れることが出来ない。

普通の人間が人間を殺す時の良心の呵責といったものの他に、自分たちミュウが背負ってしまうもの。
サイオン能力を持つがゆえに聴いて、感じてしまう、断末魔の魂の叫び。

死にたくない!
あの人、あの子を置いていくなんて!
お父さん―――お母さん!!

それらは"遮蔽"など簡単に突き抜けてしまうほど強いもので。
心を刺し、通り抜けた後も、決して忘れることが出来ないほどの傷を残す。

今日の戦闘でブルーが己のサイオンを最も割いたのが、シャングリラをそれらの叫びから護ることだった。
でも、ミュウを救出した瞬間、ほんの僅か意識が離れた。
サイオンキャノンで打ち落とされた機体の、まだ若い青年兵士の意識がブリッジを突き抜けたのが"見えた"。

サフィラ……!

彼女の名前だろうか。
鋭い思念が通り抜けた場所に、ハーレイがいた。
立ち上がっていた彼が、胸を押さえ椅子に崩れ落ちた。

"見ていられた"のはそこまでで。
再び戦闘に戻らざるを得なかったブルーは、シャングリラを思念で覆いつつ、意識を戦場へと戻したのだった。





「ああっ…はあっ…あ…っ………いあ…うっ…はっ!」
「……う…はっ……ブルー……ブルーっ………!」

ハーレイががっくり身体を落とす。
ブルーは目を瞑ったまま、その大きな身体を受け止めた。
彼の体の重みは、とても心地良い。

暫く背中を摩っていてやると、耳元で穏やかな吐息が聞こえ始めた。
ブルーはそっと身体を抜く。

温かく湿らせたタオルで、うつ伏せで眠るハーレイの身体に残る激しかった情交の後を拭い去ってやる。
シャワーを借り自分の後始末も済ませると、痛みとだるさに支配された身体をかっちりとした制服に包んだ。

ふわりと藤色のマントをなびかせベッドに歩み寄る。
眠り続けるハーレイの頬の、涙の後に口付けた。

「おやすみ、ハーレイ。良い夢は無理だけれど、悪夢も見ない深い眠りを………」

そう呟いて、ブルーは部屋を後にした。