最後のお言葉だ。 そよ風が草原を渡っていくかのように、その言葉がシャングリラの中を駆け抜けていく。 常にあった、船を包むソルジャーの思念が薄く細くなっている。 酸素と同じように、意識せずとも確かに存在していた温かい空気が消えかかっていた。 全ての者が手を止め、船の中心を見つめる。 もう泣き出しているものも多い。 彼の人の最後の言葉は静かに受け止めたいと思うが、あまりの喪失感に平常心ではいられない。 昂ぶる感情を必死で抑えて、皆は耳を澄ました。 古参でリーダー格の長老たちは、既にブルーの私室に集まっていた。 ゼル、ヒルマン、エラ、ブラウ、そして、ハーレイ。 ベッドを囲み、一様に沈痛な面持ちでブルーを見つめている。 『―――長きにわたる私の友よ……』 ソルジャー・ブルーの最後の言葉が、静かに流れ始めた。 真影 ――甘い罰―― 思いの全てを語り、船内に静寂が訪れた。 彼の思念は感じることがむつかしいほどに、細くなっている。 誰の目にも、ブルーの命の炎があと数瞬で消えることが感じられた。 ジョミーはブルーから託された補聴器を胸にかき抱いて、ぼろぼろ涙を零している。 素直に感情のまま溢れる涙を拭うこともしない様子に、ハーレイは軽い嫉妬すら覚えた。 このまま彼の精神が飛び去るのを見るのか……… 口の中が乾き、立っているのもやっとなくらいの眩暈がハーレイを襲っていた。 目の前にブルーがいるというのに、もう最後だというのに、瞳に求める姿を映せないでいる。 本当に、もう逝ってしまわれる…… 視界が白く覆われて――― ハーレイは一粒の涙も流せないで、立ち尽くしていた。 全てをジョミーに託して…… 私…、私たちを置いて…… 「……レイ……ハーレイ…!」 身体を強く揺す振られ、我に返った。 肩にブラウの手が置かれていた。 「ソルジャーが、お呼びだ」 強く前に押し出される。 ゆっくりと静かに上下する胸以外は、ぴくりともしない身体。 そのあまりの薄さに胸が詰まる。 「ソルジャー…ブルー……」 『私はもうソルジャーではないよ。今はジョミーがソルジャーだ』 彼の微かな思念が、くすりと笑った気がした。 『これも該当するな―――――ハーレイ、君に罰を与える』 ハーレイが青い顔を上げた。 エラもブラウも、驚いたように顔を上げる。 ゼルとヒルマンは苦笑して、互いに視線を交わした。 『僕に、今ここで口づけを』 「――えっ…ソル、ブルー…?」 『あの時、僕を拒絶した罰だ』 「聞いてられん」と言うゼルを宥めながら、ヒルマンは部屋を出た。 "僕"という言葉が流れた途端、ブラウも踵を返す。 『皆の見ている前で、僕にキスをして』 エラは動揺するハーレイの肩をそっと叩き、視線で促す。 ブルーがお待ちですよ、早く、と。 よろよろとベッドサイドに歩み寄り、跪く。 ハーレイは身を屈め、優しく口づけた。 その様子を満足げに見ると、エラは入り口に向かった。 『次は……今僕をソルジャーと呼んだ罰』 「ブ、ブルー?」 『さあ、早く。まだまだ沢山あるのだから』 「―――はい」 言われるままに、ハーレイは口づけた。 次は…… ブルーの声にならない命令が、続く。 部屋のすぐ外では、長老たちが集まっていた。 最後に出てきたエラに、ヒルマンが訊ねる。 「罰は執行されたのかな?」 エラは微笑んだ。 その瞳から、涙が零れる。 「何を泣く。あんな場面を見せられて、泣きたいのはわしの方じゃ」 「まあまあ。恋人たちの最後の別れなのですから、少し大目に見てやりませんと」 「ハーレイめ、後で覚えておれ!」 言葉は乱暴だが、扉を見やる瞳は限りなく優しい。 心成しか、その瞳には水分が多いようにも見受けられる。 その傍でわあっという声が上がった。 子供たちが、中の様子を伺っているらしい。 ブラウはしゃがみ込み、目線を合わせた。 「ソルジャーが"僕"と仰った。今はプライベートなお時間だ。分かるな?」 子供たちが素直に頷くのを確認して、すっくと立ち上がる。 ブルーの私室を背にして、皆に呼びかけた。 邪魔をしてはいけない 我らは既にお言葉を頂いたのだから 他の長老たちも同じように立つ。 4人の思念波に守られ、前ソルジャーの私室は完全に遮断された。 『今度は僕のマントを踏んだ罰。転びそうになった僕を支えたとしても、その罪は消えない』 「はい」 『次は、熱すぎる紅茶を出した罰。これは両手で足りないくらいあるな』 「はい」 二人きりの室内で、甘い罰は続いていた。 始めは動揺していたハーレイも口づけを重ねるにつれ落ち着き、時には額に、或いは瞼にキスを落とす事もあった。 『きちんと"口づけ"してくれなくては、罰の意味が無いだろう』 「やり直し、致しましょうか?」 『……そうだな』 そんな遣り取りが嬉しい。 ブルーは心の中で微笑んだ。 ハーレイ、僕が君にこれまで罰を与えなかったのは―――――怖かったからだ。 君が離れていくかもしれないという事が、とても怖かったんだ。 後悔にのた打ち回る君を見ていた。 心を、茨の蔓で自らを縛るがごとき苦しみも知っていたよ。 そこから流れ続ける、赤い血もね。 君を見ていた、笑って。 これで君は僕から決して離れていかないと。 そう確信出来たから。 君の心を縛ることに成功した、あの忌まわしい記憶に感謝するくらいだ。 でも、僕はもう行かなくてはならない。 もう君を慰めることが出来ない。 だから、君に罰を与えた。 とても、恥ずかしかったろう? あれが今の僕の精一杯。 これ以上の罰は思いつかなかったよ。 もう、時が来る。 事ここに至っても尚、まだ僕は君を失いたくない。 可笑しいね。 逝ってしまうのは僕なのに。 君を置いていくのに。 だから、僕が消えても、僕を忘れられないよう茨の蔓で君を縛るよ。 欲張りで、ごめん。 『もう、無いかな……………ああ、一つ忘れていたよ』 「罪状は、何ですか?」 『………僕を、待たせる罪だ』 すうっとハーレイが息を飲んだ。 ブルーは最後の力で、瞼を押し上げる。 そこには、想像したとおりのハーレイがいた。 ブルーの頬が僅かに緩んだ。 『さあ、口づけを―――――』 「―――はい」 ブルーの顔にハーレイのそれが重なる。 最後のキス。 唇を離せば、ブルーの思念は消えていた。 立ち上がり、そうっと頬を撫でる。 去り際にいつも言う言葉をかけた。 「おやすみなさい、ブルー」 |