ホテルのスウィートの一室。
眼下に広がるのはセントラルパークとクリスマス一色のNYの街並。
窓からの眺望は素晴らしい。

抜けるような高い青空に、幾筋かの白い雲。
外は12月の冷たい風が吹くが、空調の利いた室内は春の暖かさだ。

「来てくれて、ありがとう」

栗色の髪と瞳を持つ車椅子の青年が、窓際に立つ同年齢ほどに見えるスーツ姿に声をかけた。
すらりとした長身に金糸の髪、外を眺める目は切れ長で、その瞳は碧い。
車椅子の青年とて世間でいうハンサムの部類なのだが、
こちらの金髪と並んでしまうと色褪せる。
美を司る女神の祝福を一身に受けた青年は冷ややかに答えた。

「礼を言われる事はありません。ネイサンから言われなければ、ここには来ませんでしたから」

車椅子の青年を振り返る。

「それに機会があればあなたの命を奪おうと思っていますし」

ソロモンは爽やかな笑顔で言い切った。
酷い事を言われた車椅子のジョエルも、微笑みを返す。

「小夜の事・・・ですか?」

ソロモンは微笑を深くする。
底が見えない冷たい微笑みを。

「血の繋がった実の姉妹同士を殺し合わせるなんて・・・・・僕は許せません。あなたも、赤い盾も」
「それに関しては謝ることは出来ません」

ジョエルは自身の栗色の瞳を真っ直ぐソロモンの碧い瞳に向けて、答えた。

「僕たちにはその方法しかなかったのですから」
「偽りの愛情で縛り、自ら戦場に赴かせるように仕向ける事が唯一の選択肢であったと、
 あなたはそういうのですか?」
「・・・ジョージやカイの小夜への愛情は、偽りなどではありませんよ」
「ならば赤い楯は、彼らをも利用したと言うことなのですね。使い捨ての駒のように」
「利用などと。彼らは仲間―――――」
「この話は止めましょう。あまり時間もありませんし」

ソロモンがジョエルの言葉を遮った。

まだ、この話はいけない
自制が利かなくなる・・・・・

実際、瞳が赤くなりなじめていた。

ジョエルも彼の瞳が色を変えたことに気づいた。
彼の一方的な物言いにもっと異議を唱えたいところだが、ディーヴァのシュヴァリエでありながら、
己が仕える女王や兄弟を裏切ってしまったソロモン・ゴールドスミスのことは
カイやハジたちから聴いていた。
彼が愛した小夜からも。

小夜が眠ってから8年――――思い出話とするにはまだ時間が足りないのだろう、彼にとっては。
悠久に近い刻を生きうる翼手と、自分たち人間とは時間の感覚も異なっているだろうから。

ジョエルはただ、そうですね、と言った。
自分の向かいのソファーに座るように促す。

「中東の紛争地域でコープスコーズの目撃情報が入ったことはもうご存知ですね」
「・・・何か裏付けが取れたのですか?」
「かなり質の悪いものですが、映像が入手出来ました」
「それにコープスコーズが映っていると?」
「私たちの映像解析技術では確信を得るところまではゆきませんでした。
 ですから、あなたの目で確認して頂きたいのです」

ジョエルはテーブルに置かれていたノートPCを操作した。
暗視カメラで撮影された夜の戦場の映像が流れる。

画面を凝視していたソロモンが目を細めた。
暗視カメラ特有の荒く白っぽい粒子が乱れ飛ぶ映像内で何か黒いものが飛び込んできた途端、
旧式のアーマライトを抱えた兵士が瞬間的に画面から消えた。
それを追った次の映像には真っ黒の液体、恐らくは血溜まりの中で上半身と下半身が
きれいに分かれた兵士の死体があった。
彼の腕は先に撮影されたままの格好でライフルを構えていた。

人間の目では捉え切れなかった、彼を殺害したと思われる"黒い何か"が、ソロモンにはハッキリと見えた。
それには頭部全てを覆う装備がなされていない為、その顔も表情も全て見る事が出来た。
この片目を長い前髪で隠した青年、自分達のデータでは製造番号でしか認識されていなかったが、
彼らシフの仲間内ではモーゼスと呼ばれていたはずだ。
ヴァンと共に作り出したコープスコーズの基となった実験体が彼だった。
これがコープスコーズであることには間違いない。
その事実を告げる。

「しかし―――――」
「ええ、コープスコーズには例外なく時限装置が組み込まれていた」

そう、7日間のみこの世に存在を許す遺伝子レベルでの時限爆弾が。
このあまりにも短い時間を制御する事も可能だったが、それはあくまで机上の論理に過ぎなかった。

短くすることは幾らでも出来た。
僅か10分で崩れ去らせることも難しくはなかった。

だが、逆に延長させるとなるとこの装置は存在意義を失うほど役立たずであった。
数時間単位なら延ばす事は出来たが、1日以上となるとソロモンの知る限り、成功例は無い。
あれから8年もの歳月が経過した今現在、映像内に捉えられたこの個体は
サンクフレシュ・アメリカが作り出した兵器では無いという事になる。

しかし、赤い盾は翼手殲滅の一環としてコープスコーズの製造施設を完全に破壊し、
そのデータ全てを消去した。
彼らを殲滅した筈だった。
ジョエルは大きく息を吐いて、車椅子の背もたれに寄り掛かった。

「僕たちの作戦に相当な失敗があったということでしょう」
「関わった人間が多すぎた。データ流失を防げたと言い切ることは不可能ですね」
「しかし、単なる技術漏洩が問題なのではない」
「・・・・・そう」

ソロモンは頷いた。
単に製造技術やデータだけではコープスコーズを生成することは出来ない。
生成の為の大規模な施設を建設できる潤沢な資金と、それを秘密裏に行える権力。
何より必要なのが、生成の為の原材料―――――

「どこからあの血液を入手したのか・・・・・」

ありえない、ジョエルは呻くように言った。
赤い盾ががもっとも力を入れた、翼手女王の血液の管理。
この世界に混乱を生む、ディーヴァと小夜の血液は全て回収した。
この分野でも"筈だった"と言わねばならないのか・・・・・

しかし、そう言って未回収のものが存在し流用されたというのなら、まだ良い。
それよりももっと可能性が高く現実的な事が、ジョエルを押し潰す。

―――――自分たちの管理下にある血液が横流しされたのではないか

赤い盾の根幹を揺るがしかねない事態だった。

言葉を発せず表情を曇らせていくジョエルを、ソロモンは同じように黙ったまま見つめる。

彼は赤い盾の首領が苦悩する姿に、高揚感を覚えていた。
これがあまり良い種類の感情では無いことは解っていた。

自分よりも小夜に近しい立場を許された者への、嫉妬。
8年という短すぎるとは云えない時を過ぎても尚、
このような人物を目にすると心の中はあっという間に燃え上がる。
これが、未だに小夜の眠る、そして彼女が愛した人々が暮らす沖縄の地を踏めない理由だった。

かつてこれを我慢しようとして、文字通り"大爆発"させてしまい
ネイサンに大分迷惑をかけた記憶のあるソロモンは、燃え上がる心のまま言葉を続けた。

「やはりあなたのところから、と考えるのが自然でしょうね」
「・・・・・・・・・・今は、否定出来ません」
「二人の女王の血液は魅力的ですから、様々な欲に雁字搦めの人間にとっては」
「・・・・・・・・・・・・」
「あれを自由に持ち出しできるとなると、かなりな幹部クラスということでしょうか」
「・・・・・・・・・・・・私は、今この場では否定も出来ないが、肯定もしていない」

楽しそうに話すソロモンを、ジョエルは睨みつけた。
しかし、ソロモンは止めない。

「裏切り者を内包している赤い盾が翼手を管理できるなどと、
 少し思い上がったとお考えにはなりませんか?」
「・・・・・赤い盾は・・・・・我々は」

ジョエルの唸るような声を他所に、ソロモンはすっとドアの方に視線を走らせた。
薄く笑う。

「管理などしていない・・・!共生の道を探っている!!」

共生?
くすっと笑ってしまった。
ソファーから背を起こし、自分の足に肘をつき両手を組んで顎を乗せる。
口元の笑みはそのままに、ゆっくりと低い声で言った。

「生かすものと殺すものを選別し実行することは、管理とは言わないのですか?」
「・・・・・!」
「あなたがた人間にとって有益な個体だけを生かし、そうでないものは排除してきましたよね?」
「何を言って――――」
「もっとこの話をしたいところですが、時間です。お仲間が来たようですよ」

ジョエルが振り返るより早く、ドアを激しく叩く音がした。
続いてサイレンサー付きの拳銃の発射音が微かに聞こえ、複数の人間の罵声が響いた。

「ジョエル!逃げて下さい!!こいつら――――うわっ!」

勢いよく開くドアと共に、ジョエルの護衛が倒れこんできた。
もがく彼らを踏みつけて頭部に容赦ない銃撃を加えたのは、見知った顔。
赤い盾の極東実働部隊のメンバーだった。

車椅子のジョエルにも銃口を向け、何の躊躇いも無く引き金を引いた。
シュッという音と共に発射された弾丸は大きく逸れ、窓ガラスにひび割れを作った。

続く、ゴトっという鈍い音。
拳銃が腕ごと床に転がった。

腕を失い悲鳴を上げる男を、リーダー格らしい人物が自動ライフルの銃座で殴り倒した。
浮き足立つメンバーに指示を出す。

「情報通り翼手がいるぞ!2人1組で互いの背後を警戒!!」
「アンドリュー!何故こんな真似を?!」
「それはこちらがお聞きしたい、ジョエル。翼手と通じるとはどういった了見です!」
「通じる?」
「翼手の片割れを始末しなかった上、今度はシュヴァリエですか?!」

ライフルの銃口をジョエルに合わせる。

「お答え願いたい。シュヴァリエは何処です?」
「訊いてどうするんです?」

揶揄を含んだ声はソファーから聞こえた。
そこに、足を組んで座るソロモンが居た。

メンバーの銃が一斉に火を噴く。
しかし、銃弾のシャワーを受けたのはソファーの背もたれのみ。
ソロモンの姿は空気に溶けてしまったかのように、一瞬で消えた。

愕然とした襲撃者達が振り返ろうした途端、ゴロゴロと首が落ちた。
ジョエルの目の前で、アンドリューと呼ばれた男の首にも一筋の赤い線が走り、
ゆっくりと頭が落ちた。

硬直したジョエルの肩に、手入れの行き届いた白い手が置かれた。
ソロモンは耳元に口を寄せ、囁く。

「今日のところは僕が守って差し上げます」
「何故・・・です・・?あなたは、僕を嫌っているはず・・・」
「ええ、大嫌いですよ。しかし"敵の敵は味方"ですから。それに・・・・・」
「何です?」

振り返ったジョエルは、後悔した。

微笑んで、やや頬を紅潮させた彫刻のように美しい横顔。
真っ赤な瞳だけがゆっくり動き、自分を見た。
至近距離から射抜かれたようだ。
心臓が早鐘のように打ち、本能的な恐怖と何かが背筋を走る。
その何かは決して不快なものではなく、寧ろ性的快感に近いと気づき、ジョエルは愕然とした。

これが魔に魅入られるということか―――――

呆然と自分を見つめるジョエルの前に進み、ソロモンは続けた。

「あなた一人が無傷で戻れば、赤い盾は確実に割れ、近いうちに崩壊する」
「・・ど・・・うし・・て・・・」
「あなたも気が付いているのでしょう?お仲間に小夜の抹殺を望む者が多数存在する事に」

それは事実だった。
幾度となく言葉を尽くして議論したが、彼らは納得しなかった。
『翼手は殲滅すべき』であると、今もそう考えている者が赤い盾の大多数であると言っていい。
それをジョエルが何とか抑えているというのが、現状だった。

しかし、その箍が外れた・・・・・

「あなたが僕と会うということが、余程お気に召さなかったようですね」
「・・・まさか、あなたが・・・」
「今日の会合を彼らに伝えたのは、僕です」

笑ったその顔は、正しくメフィストフェレスの微笑み。
ジョエルは視線を外す事が出来ないでいた。

「ジョエル、あなたがたはディーヴァの子供たちに対する責任を果たして下さい。それ以上は望みません」
「君に言われるまでもない・・・!だが、赤い盾をどうするつもりだ?!」
「あなたがた以外の赤い盾には本来の姿に戻って頂く」

ソロモンは微笑を消し、静かに言い切った。

「そして小夜に害を加えようとする輩は、僕が叩き潰します。あなたという頭を失った今、
 それはさほど難しいことではないでしょう」

そう言うと、ソロモンは壊れたドアに向かって歩き出した。

まだ話は終わっていない!
ジョエルは声を荒げた。

「コープスコーズはどうする!」

ソロモンは足も止めず、答えた。

「あれは心配する必要は無いでしょう。制御出来ない兵器は処分しかない」
「どういう意味だ」
「笑っていたのですよ、彼は」

解る様に説明してくれないか、というジョエルに仕方が無いといった風に振り返る。

「先程の映像です。兵士を殺害した瞬間、それは楽しそうにね」
「感情を持っていると?」
「快楽殺人者としての感情、ですが」

そんなものを兵器として使用出来ますか?、という言葉を残してソロモンは廊下に消えた。



一人残されたジョエルは俯き、車椅子を力任せに叩いた。

―――踊らされ、利用された
―――全てあの男の意のままに

唇を噛み、室内を見回す。
累々と横たわる死体。
これも計算の内だというのか。

ぐっと頭を上げた。

アンシェルなどより余程厳しい相手だ
心せねば・・・!

ジョエルは携帯電話を取り出し、手短に状況を説明した。
あまり大きな音もしなかった上に、1つの階全部を使用したスウィートルームであったことも幸いした。
ホテルマンが来るまでに片が付くだろう。

改めて室内を見回した。
これからやらねばならない沢山の事を想像し、ため息が出た。
一番最初にすべき事を、ジョエルは実行した。

「僕も、君が嫌いだよ。ソロモン・ゴールドスミス」